帰らないの?  景時さんルート 5月U

〜朔の試練〜











携帯が鳴る。

朔は江ノ電からJRに乗り換えようとして、ちょうど鎌倉駅の券売機に並んでいた。



    相手は……

    望美?

    珍しいわね、

    あの娘がこんな早朝に……

    何かしら?



   「ハイ、朔です。何? 望美、どうしたの」



携帯の向こう側、望美のやや興奮した様子が声の感じで伝わる。



   《朔! 今から時間ある?》



   「どうしたの?」



   《今ね、リズ先生のお供で、江ノ島に来てるの》



   「リズ先生の? 怨霊が出たの!?」



   《違う違う! そんなんじゃないから安心して》



   「そう……、それでは、どうして土曜のこんな早朝に、あなたが起きていて、

    しかも江ノ島なんかにいるの?」



   《朔……、どういう風にあたしのこと見てるの?》



   「あ、アハハハ。べ、別に何でもないわ〜♪

    あなたが、御寝坊さんだとか、

    朝が弱くって、いっつもお母様に何とかしてくれって泣きつかれてるとかって、

    そういうことじゃなくて」



   《ふ〜ん、お母さん、あなたにそんなこと言ってたんだ》



    ああ、兄上……、言い訳って難しいですね



   「の、望美〜。で…、よ、用件、そう用件は何なの!?」



   《朔、誤魔化し方が景時さんそっくりよ。

    ま、いいか。

    あのね、すっごいニュースなの!聞いて聞いて!》



それからの望美の言葉は信じられなかった。



    え! 『暴れん坊奉行』の松形祐樹さんと一緒にいる!!

    何で!!!

    ええ!?

    北町奉行所同心役の大嶋悠輔さんも来る!?

    来るって、江ノ島に!?

    どうしてリズ先生と望美が???



    でもでもでもでも



   「ああ、望美……。どうしよう、行きたいわ。

    けれど、けれど、「今日」はだめなの

    今日だけは…

    今日は2ヶ月待ってやっと申し込めたケーキ教室が今日で

    だから今、自由が丘に向かってる途中なのよ。

    有名なパティシエが、12人限定で四種類のスイーツの作り方を教えてくれるの。

    ああ、ホントに残念だわ」



    ホントに本当に……

    何でよりによって、今日なのかしら。

    昨日だったら……、

    明日だってよかった
    いいえ、現世界こっちに来た時から今日までで、「今日」以外だったら、いつでも良かったのに

    よりによって「今日」だなんて



    残念だわ



    でも、これも運命ね。



    今日は、自由が丘でスイーツ作りを学ばなくては…





    書物によって、ある程度のスイーツ作りの知識は仕入れた。

    譲殿の厨房をお借りして、何度か試しに作ってもみた。

    東京や横浜に足繁く通っては、今評判のスイーツを、観て、味わって、研究もした。

    自分なりには試行錯誤をして、努力しているつもりだった。



    しかし、何度作っても、何かが足りない。

    兄上は、美味しい美味しいといって下さるし、



   「下手なケーキ屋より、よっぽどましじゃねえか?」

       将臣殿…「下手な」ケーキよりまし程度ではダメなのです。

       「どこよりも美味しい」スイーツを作りたいのです。



   「美味しいですね。景時の店にも、これで行く楽しみが増えました」

       兄上の珈琲や紅茶と同程度の楽しみでは困るのです。



   「実に美味だった」

       どこがどう「美味」なのかを、御教授願いたいのですが……



   「私などが言うべきことでは無いが、

    この『けーき』という菓子に、何の心配も不要なのではないのだろうか。

    この味なら自信をもって店の品書きに加えられるべきだと考えるのだが」

       お心遣いはありがたいのですが、敦盛殿、好き嫌いの多いあなたのお言葉は、

       信憑性に著しく欠けるのです……申しわけありません。



   「朔ちゃん、いいよ。これ。いけるって、絶対」

       お心遣いはありがたいのですが、ヒノエ殿、あなたのお言葉は、

       お言葉そのものの信憑性が著しく乏しいのです。

       ゴメンなさい



       八葉の方々も褒めては下さるのだけれど……。

       譲殿の本当のホンネのところではどうなのだろう??



