帰らないの? 景時さんルート・7月 T
厨房で景時は鼻歌を歌いながら皿を洗っている。
「こんなものですかね、景時さん」
後ろのテーブルから譲が声をかける。
譲の顔は後ろ向きなので分からないが、相向かいに座っている朔の顔つきから見て
ある程度満足のいくものであったことは、うかがい知れる。
譲の言う「こんなもの」とは、この店のメニューのことなのだが。
「読み上げてみてくれるかい、譲く〜ん」
景時は、洗剤まみれの皿に視線を向け直して言った。
「先ずドリンクです」
「うん、どうぞ」
「珈琲は『ブルーマウンテン』『モカ』『マンデリン』、それに『オリジナル・ブレンド』の4種類」
「そうだね〜、とりあえず慣れるまではこのくらいが限度だよね〜」
景時の『オリジナル・ブレンド』も、珍しく朔に好評だった。
『やっぱり豆の配分は、この方が良いんだ』
オリジナル・ブレンドにこだわって、何度も何度も何度も何度も、いろいろな豆の配分を試した。
コーヒーの香りを鼻にするのもうんざり、そんな日もあった。
それでもオリジナル・ブレンドにこだわってよかったと、今は思える。
「次に紅茶です」
「うんうん♪」
「えー、ストレートは『ダージリン』『アッサム』のインド系、
『ウヴァ』と『キャンディー』のセイロン系、
それとフレーバーティーとして『アールグレイ』と『カラメル』」
朔デザインのティーコゼーとストレーナーが納品され、
使い心地もまずまずで、朔の機嫌のいい理由の60%はそれだった。
当初、景時はメリオールを使うことにこだわったのだが、朔はそれに反対だった。
メリオールは本来、エスプレッソ用の用具だということを譲から聞いていた。
「紅茶はイギリス風にしたい」
「できればスコーンも美味しく自家製でメニューに加えたい」
朔のかわいいこだわりだった。
何故か、ヒノエの紹介でイギリス大使館が仲介役となり、
英国きっての有名老舗紅茶専門会社が、茶器から紅茶の入れ方指導まで全面バックアップしてくれた。
ゆくゆくは紅茶テイスターの資格を景時に取らせるために
イギリス王室御用達の老舗紅茶専門会社がスタッフを派遣して、朔と景時を特訓もしてくれたのだが、
「いったいどうやったらこんな短期間で
『イギリス大使館』や『イギリス王室御用達の老舗紅茶専門会社』とコネクションができるんだ?」
と、譲はヒノエの行動が不思議で仕方がなかった。
「それから緑茶です」
お洒落な湘南・七里ヶ浜のカフェ・レストランとしては?かもしれないが、
日本茶も飲めるようにした。
「『玉露』と『ほうじ茶』の2種類でしたよね」
「う〜ん、どうしよう、朔。
弁慶が言うには『抹茶』や『玄米茶』も、こっちが言えば卸してくれるっていうことだけど」
「緑茶も飲めるっていう事を認知してもらうのが、先ずは大切でしょうね」
「そうね、兄上。譲殿の言うとおりだわ。
それに、これ以上、種類を増やしても慣れないうちは、兄上と私だけでは
オーダーに対応しきれなくなってしまうのではないかしら」
「へー、朔。『オーダー』なんて言葉をさり気なく使えるなんて、勉強してるんだな」
「え? ええ……」
譲に褒められて、素直に赤く頬を染める朔。
そんな、2人の様子に、何となく微笑ましいものを感じ始めている景時であった。
茶葉は、何処をどうしたのか、
弁慶の紹介で、京都の老舗茶舗から極上の茶葉を格安で卸して貰えることになっている。
「次にスイーツです」
「ああ、どうぞ」
「朔の作るケーキは3つ、『キャラメルケーキ』『レアチーズケーキ』、
それと『季節の果実のミルフィーユ』」
「毎日作るのは、大変だよね〜」
「兄上! それが私の仕事なのです。
兄上が思いやってくださるのありがたいのですが、『大変』などと仰らないでください」
「朔、肩に力を入れすぎないでね〜」
「そうだよ、朔。リラックスして」
「りらっくす?」
「平常心・自然体・力まずに。要は舞と同じなんじゃないのかな」
「ああ、譲殿……何となく、分かります」
朔の試作のケーキは3種類とも、申し分なかった。
キャラメルケーキ、ミルフィーユ、レアチーズケーキ。
キャラメルケーキとレアチーズケーキを定番として、
ミルフィーユは当初、自由が丘で習ったストロベリーで。
順次、季節の果実でアレンジしてみることにチャレンジする。
朔は自由が丘でそれ以外にフランボワーズのスフレも習ったのだが、
それは後日に出し惜しみすることにした。
それもまたうれしい誤算として梶原兄妹をウキウキさせた。
「それと緑茶用の塩豆大福」
「『豆餅』と言うのでは?」
「う〜ん、どうします。関西では『豆餅』、関東では『豆大福』、どっちにします?」
「う〜〜〜ん、どうしようか〜、朔」
「譲殿、卸していただく京都のお店では、なんと呼んでいるのですか?」
「『豆餅』。 ま、当然だけど」
「では、そちらのお店の通り『豆餅』としませんか?」
