弁慶さんルート・2月 − 如月 六
ピンポ〜〜ン
御霊神社近くのアパートに弁慶が尋ねてきたのは、まだ明け切らぬ冬の朝だった。
景時が、まだほとんど眠った状態のまま夢遊病者のように玄関に近付き、
ドアの覗き穴から外を確認しようと顔を近づけると、
「おはようございます、景時」
とドアの内側に誰が立っているのかが分かっているかのように、にこやかな弁慶が立っていた。
「べ、弁慶?? あ、ああ〜〜、おはよ〜」
そう言って、半分ほどに目が醒めた景時がドアを開ける。
奥から朔の声が聞こえる。
「兄上? どなたですか?」
「ああ、朔殿。こんな朝早くに申し訳ありません」
弁慶も声の方に向かって言った。
「え? 弁慶殿なのですか?」
そう言って玄関先に出て来た朔はエプロン姿だった。
「朝餉の支度中でしたか。すみませんね、こんな朝早くに」
「弁慶殿、何かあったのでしょうか?」
「あ〜、九郎なら〜、昨夜、食事が終わると直ぐに帰ったけど〜?」
「ああ、そうでしたね。お世話になりました。突然の頼み事で、お二人に申し訳ない事をしてしまいました」
深々と頭を垂れる弁慶に、やっと完全に目が醒めた兄と妹は恐縮してしまい
「べ、弁慶〜、よしてよ。そんなに改まって。他人行儀だな〜」
「そうですよ、弁慶殿。何かあった時は助け合うのが当たり前ではないですか」
「そう言っていただけると、本当に助かります。ただ、今朝は別に九郎を迎えに来た訳ではないのです」
「じゃあ、何かな〜〜」
「僕は昨夜、リズ先生のお宅に泊めていただいたので」
「え〜〜、そうなんだ」
「兄上」
「別に酒盛りというのでも無かったのですが。まあ、飲みましたけど。実は、リズ先生に報告があったもので」
「報告〜?」
「何の、ですか?」
朔が用心深く弁慶の様子を窺う。
(今日の弁慶殿はどこかおかしい)
いつもなら、必要以上に爽やかな笑顔を撒き散らし、弁舌軽やかにアレコレ述べるはずの人物が
今日は何やら歯切れが悪いような気がする。
「で、先生は、今朝早くから釣りに出ると仰ったものですから」
「?」
「あの…、お邪魔してもよろしいでしょうか?」
「え? ああ、申し訳ありません、玄関先でこのような。兄上、御案内を」
「御意〜。まぁ、案内って言っても2DKだからね〜。さ、キッチンにどうぞ〜」
スリッパを弁慶に差し出し、弁慶が履き替えるのを待ってから景時が歩き出す。
「こっちが朔の部屋で、こっちがオレの部屋〜。
で、突き当たりがダイニング・キッチン。って言うと聞こえが良いけどね〜〜」
「陽当たりは、とてもいいのです」
後ろから従う朔が笑いながら言う。
「御霊神社の杜を抜ける風の音も聞こえますし、冬なのに気持ちの良い暖かな部屋です」
「それはいいですね」
「あと江ノ電の音もね〜〜」
「沿線の方にとって、江ノ電はステイタスなのだとお聞きしたことがありますが」
「そうらしいんだけどさ〜。『長閑』って言うにはね〜、まだ、機械音だから慣れないけど」
「私は、兄上の部屋から聞こえる機械音の方が、慣れません」
「ええ〜〜!?」
「『キリキリ』とか『キューン』とか。何をされているのか、……だいたいは想像つきますけど」
「あ、あはは〜〜。さ、7歩で到着〜〜。ささ、どうぞ〜」
と、景時はキッチンに入って弁慶に椅子を勧める。
「今、お茶を煎れます」
「いえ、朔殿、お気遣いは無用に。それより、申し訳ありませんが、お二人ともこちらに座っていただけませんか?」
「何かな〜?」
「何でしょう?」
「どうぞ」
その弁慶の表情に、兄妹は互いの顔を見て頷いてから、弁慶に対面する席に座った。
「実は」
「はい」
「お二人にお知らせせねばならないことがありまして」
「何でしょうか?」
「何かなぁ〜〜?」
