帰っちゃうの? ヒノエくんルート・2月−神無月三









紀伊路を凄まじい勢いで、馬群が駆け抜ける。





その馬上から、次々とヒノエは鴉に指示を出している。

その間にも日本各地からの報告が、ヒノエのもとに寄せられる。

その度に、ヒノエの周りを激しく馬が入れ替わる。

いかに鍛えられた熊野の鴉とはいえ、ヒノエの動きに付いていける者は多くはなかった。



ヒノエが単身、京に出かけようが

八葉として白龍の神子に付き従って日本各地を転戦しようが、



   「白龍の神子を口説くのに忙しいそうじゃ」



と鷹揚に構えて笑っていた熊野の人々だったが、

この慌ただしい頭領と鴉の動きは、

源平が全面戦争をしていた頃よりも、かえって無用な緊張感を煽られていたのだった。



    あの若頭領が、あそこまで慌てているとは何事か?



と、不安の面持ちで紀伊路を駆け抜ける異様な馬群を人々は眺めたのだ。







   「源平は京で和議を結んだっちゅう話じゃろう?」



   「なのに、なんで若頭領はあんなに急ぎなさってるんじゃ?」



   「お前、知らないのんかい?」



   「何をじゃ?」



   「何でも源氏の軍が鈴鹿の向こうから、伊勢路を攻め上っているそうじゃぞ」



   「そりゃあ、えらいこっちゃがな」



   「でもよ、だったらなんで、若頭領様は紀伊路を西に向かったのじゃ?」



   「逆じゃの?」



   「何でじゃ?」



   「お前ら、知らんのかいな」



   「何じゃ?」



   「八軒家に平家の船が着いたそうじゃぞ」



   「えらいこっちゃ! 西から平家が来るのかの?」



   「!!!」



   「それで湛増様は、西に駆けたのか?」



どの情報も正しいのだが、少し「不安」という隠し味が利いてしまっている点で、情報がデマへと変質しかけていた。



   「源平が熊野でぶつかるのか?」



   「熊野が戦場になってしまうではないか!」



   「和議はどうなったのんじゃ?」



   「いよいよ熊野も戦場になるのか……」



   「どこぞに、逃げようかの」



   「待て待て。だったら、何で若頭領様は軍を率いておらんのじゃ?」



   「そう言えば、そうじゃの……」



   「田辺の本隊も動いておらんじゃろ」



   「本隊だけでなく、熊野三山の部隊ものんびりしとるっちゅう話じゃぞ」



   「各王子にも、出陣どころか招集もかかっておらんぞ?」



   「じゃぁ、若頭領、何をあんなに慌てておったのかのぉ?」



   「さあ……」


   「若頭領のことだから、何処ぞのおなごでもまた口説きに行くとか」



   「ハハハ、違いない」



   「ま、何にせよ、若頭領の指図があるまでは、やたらとバタバタせんこっちゃ」



   「今度もまた、面白い話だといいの」



   「白龍の神子の時のような?」



   「ああ、まったくじゃ」



これも、ある意味事実と言える。「女」という単語の部分だけが少し違うが……

だが、ヒノエの個性と、今までの熊野での行いが、デマの蔓延することを本人も知らないところで防いでいるのだった。

熊野の人々が動揺するくらいには、その「今までのヒノエ」らしからぬ慌てぶりであったのも確かだが。







   「『吾が背子が あとふみもとめ 追いゆかば  紀の関守い 留めてむかも』と万葉にもあるからね。

    関を越えるのは面倒だろうから、一つ手前の中山王子に会見場所をセッティングしてくれないか?」



   「頭領、『せってんぐ』とは?」



   「あ、ああ、そうだね。席を設けてくれ。失礼のないように」



   「は! 『せってんぐ』! 心得ました」



心の中で何日か前のモヤッとしたものが、また顔を覗かせる。

しかし、それが何なのか形をとる前に、次の鴉が報告に現れて、また忘れてしまった。



実際には、平家一行が関を越えることなど、ヒノエの下命でどうとでもなるのだが、

雄の山峠を越えるのは、山道に慣れていない都人には大変だろうからと気を利かせて、

紀伊国で最初の王子でもある、休憩施設の中山王子社に宴席の『せってんぐ』を命じたのだった。



そして、貴人の熊野参詣に古くから慣れている近隣の住民達の動員により、

急拵えとは思えないような立派な宴席が瞬く間に設けられた。





ヒノエの到着より一足早く会見場に案内された但馬守経正はしかし、その場に座ることすらもどかしいのか、

入り口辺りで、じっと紀伊路の遙か彼方を見詰めていた。



ヒノエの到着を聞きつけるや、ヒノエの下馬すら待てずに駆け寄るのだった。



音もなく二人の間に入り、ヒノエをガードしようとする鴉の一人に、ヒノエは目だけで下がるように指示し、

自身はゆっくりと馬から下りる。



   「『馬にて参れば苦行成らず』と後白河院の今様ではないけれど、どうやら…」



   「別当殿! 失礼は重々承知の上なのですが、挨拶は省かせて頂きたい。

    こうして私が参りましたのも……、あの、敦盛は…、敦盛はどうなりました?」



対面の挨拶も省略して、いや、挨拶しようとしかけたヒノエの言葉すら遮って問いかける平経正に、

ヒノエはある種の同情を禁じ得なかった。

そして、憔悴しきった経正の顔は、平家の将とか公達とかのそれではなく、ただ一人の兄のものであった。

経正の声や言葉には、ヒノエのこれから言うであろう言葉に対する、或る覚悟と諦めと、そして一縷の望みが込められていた。



ヒノエは少々、意地悪く聞き返した。



   「『どうなりました』? 弟を心配する兄上としては、どうかと思う言葉尻ではないでしょうか」



   「あ! ああ……」