    私の作り方を隣で眺めておられて、見よう見まねで作られる譲殿のモノの方が

    数段、綺麗で、しかも美味しい……。



    譲殿は「できるだけ手伝ってあげるから」と、仰ってくださるけれど、



    それでは駄目。

    それに「手伝ってあげる」程度なのですね、私はまだ……



    譲殿は、学校での学業と、部活動という鍛錬があるのです。

    それに、これは私と兄上が、この世界で職業としてやっていかねばならぬ事。

    譲殿の助力ばかり期待していては、私達兄妹はいつまで経っても自立できなくなってしまいます。





    パティシエの方の多くは、仏蘭西フランスという遠い異国で何年も修行されてこられたと聞いている。

    私もそうすべきなのかも知れない

    今の私にとっては、遠い異国といえども、住み慣れたあの異世界の遠さにくらべれば

    船やら、あの空飛ぶ飛行機とやらで行き来できる距離など「遠く」ないと思えてしまう



    だけれど……



    お店の開店は6月末を予定している。

    今年の海開きは7月1日だそうだから、遅くともその日までに……



    だから、どうしても、その日までに独力で私のスイーツを完成させねばらないのです。




    ああ、それにしても、江ノ島……




悶々としながら、JR鎌倉駅の改札に向かう朔であった。






   「cafe‐restaurant du dragon noir」



何日か前に、望美にアドバイスしてもらい、景時が苦心して苦心して苦心して

やっと決めた店の名前。



日本語では、どう書き表してもスイーツや珈琲・紅茶の店という雰囲気にならず、

スイーツや珈琲、紅茶の本場と言われる国々の言葉で書き表してみて

決めた。





可愛い妹、朔にはまだ言っていない。



というより、

  「兄上! 真面目に考えてください!」と一喝されはしないだろうか

  「どうしてこの名にしたのです!」と嫌がられはしないだろうか

  「黒龍と私のこと、どう思っていらっしゃったんですか!」と詰問されるかもしれないし……

あれやこれやそれやどれや、

思いが巡って、結局のところ、まだ朔に言えない。

言う勇気が出ない。

言うタイミングがつかめない。





慣れない外国語。



アルファベットすら分からなかった景時は

どうしようもなくて、現世界で「大学」という学問機関に入ったヒノエを頼った

のだが……



   「朔ちゃん、このこと知ってるの?」



   「いや、驚かそうと思って、さ」



   「譲も苦労するな……」



   「え? 譲君が何で?」



   「分からないのかい? ……あのな」



   「それにさ、これ望美ちゃんの『あどばいす』なんだよね」



   「神子姫の? おいおい本当かい?」



   「嘘なんか言わないよ〜♪」



   (望美、何考えてるんだ? 譲と朔ちゃんの仲、知らない訳じゃないだろうに…

    それとも、「龍神の神子」として、凡人には分からない別の何かがあるのか?

    ……、無いな。無い無い、それは無い。

    俺の神子姫様はそんなに物事を深く考える柄じゃないじゃん。

    ま、望美の直感は意外と……

    そいつをリズ先生は「お前の『決断』はいつも正しい」と言ってた……けど…

    ふ〜ん、読めないね、こいつは、どうも)



   「ヒノエ君? 黙り込んじゃって、さ。どうしたのかな〜?」



   「ふ〜ん……、で?」



   「え? 何?」


   「スイーツなら仏蘭西、独逸ドイツ白耳義ベルギー伊太利亜イタリア
    珈琲は仏蘭西、伊太利亜、それとせいぜい亜米利加アメリカってとこかな。
    紅茶は何と言っても英吉利イギリスなんじゃない。

で、何処の国の言葉がお望みだい?」



   「その全部が、違う言葉なのかい?」



   「おいおい、一度くらいは地球儀とか、見たことあるだろう?」



   「地球儀? いや、全然」



   「世界地図とかは?」



   「現世界に着てから見たのって、せいぜい日本地図……。

    あ、でも関東のロードマップは毎日、見てるよ♪」



   (おいおい、大丈夫か?)



