帰らないの? リズ先生ルート・5月U
〜運命のひとこと〜
一瞬にして私と先生は、弁天橋の江ノ島側に立っていた。
朝早いせいか、突然現れた私たちの姿を見ていた人はいない。
「神子、これを」
先生の差し出した包みを受け取り、開くと、おにぎりと卵焼き。
この卵焼き、先生が?
「私ではない。朝早くに、天の白虎が持ってきた。『お二人でどうぞ』と」
「譲君が!? そうか、リズ先生の釣り、ホントに見たかったんだ。
譲君、今日来られないの、残念がってたから」
「うむ、そう言っていた」
「他に何か言ってませんでしたか?」
「『自分も頑張るから、私も頑張ってくれ』と」
「それだけですか?」
「……『先輩はギリギリか、少し遅れてくるだろうが、許してやってくれ』と」
「私の行動、読み切られてる…」
「さ、食べなさい。空腹は判断力と持久力を鈍らせる。健康にもよくない」
「先生も一緒に食べましょう」
「うむ」
二人して、近くのベンチに座って食べてると、ロケの車が数台やって来た。
車から降りたスタッフさん達はみんな、先生が先に着いてて、しかもおにぎり食べてる姿に驚いてた。
昨日会ったADさんが嬉しそうに、走ってきた。
「先生、早かったですね。あ、春日さん、おはようございます」
「おい! ロケ先どこにすりゃいいか、早いとこ決めてもらえ」
「はい、監督! 先生、早速ですが、どの辺りにしますか?」
「うむ」
先生はおにぎりを頬張ると、ゆっくり海面を眺めた。
『おい、あの外人さん、ホントに釣りの腕、大丈夫なのか?』
『この近辺じゃ有名な方らしいですよ』
『今日しかもう無いんだから、失敗しましたってワケにはいかねぇぞ』
『ところで彼、日本語、通じるんだよな?』
『何人なんだ?』
『国籍は日本って話です』
『松形さん、外人OKだったよな』
そんな会話が小声で交わされる。
松形さん? そうか、この番組は俳優の松形祐樹さんが釣りする番組なんだ。
烏帽子岩は朝靄に霞んでる。
ADさんとリズ先生、波打ち際まで降りて、海を見てる。
釣りするでもない私はお邪魔虫かな?
「お嬢ちゃん、スタッフじゃないね?」
「え? あ!?」
「おいらの顔、知ってるの?」
「はい、俳優の松形祐樹さんですよね」
「うれしいね、こんな若くて可愛い娘にも知っててもらえてるなんて。
おいらもまだまだ、役者で食ってけるかな」
「初めまして。私、春日望美です。
『暴れん坊奉行』いつも見てます♪
(ホントは朔が、なんだけど)
今日は、リズ先生が釣りの番組に出るって聞いたものですから、見学に。
……お邪魔でしょうか?」
「とんでもない。若い娘が見てるって思うと、おじさん、俄然頑張っちゃうね」
「じゃ、見学してても」
「当然当然、特等席、用意するように言っとくよ」
「あ、お邪魔にならないように、後ろの方でいいですから」
「何、若い娘が遠慮してるの。それより2、3、質問してもいいかな?」
「はい、私に答えられることなら。
何でしょうか?」
「リズ先生ってのが、あの外人さんだってのは、来る時にスタッフから聞いてるんだけどね」
「はい」
「リズ先生の『先生』って釣りの先生なの?」
「いえ、書道教室を極楽寺の方でなさってて」
「へぇ、見るからに外人さんって人なのに、書道の先生かい」
「はい」
「先生って呼んでるってことは、お嬢ちゃんも書道、習ってるの?」
「え?……いえ」
「じゃ、何であの人のこと『先生』って呼んでるの?」
(剣の先生だなんて、時代劇スターの前で言って良いのかな?)
「え〜と、そ、それは……」
「剣を教えた」
「先生」
「剣? って剣道ですか?」
「剣道?」
「う〜ん、凄いね、どうも」
「?」
「金髪碧眼、長身、ハンサム、足長っ!
