帰らないの? リズ先生ルート・6月X
リズ先生の休日
「松形祐樹の釣り自慢! 鮎の友釣りに挑戦」の放送を待たずに、
岐阜県知事から大江戸テレビと同番組宛てに感謝状が届き、
それを大江戸テレビ上層部は喜んだ。
大江戸テレビ報道部が取り上げて、メインのニュースで流したことから、
リズヴァーンという異色の外人が、
一部一都三県地域で話題となった。
特にその出自はミステリアスで、昼のワイドショーで奥様方に格好の話題を提供した。
30歳台の金髪・碧眼、白人、容姿端麗、
長身、引き締まった筋肉美、謎の火傷痕、
そしてその傷痕を隠すかのような襟の高い渋い服装
(さすがに釣り番組でマスクはしなかった)、
しかも意外なことに日本国籍で、海外へ行ったことはないという。
それどころか、日本語しか話せず、現在は鎌倉で書道教室を開いているという。
その書は豪快にして流麗達筆ながら、
どこをどう調べても、国内外のどの書道会・流派にも属していないという不思議。
葉山から藤沢にかけて、特に江ノ島の釣り人・猟師から絶大な尊敬と信頼を集める釣りの名人。
凛とした近寄りがたい雰囲気とは裏腹に、
老人から子供まで交友は多岐に渡る人気者。
酒も嗜むが乱れたところを見た者は皆無。
甘い物、特に生チョコを好む意外な一面もあるという。
書と釣りのみに留まらず、彫刻や象眼まで多彩な分野に秀でた才能をみせる芸術家。
あの時代劇の大物スター、松形祐樹が『先生』と呼ぶほどの、
剣道は言うに及ばず武道全般にわたる達人だという。
物静かな無口さが、そのカリスマ性を裏打ちする。
自然を愛し、無益な殺生を好まず、
エコとロハスと環境保全についても一家言を有した知識人らしい云々。
かなり尾ヒレもついているが、あながち嘘とは言えないさまざまな修飾語句で語られながらも
当の本人はいたって変わらず
今日も江ノ島の白灯台脇で釣り糸を垂れている。
「リズ先生」
「神子……」
「釣れました?」
「…今日は、潮目が難しい…」
そう言うリズヴァーンだったが、
望美は、名前は憶えていないが、魚屋やスーパーの鮮魚コーナーで
恭しく鎮座する高級魚として見たことのあるいくつかが、リズヴァーンのビクの中ではねていた。
「! あの、先生」
「……」
「携帯、…鳴ってますよ」
「……ウム」
「出ないんですか、携帯?」
「……分かっては……いるのだが……」
そう言いながらも、先程から視線を釣り糸からそらそうとしない。
珍しいこともある。
そう、望美は思った。
律儀が服を着ているようなリズヴァーンが、かかってきた電話に出ないという。
「……先生」
「……」
「何かあったんですか?」
「……神子…」
「はい」
「…………」
波が防波堤に砕ける音だけが響く。
その時、望美の携帯が鳴った。
「え? あ、……すみません」
「問題ない」
望美はポーチから携帯を取りだして、かけてきた相手を確認した。
相手は、弁慶だった。
「はい、望美です」
『ああ、望美さん。お忙しいとは思いますが、今、大丈夫でしょうか?』
「クス。忙しくないですし、大丈夫です」
『ありがとうございます』
「何でしょう?」
『実は、リズ先生がどちらにいらっしゃるか、御存知ではないかと思いましてね』
「リズ先生、…ですか?」
釣り糸を垂れるリズヴァーンの背中を見ながら、
リズヴァーンに聞こえるように、望美は声に出してそう言った。
ピクッと彼の背が動いたように感じたのは、望美の気のせいだろうか。
『ええ。一昨日から、いろいろな方面の知り合いが、リズ先生と連絡を取りたがっているのですが、
先生といっこうに連絡がつかないということでしてね。
で、僕のところに泣きついてこられましてね』
「何で、リズ先生に連絡を?」
『ま、早い話が例の釣り番組とかニュース報道を見た方達で、
先生にテレビへの出演依頼とか、雑誌の対談とか、
気の早い方になると、先生にロハス系の本を執筆していただきたいと』
「すご……」
何となくリズヴァーンが電話い出たくないのが分かった気がする望美だった。
『で僕としては、あれこれバラバラでリズ先生に頼み事をすると、
煩雑になりますし、それに先生も御迷惑でしょうから』
「そうですね」
『そこで、僕が一括して窓口になろうかと考えましてね』
「ああ(弁慶さん、しっかりお仕事してるんですね)、そうですか」
『で、どうでしょうか』
「…え?」
『いやだな。リズ先生がどちらにいらっしゃるか、御存知ないでしょうか?』
「あ、ああ」
陽が高い。
リズヴァーンが潮目を読むのが今日は難しいという海の波は、しかし穏やかに見える。
望美はリズヴァーンの背中を見つめて
「そうですね。
……あの、分かったら、どうしましょう?
先生御本人に、弁慶さんと連絡を取るようにお伝えしましょうか?
それとも、私が弁慶さんに居場所を連絡する方がいいですか?」
『どちらでもかまいませんよ
でも、……そうですね。
早く連絡がつく、そう望美さんが思った方でお願いします』
「ハイ、分かりました」
『よろしくお願いします。
では、僕はあと何カ所か、心当たりに連絡してみますので』
「ガンバッてください」
『……ありがとうございます。では』
「はい」
静寂
波音
遠くにトビの鳴く声も聞こえる。
今日は長閑な日曜日。
「先生、お腹、空きませんか?」
「そこに握り飯がある。それで良ければ食べなさい」
「でも、先生のお弁当じゃぁ」
「問題ない。誰か来ると思って多めに握ってある」
「さすが。じゃ、私、自販機でお茶でも買ってきますね。
先生もお茶でいいですよね」
茶なら水筒の中に
そう言う間もなく、望美は駆けていってしまった。眩しい笑顔をふりまいて。
数分後にはまた同じ眩しさで、息を多少弾ませながら、走ってくるに違いない。
私は、神子を、あるべき世界に帰すことができたのだ
その幸せに心和むリズヴァーンであった。
いつの間にか望美がマナーモードにした、携帯の着信を知らせる点滅を見つめながら。
10/11/28 UP
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