ヒノエも予想しなかったのだが、但馬守経正は、ヒノエの言葉を聞くや、その場に泣き崩れてしまった。







京の神泉苑で行われた源平の和議の最中、

茶吉尼天・北条政子 vs 怨霊・平清盛という、もはやこの世のものではない戦いが始まり、

和議を心から願い、その実現の為に腐心してきた経正にとって、この展開は予想を遙かに超えるものであり、

神泉苑にいた多くの源平の武将同様、為す術もなく立ちつくすしかなかった。



和議の片方の主である平清盛は消滅し、

もう一方の源氏も、正室・北条政子から現れた禍々しい神・茶吉尼天も消え、

北条政子自身は意識を失って倒れこんでいる。



また、この和議の主催と世間から思われている討西軍の大将・源義経と平家軍最高指揮官・還内府は、

源氏軍戦奉行・梶原景時、軍師・武蔵坊弁慶や、熊野別当・藤原湛増同様、八葉として龍神の神子二人に付き従い、

禍神・茶吉尼天を追ってこの世でない世界に消えるという事態を目の当たりにして、

神泉苑にいた者は、源頼朝以外、浮き足だった。



我に返った経正は、恐れおののく後白河院を説得し和議が成ったことを再び宣言させ、何とか事態を収拾した。



京を境に東と西に源平を退かせているところに、その消え失せたはずの八葉の一人、

熊野別当・藤原湛増だけが熊野にいるという情報が、平家の情報網から経正に届いたのだった。







平経正にしてみれば、平家一門の最後の望みであった愛する弟・敦盛はどうなったのか、当然、知りたいだろう。

まして、弟の体は……

だからこそ大急ぎの上にも大急ぎで、僅か数名の側近の者だけを引き連れ、熊野路まで来たのだった。



その経正の、泣き崩れる姿と、たった今自分の口から出た言葉の意地の悪さに、

罪悪感からとも、自己嫌悪からとも判然とはしないが、後ろめたさを十分に感ずるヒノエであった。






   《 弟もろとも「敵」はすべて殲滅しようとする源氏よりとも……
     弟の安否を気遣い、自身の安全を忘れて敵地かもしれぬ所に馬を飛ばしてくる平家つねまさ……



     関東を武力で制圧し、今や、日本中をその方法で手中に収めようと目論む頼朝

     武門と言うよりも、京の貴族社会において様々な権謀術数で成り上がった清盛



     それだけなら関係のない民百姓が苦しむ戦をしなかっただけ平家の方が「まし」だろうね



     だが……



     身のまわりの者を誰一人として信じられず、茶吉尼天を擁した頼朝

     その茶吉尼天に対抗するように、黒龍の逆鱗と怨霊を使役した清盛



     結局は、どっちもどっちなんだろうけど 》



それでも今、目の前で泣き崩れる「兄」の姿にだけは肩入れしたくなるヒノエであった。

ヒノエは、ゆっくりと、言葉を選び、話し始める。



   「敦盛は…、敦盛は無事、です。

    だから『どうなった』ではなく、『どうしている』と、尋ね直してほしいものですね」



   「無事……。……本当ですか? 本当に無事なのですね。消えて無くなっては…、いないのですね」



   「あんな展開で消えたんだから、そう思っても仕方ないとは思うけど」



   「『そう』とは?」



   「あなたが今想像していた最悪の状況…。ま、何が最悪かは、本当のところ、分からないけれどね」



   「敦盛は、あの子は人では」



   「だから神子に浄化されてしまった…と? 残念ながら、……何と言ったらいいのかな」



   「??」



   「その白龍の神子の世界で、神子達と相変わらずの調子で暮らしている、のでね」



   「白龍の神子の世界…、それはやはり彼岸、浄土のことなのでしょうか?」



   「それが…違うんだけど、何て言ったらいいのか…。

    ん〜…、とにかく、あそこはあの世で無いのだけは確かだね。

    この世より数百年未来の世って言って信じてもらえるかな? ま、そんなような所でね。

    そこで相変わらず、好き嫌いが多くて神子を困らせながら、笛を吹いて暮らしているよ」



泣き崩れたままの経正を励まそうと、何気なく近寄り肩に手を置いたヒノエは、それに気づいた。



   「但馬守殿! ……あなた、も…なのか?」



そのヒノエの言葉は耳に入らなかったのか、止まらぬ涙を拭いもせずヒノエを見上げながら、経正は続ける。



   「敦盛は苦しんではいないのですか?

    この、喉の渇き…、心の奥底から叫びたくなる苦痛…

    そういった苦しみは、神子殿に救われたのでしょうか?」



   「経正殿……」



   「あの子が幸せになることだけが、私の願いなのです。

    あの子が、この戦を…、怨霊を使役する平家を、何としても、それこそ一門を飛び出してさえ

    止めようとした、その決意と覚悟に…、わ、私は……。



    ……私と父の、業によって、あの子を黄泉路から呼び戻してしまったのです。

    あの子に生きていて、……この世で共に語らい、笑い、そんなあの子を見ていたかった…

    それだけなのです。しかし、それは摂理に反した、欲の深い願いだった。

    かえってここまであの子を苦しめることになるとは…、
    ……これほど苦しいものだと分かっていたならば、反魂まかるがえしなど……」









夜、経正の寝所からは、悲しく琵琶の音が響いた。



ヒノエは、その音色の悲しさが痛かった。



そしてもう一人、その音色を夜の闇の中で聞く者がいた。



   「龍神の神子の世界……か、面白そうだ…。

    少なくとも…、戦の無くなった、退屈な…この世よりもな…。ククク」











08/04/12 UP

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