国籍・日本人で、書道と剣道で弟子までいて、湘南の釣り名人。
凄いよ、どうも。
リズヴァーンさん、おいらも先生って呼んでいいですか?」
「いや」
「何でです?」
「あなたの方が年上だ。リズヴァーンと呼び捨ててくれてかまわない」
今日のロケにはもう一人、時代劇俳優の大嶋悠輔さんも参加していた。
朔も来ればって、慌てて連絡した。
【景時さんルート 5月Uへ】
朔は、携帯の向こうで大きな溜息をして
『ああ、望美……。どうしよう、行きたいわ。
けれど、今日は2ヶ月待ってやっと申し込めたケーキ教室で、今、自由が丘に向かってる途中なのよ。
有名なパティシエが12人限定で、四種類のスイーツの作り方を教えてくれるの。
ああ、ホントに残念だわ』
かえって朔に悪いことしちゃったかな。
ゴメン、朔。
釣りはまず、江ノ島で一番南になる『鵜島』っていう磯で始まった。
先生の指示で、松形さんと大嶋さんが釣り糸を垂れる。
カメラさんと音声さんが何人も、あれこれ場所を移動しながら撮影を開始した。
先生も綺麗に釣り糸を投げ入れた。
30分程で、先生が20cmくらいのイシモチを2尾、
松形さんがそれよりちょっと大きいカサゴを1尾釣り上げた。
魚の種類は、ずっと一緒にいてくれたメイクの西山さんっていう女性が、説明してくれた。
彼女は趣味が釣りで、この釣り番組の仕事は自分から志願して、
どこのロケにもついていってるそうだ。
その後30分程、誰も釣れずに過ぎた。
今日まだ何も釣れてない大嶋さんの意見で、場所を変えることになった。
磯伝いに西に移動して、『水道口』って呼ばれるところでロケ再開。
すぐに先生がメバルとイシダイを釣り上げた。
松形さんは、そんな先生にすっごく感心して、「さすがは先生だ」とか「素晴らしい」とか絶賛してた。
大嶋さんは何かそんな二人の様子に、イライラしてるようだけど、
芸能界の大先輩と、その先輩が先生と呼ぶ人に何か言うわけにもいかないので、
スタッフさんへの口調がトゲトゲしたものなってきた。
私も釣りは、以前この江ノ島で先生としたくらいだけど、
そんな素人の私から見ても、大嶋さん、すっごくせっかちだし、上手とは言えないんじゃないかな。
あの時、なかなか釣れない私に先生は
「空を見なさい。」
「息を十分に吸ってみなさい」
って、落ちつかせてくれた。
そして「日々の糧を得るにも、己の心と向き合うにも焦ってはならない。
何かにとらわれては見えなくなるものもある。わかるな?」とも。
メイクを直してた西山さんに向かって、大嶋さんが自分のイライラをぶつけて
「釣り上手のあんたなんかは、腹ん中で下手くそって思ってんだろ」
「そんなこと思いませんよ」
「あ〜あ、帰ろっかな」
「釣れない時って、何やっても釣れないもんですから」
「どうせ何やっても釣れね〜よ!」
「そんな」
「すみませんね、番組的に使える画にならない出演者で」
「大嶋さん」
あちゃ! 私のバカ! 西山さんの困った顔に、思わず間に入って話しかけちゃった。
けど、どうしよ?
「ああ? 誰? 関係者以外入って来ちゃダメなんだぞ」
「あ、その娘は」
「何? 西山の知り合い? で? サインでも欲しい?」
「いえ、あ、ごめんなさい。ただ」
何言えばいいの? 考え無しの私!
