鎌倉高校の何気無い日常 再び 4







失望。


間違いなく、これを失望というのだろう。






騒ぎを聞きつけた事務職の酒井さんが、業者からのサンプル品のエプロンを
それも、何の変哲もないビニールコーティングされた白のエプロンを持ってきたのだった。


  「これ、黒かったら魚屋さんじゃないですか!」


教頭の手にしているメイド服を着せたいのだが、
どうやってメイド服それを着せたものか、巧い理由が見つからずに悶々としていた鈴木教諭は
酒井事務員と、彼女の持ってきた白いエプロンにあからさまな不満を表明したのだが、


  「黒く無いからいいじゃないですか、白なんだから。
   それにその白いエプロンこれ、来年度、生徒に購入させるかどうかって仰って、
   サンプルを取り寄せたのは先生でしょ。
   ちょうどいいじゃないですか、着心地とか使い心地とか聞いてみるのに」


  「え? あ……(それもいいかも。さ、酒井ちゃん、ナイス!) そ、そうね…」


  「その時は、私も立ち会いますから」


  「え? なn」


「何であなたが?」、そう言いたかった鈴木教諭だったが、
キッパリと言い切った酒井事務員に対して、鈴木教諭に反論の余地は無かった。


  「それとも、この中のどれかを着せるつm……
   (え? メイド服!? ……教頭…、そういう趣味があるんですか?
    でも、ああ、それはアリかも。この子のメイド姿! ……でもでも)コホン!
   ど、どれかを着せるつもりなんですか?」


  「そ、それは……」


  「ま、お好きになさってください。このエプロンでも、そのメイド服や……、メイド服でも、どちらでも」


  「メイド服、着せたいんだ」


  「そうは言ってません! お好きになさってくださいって…」


  「サカイちゃん、エプロン持ってきたの、失敗したって思ってない?」


  「な、な、何の事ですか? 鈴木先生、そんな、何で私が」


  「サカイちゃん、声、裏返ってるよ」


  「そんな!」


そう叫んで酒井事務員は、エプロンを鈴木教諭に押しつけて、


  「事務長! グラウンドの第2期工事の見積もり持って、業者さん来てますよ。
   教頭先生、公立高校教頭会議の出欠・委任状が届いてないって、幹事校の教頭から電話がありましたよ。
   雨宮主任、先月の出張、報告書と請求書、まだですか!
   校長先生! 教育委員会から大至急連絡をって、さっき事務室にかかってましたが」


そう言って、さっさと事務室に帰っていった。


  「見積もり見積もり」


  「まずいな、出欠票、確か〆切って先週の……」


  「出張報告書! やっべ、仮払いしてある金、今月の締めに間に合わないかな」


  「教育委員会! まったくどうしてあの娘の調理実習日、いつもいつも分かるんだろう……」


そう言いながら、廊下の不審人物ギャラリー達が酒井女史に追い払われるように去っていく。
その一群の後ろ姿を見ながら、鈴木教諭はボソッと呟いた。


  「サカイちゃん、メイド服、否定はしないんだ……」






一方、調理室から遠離りながら、酒井事務員は思った。


  (あの子のメイド姿が見られるかな。
   白いエプロンなら返して貰うときにお話しできるし
   ウフフ、どっちにしても、休み時間になったらまた来ようっと)






敦盛は、酒井嬢の労に報いる為か、
それとも、その他に持ってこられたエプロンと称する物に込められた、ある種の恣意を本能的に感じとった為か
その白のエプロンを選んだのだった。
春日望美ですら、教頭の手にする前2年1組女子着用のメイド服に固執したというのに。


    チェッ!


教室が、この空気に包まれるのは何度目だろう。
そして、今日の2時間続きの調理実習中に、あと何度、こういう気分を味わわされるのだろう。
まだ始業のチャイムが鳴ってから、10分と経っていないという現実。
そう思うと、早くも精も根も尽きかけて、挫けそうになる鈴木教諭であった。


それでも、気を取り直して叫ぶ。


  「はいはい! 手がお留守ですよ! 包丁を持っている人! 集中しないと怪我しますよ」






エプロンの付け方を望美に教えてもらい、望美の隣に座る敦盛は、すぐさま


  「神子、あの壁に掛かっている白い板は何なのだろうか?」


  「ああ、あれはホワイトボードです」


  「ほわいとぼぉど? ああ、whiteが白で、boardが板だったな」


  「ええっ! 敦盛さん、英語できるんですか!?」


望美は知らなかったのだ。
敦盛が横浜に転居してからほとんど毎日、
ヒノエの使っていた英語学習教材のCDや、ラジオの英会話講座を聴いているという事実を。


  (春日ぁ! そのくらい、誰だって分かるだろう!)