「つい先日、ちょっと所用がありまして、向こうの世界に行ってきたのです」
「へぇ、向こうの世界に…… ! え〜〜!! どどどどうやって!」
「兄上、落ち着いてください」
「だって、朔ぅ〜!」
「弁慶殿は『私達に知らせる』為にいらっしゃったのですから。
そんなのっけから話の腰を折るような事を仰っては、話づらいではありませんか」
「そ、そうだね〜。アハハ」
「朔殿、お気遣い感謝いたします」
「で、私達に何を?」
「実は、向こうの世界の鎌倉に」
「か、鎌倉に〜?」
「朔殿、景時、あなた方の御母上君は、もう…」
「え? え?」
「は、母上が? 『もう』? 弁慶殿、母上がどうされたのです!?」
「御母上君は住んではいらっしゃらないのです」
「な、なんでぇ〜〜!?」
「で、弁慶殿、母上はどちらに……? ま、まさか鎌倉殿にお咎めを受けて……」
「さ、さ、朔ぅ〜、縁起でもないことはよそうね〜」
「ですが兄上」
「べ、弁慶。知ってるんだろう〜。教えてよ〜〜」
「ああ……、景時…。実は…」
「ゴクッ」
「ああ、母上…」
「『梶原』の御母上君は、もう」
「『もう』?」
「『もう』〜?」
「鎌倉には、いらっしゃらないのです」
「え〜!?」
「ど、どちらに、移られたのです? ま、まさか流罪に」
「さ、朔ぅ〜〜」
「いいえ、そうではありません。
敢えて言えば、『梶原の御母上君』という方は、もうあちらの世界には存在されないのです」
「な〜〜んだ、じゃあ、今、現代に居るんだ〜〜。どこにいるのかな〜」
「兄上? 弁慶殿の仰っていらっしゃるのは、そういう事なのでしょうか?」
「ハハハ〜〜、そうでしょう〜。当たり〜〜ってね」
「そうではありません」
「え〜〜〜! そ、そんな〜〜…」
「ま、まさか……は、母上は死z」
「さ、朔ぅ〜〜」
「兄上! だから、だから戻ろうと! だから母上をお一人にしてはいr」
「二人とも落ち着いてくださいね」
「っこここここれが落ち着いて」
「落ち着いてなどおれません!」
「い、いつ、いつだったの〜?」
「母上はどこの寺院に?」
「僕はまだ、一言もお二人の御母上君が亡くなられたなどと、言ってはいませんよ」
「え? ですが」
「へ? だってだって、あっちの世界に存在しないって」
「どういうことですか? おからかいなさるのもほどほどにして下さい!」
「ああ、僕の言い方が拙かったようですね。御母上君は生きておられますよ、当然」
「ですが、鎌倉には居ないと。いえ、それどころか存在なさらないとまで仰ったではありませんか」
「ええ」
「どどう、どういうことかな〜〜」
「京でお会いしました」
「京で〜?」
「では何故『存在なさらない』などと」
「それは…」
「弁慶〜〜!」
「弁慶殿!」
「御母上君は」
「母上は〜?」
「母上は?」
梶原兄妹は同時にゴクリと喉をならした。
「御再婚なさいました」
「え!?」
「さ、再婚〜〜〜??」
「ですから、鎌倉にも居られないですし、『梶原』でも無くなったのです。
話は最後まで聞いてくださいね」
「母上は」
「御無事、なのですね」
「当然です」
「ああ……」
「よかった〜〜」
「それどころか、お幸せそうでしたよ。
僕の施薬所に尋ねていらっしゃられましてね、そんなお話も伺いました」
「い、今はどちらに」
「『三条烏丸のさる御方の所』と。たぶん烏丸中将のことでしょうね」
「貴族の方の…」
「ええ、何でも昔から何くれと無く御懇意にして頂いた方だとか言うことでしたが」
「あ…」
何となく、朔には心当たりがあった。
京からの使者など珍しくは無かったが、その中で時折母が嬉しそうに文を読んでいることがあったのを。
『京の知りあいから頂いたものですよ』
そう言って、母から京風の雅な衣や小物を頂いた時の記憶も。
あれが……