「ただ、何?」
「あ、あの、『釣れないときは空を見なさい。そして深呼吸をしなさい』って、
リズ先生が前に仰ってました」
「はぁ? 何で海面じゃなく空? バカにしてんのか?」
「いえ、『釣りも、己の心と向き合うことも焦ってはならない。
何かに囚われると見えなくなるものがある。』とも仰ってました。分かります?」
「いいや、全然。小難しい精神論は嫌いでね」
「おいらは分かるような気がするね」
「大先生」
「その呼び方はよせって言ってるでしょ。松形さんでいいって。
長げぇこと役者やってるだけで、先生なんて呼ばれたかぁ無えんだ。
その上『大』まで付けられた日にゃあ、背中が寒くなる」
大嶋さんは何だかバツ悪そうにして、向こうに行っちゃった。
「大嶋さん、大丈夫ですか?」
「あいつぁ、若い中じゃけっこう有望株なんだがね、どうも、気が短くて。
で、釣りでもして、こう、のんびり構えることぉ身につけてくれりゃいいって思って、
何度か誘ったんだけどな」
「そうなんですか」
「それより、さっきの台詞、いいねぇ」
「え?」
「『釣りも、己の心と向き合うことも焦ってはならない。
何かに囚われると見えなくなるものがある。』ってやつさ」
「あ、すみません。偉そうに」
「いや、良い先生なんだね、あの人は」
「はい」
「ちょっと、お嬢ちゃん、竿、持ってみな」
「ええ!? 釣り竿、ですか? 以前、一度リズ先生に教えてもらっただけですよ、私」
「いいからいいから。うん、構えはけっこうさまになってるな」
「そうですか?」
「ま、釣りじゃ無ぇけど、な」
「え?」
「剣道。けっこうスキの無い構えじゃねぇか」
「無論」
先生、いつの間にか近くにいた。
「この娘に剣道教えたんですって、リズ先生」
「うむ」
「おいらも時代劇で食ってるんで、多少は剣道もやるんだけどさ。
先生、あんたって人は面白いね。奥が深い」
「動きを見れば分かる」
「へぇ、さすが。
今度、剣道でも御教授願いたいもんですぁね。
それに先生の書いた『書』ってのも、俄然興味が湧いた。
是非、機会があったら見せてくださいよ」
「かまわぬ」
「約束ですよ」
休憩が終わって、釣り再開。
リズ先生と松形さんの二人がかりで、大嶋さんに釣りの指導。
その甲斐あってか、松形さんも大嶋さんも徐々に当たりが良くなった。
午後からは更に西に移動して、昨日、先生がおじさんに言ってた『大黒鼻』っていう所まで移動した。
もう、この頃には誰もリズ先生の言うことに疑問は差し挟まなかった。
結果的にはかなり釣れて「昨日までの苦労は何だったんだろう」ってスタッフの人達も喜ぶロケとなった。
ロケの終わりに竿を引き上げていると、大嶋さんの釣り竿に魚が一匹かかっていた。
その魚がドジョウみたいで、大嶋さんが「海でドジョウが釣れた」って笑って、
釣り針から取ろうとした瞬間
「ならん!」って先生が大声出して、魚を取り上げてしまった。
大漁に気をよくしてた大嶋さんは、ムッとして
「何だよ!」って怒ってたけど
先生はそれを無視して、魚のひれを切り取って、さっさとさばいてしまった。
それを見ていた番組ディレクターが
「大嶋、先生にお礼言っとけ」
「何でです?」
「下手すりゃ、命の恩人だぜ、リズヴァーンさんは」
「はあ?」
「こいつはドジョウじゃ無ぇよ。なあ、松形さん」
松形さんが話を受けて
「ああ、ゴンズイだ」
「ゴンズイ?」
知らないのは私と大嶋さんだけみたい。
「あの、ゴンズイだと、なんでリズ先生が命の恩人になるんです?」
「お嬢ちゃん、こいつのひれにゃぁ、けっこうな毒があってな」
「体質によっては死に至る」
「えぇ! 先生、ホントですか!?」
「先生がこんな冗談言うかい? だから胸びれも背びれも取っちまった。
それにしても、魚さばくのがまた、手際良いねぇ。
先生、ホント、あんたって人は何ぃやっても名人ですねぇ。
ぜひ、またどこかで御一緒したい。
約束ですぜ」
「うむ」
先生の「うむ」一言が、それからの私達の運命を大きく変えることになるとは、
逆鱗を使わなくなった私にもリズ先生にも、
まったく分からなかった……
分からなかったんですよ……ね?
リズ先生?
07/09/19 UP