  (望美ちゃん! 敦紀さんに失礼だよ! いくら学校に行ってないからって!)


  (望美!)


  「で、その白い板は、何に使うのだろうか?」


  「普通の教室は黒板なんですけど、ここはホワイトボードなんです」


  「こ、こくばん?」


  「ええ、ボードに粉や油やソースとかが飛んでも、サッと拭けるからなんです」


  (春日さん! チョークの粉が飛んで料理に入らないようにって配慮なのよ。
   それより、ホワイトボードまで油やソース飛ばすの、あなたくらいなものよ!)


  「と、言うことは『こくばん』というものは、サッとは拭けないモノなのだろうか」


  「そうですね。あれ? でも掃除の時間とか濡れ雑巾とかで拭いてる……??」


  (教室の黒板だって水拭きできるんだよ、望美ちゃん!)


  (この敦紀ってヤツ、どんだけ学校に行ってねぇんだよ。黒板も知らねぇのかよ? マジ??)


  「それに、ホワイトボードは専用のペンで書くんです」


  「ペン? ああ、あの不思議な揮発性の匂いのする」


  「それって油性のマジックですよ。ここで使うのは水性の」


  「そうなのか。ああ、皆の健康の為にも、その方が良いな」


  「健康の為?」


  「その『ゆせいのまじっく』とやらを、先日、ヒノエが同じテーブルで使っていたことがあって」


  「マンションで、ですか?」


  「そうなのだ。真向かいに私は座っていただけなのだが、気分が……」


その時のことを思い出したのだろう、敦盛の顔色が心なしか蒼くなった。


  (その『ひのえ』って誰だ!!)


  (マンションって、え〜〜! 敦紀さんて、どどど同棲してるの!)


  (きゃ〜〜!)


  「ヒノエ君、何に使ってたの?」


  (え? ヒノエ『くん』?)


  (何だ、男か……。紛らわしい会話してんなよ、春日ぁ!)


  (あああ……、今日はこのクラス、完全に集中力、欠けてるわ)


  「何でも、大学の仲間に頼まれたとかで」


  「慶桜の?」


  (『慶桜』の大学生なの??)


  (『慶桜』だとぉ! くっっしょう〜!!)


  「ああ、サークルとかいうものの勧誘ポスターだとかで」


  「ヒノエ君、そういうとこ、付き合いいいもんね」


  「いや、出来が良ければ、高値で売りつけるとか言っていたが」


  「アハハハ、相変わらずしっかりしてるね」


  「いや、ヒノエのは、『しっかり』ではなく『ちゃっかり』しているというのだと、いつだか譲が言っていた」










  「ハ、ハ、ハァックション」


  「ヒノエ、どうした?」


  「いまさら花粉症だったりして」


  「さ、さあね。…ハックション! ハックション!」


  「本格的に風邪じゃない?」


  「3回。誰かに惚れられてるんじゃん」


  「晃、何だ? それ?」


  「晃って、たまに爺臭いからな」


  「『1褒められて、2憎まれて、3惚れられて、4風邪ひく』って言うじゃん」


  「言うか?」


  「知らないな〜」


  「ま、そういうことなら、意地でも3回にしないことにはね」


  「そう言うと思った」


  「ったく、ヒノエお前らしいねぇ」










  「では次に、洗い終わった野菜を良く水切りしてください。
   特にジャガイモは薄切りにして、水にさらしておく事を忘れないように。
   カボチャを洗い終わったら半分に割って、種とわたを丁寧に取るのよ。
   固いから、充分気を付けてね。男子! 腕の見せ所だけど、血は見たくないからね!
   その上で適当な大きさに切ったら、こっちに持ってきて。
   時間短縮の為に電子レンジで柔らかくしちゃいますから」


  「重!」


  「カボチャ、各班1個ずつなんてすごいね」


  「昨日の放課後、鎌倉青果市場のトラック、カボチャやジャガイモ満載して来たもん」


  「その野菜やらカボチャやらの荷下ろし、たまたま通りかかった俺達テニス部がやらされたんだぜ」


  「良かったじゃない、腕力強化になって」


  「お前な」


  「ほらほら、そこの班! 口動かさずに、手を動かす!(ちょっとはみんな落ち着いてきたみたいね)」






  「固! 包丁でホントに切れんのかよ? 刃こぼれしそうだぜ」


  「やってあげようか?」


その一声に教室が一瞬静まりかえった。


  「み、神子……」


何か言わねば。そう思い、焦る敦盛だったが、言葉が浮かんでこない。
その時だった。


  「え? や、その……、春日、お前にゃ無理だろう」


  「の、望美ちゃん、そ、そ、そうだよ。女の子の力じゃ、ちょっと。ね、き、菊池」


  「お? お、おう。そうだぜ。女子の華奢な細腕にゃ、ちょっとキツイんじゃね?」


  「そう…? じゃ、お願い」


そう言いながら、「菊池」と女子から呼ばれた男子生徒は、渾身の力でカボチャを2つに割ろうと格闘した。
このカボチャさえ自分が2つに割ることができれば、春日はまな板の前に立たない。
今この瞬間、クラス全員の安全が、いや教員1名と部外者1名まで含めた、その全員の安全が
この自分の手にした包丁にかかっているのだ。
菊池はその重責に目眩を感じながら、渾身の力で、カボチャを2つに裂こうと努力した。