「で、実はお二人に、御母上君からのことづけを仰せつかって来たのです」
「ことづけ…」
「ことづけ〜?」
「では、私達がこちらの世界に居る事を」
「ええ。ただ『白龍の神子』の世界という浄土だといった理解ですが」
「そうですか……」
「そして手紙を…」
「手紙!?」
その時、弁慶が哀しそうな顔をした。
そんな弁慶の表情を見るのは、景時にとっても何度も無いことだった。
まして朔は初めて見る弁慶の表情に、戸惑いを感じた。
「どうされたのです?」
「申し訳ありません、朔殿、景時。異世界からは、やはり、持ち帰れなかったのです」
「そう……ですか……」
「でも、……こんな事もあろうかと、御母上君にも御了承を得て、手紙の文面を覚えて参りましたので」
「……」
「よろしいでしょうか」
コクリ
兄妹は同時に頷いた。
「では、
『景時、朔。白龍の神子様の世界でつつがなくお暮らしとの事、母は安堵いたしました。
朔、良き殿方と縁を結ばれたとの事、これもまた母は嬉しく拝聴いたしました』」
「縁などと……。弁慶殿、いったい譲殿とのことをどのように母上にお伝えになったのですか?」
「僕は何も…、ありのままにお伝えして、
ああそうですね、『相思相愛、お似合いのカップルです』と、そうお伝えしましたが」
耳まで赤くして、朔がうつむく。
「御母上君も『生真面目過ぎるあの娘がそこまで』と仰って、『吉報です』と喜んで下さいました」
「母上…」
「良かったじゃないか〜、朔。譲君との事、母上も喜んでるって〜〜」
「続き、よろしいですか?」
「あ、はい」
「御意〜〜」
「『景時、朔の事、頼みましたよ。いかに良き縁の殿方が傍にいて下さるとは言え、2人ともまだ若いのですから。
兄として、しっかりと後見してあげてくださいね。そして朔。景時の事、あまり叱らないでくださいね
冬の朝だというのに、部屋の中はこころなしか暖かかった。
江ノ電の音と踏切の音が遠くに3度、確かに聞こえては消えた。
すでに陽は昇り、冬だというのに眩しいばかりに部屋に差し込んでいる。
長かった弁慶の、と言うより兄妹に宛てた母親の手紙も、終わりに近付いた。
「『〜というわけで、母は梶原の姓ではなくなりましたが、
それでもあなた達二人の母であることに変わりはありません。
だから、母のことは心配せず、そちらの世界で必ず幸せになってください。
母も、暮らす世は異なれども、あなた達二人の幸せをいつも祈っていますからね。
元歴元年 秋 記す 母
追 弁慶殿がこちらに来られたように、
こちらの世界と白龍の神子様の世界を往き来できる方法は確かにあるようですが
母はそちらには参りません。
そして、分かっているとは思いますが、
決して、あなた達二人はこちらに戻ってはなりません。
相手を慈しむ思いと、この事をはき違えてはなりません。
母のたっての願いとして、どうかこれだけは聞き届けてくださいますように』」
「……信じられません」
「まだ続きがあるのですが。朔殿、よろしいですか」
「……は、はい」
「『何処の世にあろうとも、この世の平穏を何よりも望むなら、母は笑って耐えられます。
あなた達も出来る筈です。お父様と私の子であるのなら。
そうですよね、景時、朔』」
「母上らしい」
「朔〜?」
「そうですね、母上。私もそう思います」
「朔?」
「朔殿?」
「弁慶殿、もしまた向こうの世界に行かれることがあって、
そして、また母上に会う機会がおありでしたら、母上にことづてをお願いできますか?」
「ええ、喜んで」
「『母上の幸せを、朔も違う世界から祈っています』と」
「はい、必ず」
「そして『朔は今、幸せです』と」
10/11/14 UP
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