「そ〜だね〜♪」
「今、結構"和カフェ"が流行ってますからね、案外いい線いくかもしれませんね」
「そうなると、いいね〜」
「そうなると、いいのだけれど」
日本茶に合わせた和菓子を探していた景時に、これも弁慶の紹介で、
文政4年の開店以来、他に卸したことのないという京都の老舗が、
その店の一番人気の豆餅を、毎日50個限定で直送してくるということになった。
それもやはり、譲にはヒノエ同様、不思議でならなかった。
「本当に熊野の連中は何をどうしているのか……、
得体が知れないというか、何をやっているのか分からないけど、
どうも、まっとうなことだけをやっているとは信じられないな。
あ、敦盛は……」
「次に、軽食です」
コーヒーに合わせた、アメリカンタイプのホットドック。
イギリス式紅茶に合わせたサンドイッチ。
どちらにも大事な食材であるハムとソーセージは、
譲の友人が、地元鎌倉でハムやソーセージの会社をやっている5代目跡取りというツテで、
格安に材料を卸してもらうことになった。
交渉に現れた先方の、引退した元3代目社長は職人気質の気むずかしい人なのだが
以前から譲とは、妙に話が合った。
その先代社長は、譲から朔のケーキ修行の話を聞いて気に入り、本当はそれ程甘い物が得意ではないのに試食して
「今時の若い者にしては、しっかりとした覚悟だ
その気概が、このケーキにも感じられる」
と、現社長が何と言おうと安値で卸させると約束してくれた。
梶原兄妹が喜んだのは言うまでもないが、老人の次の一言が譲と朔を慌てさせた。
「あんたみたいなお嬢さんが孫の嫁になってくれたら、我が社もあと100年は安泰なのだがな」
「そ、それは……」
「ダメかい? う〜ん、残念だな。ま、菫さんトコの譲君に怒られそうだからね、無理にとは言えないな」
「おじいさん……」
「譲殿……」
「ワハハハハ、ま、お幸せにな」
「それも、まだ早いですよ」
「ワハハハ。お嬢さん、譲君に愛想をつかしたら、いつでもおいで」
「だから!」
「どうしましょう……。その時はよろしくお願いいたします」
「さ、朔!」
「ワハハハ」
老人が帰った後も、譲はしばらく不機嫌だったという。
逆に、朔は
「よかった。譲殿に捨てられても、もらってくださる所が見つかって」
と、かなり後まで譲をからかっていたという。
その他の軽食として、譲の全面サポートによるドリアとオムレツ。
最近、景時が朔からokをもらったシラスガーリックトースト。
これが、現在の「cafe‐restaurant du dragon noir」の、出来る限りであった。
それでも、まだまだ梶原兄妹はメニューを増やそうとの野望に燃えていた。
ただし慌てず焦らず
まずはじっくりと一つ一つのスキルアップから確実に
そんな「dragon noir」の穏やかな一日が終わり、譲が帰り、店を閉め
兄妹二人で遅い夕食をとっていると、店の電話が鳴った。
「誰からかしら?」
「お客さんでは無いだろうな〜、もう閉店時間過ぎちゃってるもんね〜」
「はい、cafe‐restaurant du dragon noirです。申しわけありませんが、本日の営業は」
《 誰もそんな店で食事しようなんて思ってないわよ!》
「え!?」
かなり朔はムッとした。
その気分が景時に伝わったのか、朔を心配して側に寄り、受話器の声に神経を集中している。
《 もしもし! ちょっと聞いてるの? あのエセ陰陽師を出しなさいよ!》
その瞬間、同時に兄妹は一人の人物を思い描き、顔を見合った。
《 こら! 返事をしなさい!》
「あの〜、失礼ですが、お店をお間違えではないでしょうか?」
《 なんだって? cafe‐restaurant du dragon noirって今言ったじゃない 》
「『エセ陰陽師』というメニューは当店にはございませんので」
《 私を笑わそうとしてるのかい? 怒らせようとしてるのかい? どっちなんだい?》
「どちらでもございません」
《 なら 》
「こんな深夜に電話で『お前にヘボ占いなんかしてもらおうと思ってないわよ!』と告げても
当然、お客様なら笑っていらっしゃるのでしょうね。ご尊敬申し上げますワ」
景時はその時、恐怖にも似た感じを受けた。
( さ、朔〜、ものの言い方が政子様みたいだよ〜!)
《 あんた、あたしが誰だか知っていて、そういうモノの言い方をしているのかい?》
「はい、天下の太木加寿子大先生を知らない者など、鎌倉では生きておられません」
《 ああ、あの時いた小娘のどっちかだね、良い度胸だ。
気に入ったよ。あの陰陽師に伝えておくれ 》
「はい」
《 明日、あたしのスタッフがそっちに行くから、話を聞いて契約書にサインしなさい、と 》
「え? 契約書? サイン? あ、あの」
すでに電話は切れていた。
朔は、受話器を持ったまま景時の顔を呆然と見詰めたのだった。
08/03/24 UP