帰らないの? 敦盛さんルート・5月T
〜横笛の名手〜
横浜市内の
みなとみらいから石川町にかけて、この一ヶ月、こんな噂が囁かれている。
夕方、人気が少なくなった公園で、横笛を吹いている人がいる。
サックスやフルートは、たまに見掛ける。
なんと言っても、ここは横浜だ。
デートスポットには事欠かない絶好のロケーションとシュチュエーションに
メジャーへのチャンスを求める人や腕試しは言うに及ばず、
こっそり芸能事務所の企画した、新人売りだしのための話題作りイベントだったり
自己陶酔した奏者や、
カッコだけの勘違い野郎だって居る。
ただ、横笛。
しかもその音は
耳にした者を立ち止まらずにはいられなくするほどに、
切なく、美しい。
先週の金曜日は野毛山公園だった。
日曜日は陽が沈んでから外人墓地にいたそうだ。
一昨日は……
噂は噂を呼び、
吹いているのは、紫髪を風になびかせた美しい女性だそうだ…
今は絶えて伝えられていない雅楽を奏でている…
笛の音を良く聞いていると、他には誰もいないのに弦楽器の伴奏が聞こえてくる…
その奏者に声を掛けると、笛の音を残して、煙のようにかき消える…
その笛の音をカップルで聞くと、幸せになれる…
その笛を聞きながら「エフノバオアエフノバオア」と唱えると、遇いたい人と夢で逢える…
etc、etc。
日を追うごとに、尾ひれの方が大きくなっていく。
横浜市内の小、中、高校では、もっぱらの評判だ。
「本当なのか? ちょっと信じられないぜ」
「金曜が野毛山公園、日曜日が外人墓地、で、一昨日が港の見える丘公園でしょ、
今日あたり、ここか元町公園じゃないかって思ったんだけどな」
「帰ろうぜ、どうせ単なる噂じゃん。中ボンや高校生じゃ、ないんだから」
「う〜ん、残念」
「たおやかな美女? 今時、博物館にでも行かなきゃ、逢えないって」
「先輩、元町、回ってみますか?」
「人の話、聞いてる? それでも、まだ探すのか?
今時、美人が横笛? 無い無い。諦めようぜ」
「そんなこと言ってて、いいんすか? もう4日しか無いんですよ」
「そうだけど……、都内の音大あたってる連中が、誰か見つけてくるさ」
「だと良いんすけど。あ〜あ、期待したんだけどな。」
「どうだ、せっかく山下公園まで来たんだ?
赤レンガか中華街で、飯食って帰るか?」
「先輩のおごりっすか?」
「割り勘」
「じゃ、俺、損っすよ。先輩と俺じゃ食う量が3:1ってとこでしょ」
「食べ放題なら文句無……? え!?」
「どうしました?」
「この音……間違いない、横笛だ……」
「! ………凄ぇ」
何かを考えることすら忘れて、耳だけに集中して、聴き入ってしまった……
「なんて音だ……巧いとか……言葉になんねえ。
……『盤渉調』……かな?」
先輩の言葉に、我に返る
「……ええ、この前、教授が吹いてたやつに、何となく似てる」
「比べものにならねぇよ」
「あの教授、性格きついっすけど、日本じゃ五本の指に入る奏者っすよ」
「この音聴いていて、ホントにそう思えるか、お前?」
「…………行きましょ」
「え? あ、エフノバオアエフノバオア。よし」
「はあ? 『単なる噂』なんでしょ? 信じるんすか」
「ま、ね。これで絶世の美人さんだったら、俺、どうしようかな」
「先輩…」
まさか本当に山下公園に現れるとは、待っていた自分でいうのもナンだが、
ビックリだ。
氷川丸が見える芝生を急ぎ足で、音の方に近寄っていくと、
遠巻きにアベックが大勢集まっていた。
例の噂のせい?
なんか俺、不愉快。
でも改めてよく辺りを見回すと、
聴き惚れているのはアベックばっかりじゃない。
散歩やジョギングの途中の人達も、
買い物途中のおばさんも、
車を留めて(おいおい駐停車禁止だぞ!)窓を開けて聞くタクシーの運転手も、
ペットの犬たちも!