そんなヒノエの気持ちを察してか、やたらとあれこれ、弁解めいた口調で捲し立てる景時



   「そ、それに『じゃりん』とか『るぶぶ』の観光マップもよく見るよ

    『東京』、『横浜』でしょ、『お台場』に『湘南』、『鎌倉』とか『京都』に『神戸』、『大阪』、

    『萩・津和野』とか『金沢』、『温泉特集』や、ああそうだ♪ ヒノエ君の『熊野古道』♪

    『北海道』とか『沖縄』も現世界では同じ国なんだよね〜

    それに『ユー・エフ・ジェー』と『東京ネィズミーリゾート』♪」



   「分かった、分かった。やれやれ、遊び心満載だね。

    いっそのこと、喫茶店なんか辞めて、ツアーコンダクターにでもなった方がいいんじゃない?」



   「つああ? 何だって? もう一度言ってよ」



   「九郎と話が合うのが何となく分かった気分だね。

    冗談だから、ツアーコンダクターの話は忘れてくれ」



   「ツアーコンダクター……。ツアーコンダクターね〜」



   「景時、で、どうする、どこの国の言葉にするんだい?」






夕刻、土曜日なので通勤ラッシュではないのだが、

自由が丘から横浜までも、横浜から鎌倉までの電車はどちらも、妙に混雑している。

完成したケーキの入った箱を大事に脇に抱え、この混雑から庇う。

肩に提げたバッグの中には、今日の料理教室のレシピと朔自身のメモも入っている。



    キャラメルケーキとストロベリーミルフィーユ、フランボワーズのスフレにレアチーズケーキ♪



何度、心の中で繰り返しただろう。



    このケーキ♪ 現世界で1番の自信作 現世界で1番愛しいスイーツ♪



    今日のパティシエの先生は女性だった。

    女性ながら、仏蘭西に渡り5年も「みしゅらんのみつぼし」レストランで修行なされ、

    その店で日本人としては初めてのチーフパティシエになられた方。

    その方から、直々にお褒めの言葉も戴いた。



    このケーキにもう少し、私独自の「あれんじ」を加えれば、

    私の「おりじなる」として、店に出しても胸を張れるわ。



    そうよ、今日の受講生の中で、私だけが必死だったのだもの。



      町田から来たという仲の良さそうな3人組は、「話のネタ」だと言っていた。

      パティシエの方が説明をされている間も、楽しそうに語らっているのが少し……



      広尾のおば様はとっても上手でいらっしゃったけど、単なる趣味だと仰っていた。

      凄く手際が良くて、色々なことを教えていただいた。

      あの手際と、出来上がりの完成度の高さは、絶対、職業としても成り立つと思うのだけれど

      もったいない……望美、この世界には本当にいろいろな方がいらっしゃるのね



      柿の木坂のお嬢さんは「花嫁修業」だと言っていたけど、

      現世界では「花嫁」になるのに、スイーツの修行が必要だとは知らなかったわ。

      望美……あなた、どうするの? 



      代官山の奥様2人は………



    私以外は誰も、ここで教えを受けたからといって、それを職業に活かすわけではないのね。



    私だけが、まなじりを釣り上げて……



    でも、だから、そんな私の気持ちを察してか、パティシエの先生は何かと親身になってくださった。



   「何か分からないことがあったら、私の店にいつでもいらっしゃい。

    午後なら必ずいるわ、と言っても、月・水・金は六本木店、日・火は青山、木・土は白金台よ。

    あなたなら、いつでも歓迎よ」



と、名刺の裏にメモまでして渡してくださった。

ありがとうございます、先生。

あまりの嬉しさに、少し涙腺が緩くなる朔であった。







   「ただ今、兄上」



   「お帰り〜♪」



アパートのドアを開けると、珍しく景時が夕餉の準備をしていた。



   「兄上、実はとってもいい話があるのです」

   「朔、 実はとってもいい話があるんだよ〜」



朔は後ろ手に隠したケーキの箱を、兄に差し出した。

景時は胸のポケットから店の名が書いてあるメモを、可愛い妹に差し出した。











07/10/27 UP

NEXT→

←SS TOP