観光客は何かのイベントと勘違いしてるし、
下校途中の高校生集団は「例の笛だ」と急いで仲間にメールしてる。
それでも誰も、あからさまに写真や写メに近寄らないのは、
笛の音の、どこか凛とした、それでいて儚い響きのせいだろうか。
誰かひとりでもシャッターを切った瞬間に霧消してしまう、
そんな気分になる。
海を見ながら笛を奏でる、その後ろ姿は
噂通りの紫の美しい髪だ。
曲が終わる。
後ろ姿でも分かる大きな息をひとつする。
と、それまで黙って静かに聞き入っていた人々が
我に返ったようで
大きな拍手
そして、けたたましいシャッター音
「え!?」
と、声は聞こえないが、絶対そう言っただろう口のかたちをしたまま
驚いて後ろを振り返ったその人は
これもまた噂通り、いや、それ以上の美人であった。
「絶世の美人さんだったら、どうしよう」などと軽口を叩いていた先輩は
「お」と言ったきり、アホのように口を開けて見とれている。
「ヨダレ、垂れてますよ、先輩」
やれやれ、この人が雅楽、それも笙をやってること自体が謎だ。
その人は、これほどの観衆がいたことに驚いた様子で
(平日木曜の夕暮れ時とはいえ、
天下の観光地・横浜の山下公園で、そんな目立つことやっておいて、
その反応はないだろうってほど狼狽えて)
慌てて傍らにあったバックを抱えて走り出した。
え!? 速い!
「せ、先輩! 追い掛けましょう」
「ああ!」
同じように大勢の人が後を追う。
しかし皆、興味本位なのだから、すぐに諦める。
あっという間に何人かになってしまい、
県民ホールの前まで来た時には俺一人になっていた。
しつこいのが取り柄さ。
しかも切実な頼み事があるんだから、なおさら。
先輩は、
10mもしない内に「後は頼んだぞ!」なんて言って走るのやめてしまった。
なにやってんだか。
20代前半にしてメタボ半歩手前、
不摂生の塊だものな。
開港広場前交差点の赤信号でようやく追いついた。
死ぬ! 口から心臓が出そう……。
もうこれ以上走りたくない!
「あ、あの…ゼイゼイ、ちょっ…と…ゼイゼイ、待って! お願いが」
必死に言葉を絞り出す。
そう言えただけでも、俺偉い!
ガードレールに寄りかかり身体を支えないと、倒れそう
ああ、信号が青に変わる
行っいちゃう
逃げられちゃう
もう追い掛けられない
その時
「何か、私に用があるのだろうか?」
あの人が俺に声を掛けてきてくれた
ああ、助かった、追い掛けなくて済む
それにしても、なんてハスキーな声なんだろう、
まるで男……っていうか、男!!
もうダメ、今の驚きで心臓止まった
「用が無いのなら、これ以上追い掛けないで欲しいのだが」
! 心臓止まってる場合じゃない
「用! ありますあります。
用というよりもお願いなんです。
ぜひ俺達を助けてください」
「?」
これだけでは当然、事情が飲み込めないその人は、
どうしたらいいのか分からないといった顔で、俺と、今来た道を交互に見ている。
もう、俺以外、誰も追い掛けてなんか来……てる!
あれは、さっきメールしてた高校生の団体さんだ。
「すまないが、力にはなれない」
青信号を駆け出そうとするその人に、
最後の力を振り絞って併走し
「横笛の奏者! 探してるんです! 助けて!」
その人は急に路地を曲がり、走るのをやめて
「『助けて』とは、どういうことだろうか?」
「実は」
「こちらへ」
と、コンチネンタルホテルの中に入っていった。
コンチネンタルホテルのロビーは、平日だというのに結婚式や二次会の客が大勢いた。
フロント脇のソファーに座り
「すまないが、少しの間、ここにいてもかまわないだろうか?」
「え? ええ。これからここで結婚式か何かに出席ですか?」
だったらかえって、申し訳ない。出直そう。
「いや」
「じゃあ、何で」
「こういう所の方が、逆に目立たない。
追い掛けられると、こういった場所に逃げ込むことにしている」
追われるの、慣れてるのね。
窓の外を、高校生達が、こちらに気づかず、走りすぎる。
「で、見ず知らずの私に『助けて』とは、どういったことなのだろうか?」
何の前振りもなく、いきなりの本題。
ま、噂が本当で(絶世の美女ではなく、絶世の美男子だったが)
笛の腕も申し分なく(俺なんぞが「申し分なく」なんて言えたものではない)
年齢も俺とおなじくらいか、下手すりゃ年下
「率直に言います。俺達の管弦の演奏会に出て欲しいんです」
「演奏会?」
と?付きの言葉ではあったけれど、その目が一瞬輝いたの、俺、見逃さなかったぜ。
07/09/23 UP