しかし……


  「だ、だめだ……」


  「じゃ、じゃあ、オレが!」


  「(よし! ラグビー部・加藤、よく言った!)加藤君、お願いね」


  「まかせとけって。野菜の荷下ろしでどうこう言うようなテニス部のひょろっこい腕とは違うからよ」


  「やってみろよ(とは言うものの、頼むぞ、加藤。プロップの実力を見せてくれ!)」


  「任せてくれ……。ん? ……え? こ、これは……」


  「どうした?」


  「か、加藤でもダメなのか?」


  「ベンチプレス110kg上げる加藤が!」






  「(まずい! まずいわ! どうして、よりによって一番固そうなカボチャがあの班に!
    あ! そ、そうよ、ここは)
   みんな、注目! いいかしら。時々ある固いカボチャの割り方を教えます。
   はい、注目してね。
   (私が割ってしまえばいいんだわ!)
   こういう固いカボチャは、出刃包丁を使います。
   まず最初に、カボチャの上下にあるヘタの部分に、出刃包丁やペティナイフを
   ザクザクと突き刺して円錐を描くように切り込みを入れます。
   ヘタが付いたままのカボチャを割るのは至難の業なんです」


  「だったら、先に教えてくれよ」


  「いいですか。こうして、出刃包丁の先端を突き刺し……、え?(さ、刺さらない! どうしよう!)」


  「(ああ、先生殿の経験と技術をもってしても、このカボチャを裂くという作業は、かくも至難な事なのか。
    そうだ、このような時の為に、譲は私を指名したのだろう。)
   あ、あの…」


敦盛がゆっくりと手を挙げた。


  「え?」


カボチャのヘタに包丁を突き立てようとして苦闘していた鈴木教諭は、一瞬の期待を込めて、挙手した相手を見た。
しかし、その次の瞬間その手を挙げているのが、病弱というふれこみの、
しかも、この教室にいるどの女子よりも色白で華奢そうな見学者だったことで、失望を必至に押し隠した。


  「は、はい。平さん、何ですか?」


教室中が、注目していた。


  「あの、…僭越ながら…、わ、私にやらせてはもらえないだろうか」

注目されている緊張で、耳まで赤くしながらそう言う敦盛の姿に誰もが一瞬見とれ、
次の瞬間に我に返るのだった。


  (あ、無理無理! 加藤の力でも、先生のコツでもダメなんだから)


  (ああ〜〜、望美ちゃん、止めてよ! 敦紀さん、怪我しちゃう!)


  (あいつは男。男なんだよな、男!)


  「え、でも、それは…」


無理なんじゃない、とは教員として言っていいのか躊躇した鈴木教諭であった。
その間隙かんげきに、春日望美の一言が発せられた。


  「そうですね。何でも経験すべきですね。敦盛さん、カボチャ切るの、初めてでしょ?」


  「ああ、そうだな。神子、実はカボチャと言うモノがこういう丸いモノだというのも、今初めて知った」


  (無理無理無理! 絶対無理! 指、切っちゃうって!)


  (先生! 止めて!)


  (ああ、私はどうしたら…)


  「先生殿、よろしいでしょうか?」


訴えかける敦盛の顔が、鈴木教諭の間近に迫る。


  (そんなにまで瞳を潤ませて私を見つめないで)


敦盛以上に赤い顔になった鈴木教諭は


  「い、いいでしょう」


そう言ってしまった途端に、教室中が「エェ〜〜!!!」と叫んでしまった。
その声に、教諭も敦盛も驚くのだが、望美だけが落ち着いていて


  「はい。敦盛さん、これが出刃包丁ですから。指、切らないように気を付けてくださいね」


と、包丁を手渡してしまったのだった。


  「か、春日……、お前、度胸あるな…」


  「望美ちゃん、ホントにいいの?」


  「大丈夫だよ。ね、敦盛さん」


  「神子の期待に答えられるよう、努力する」


そう言い放った敦盛の顔のりりしさに、ワケも分からず胸がキュンとする一同であった。


  「で、では、私の言うとおりにしてください」


  「分かった。御教授、よろしくお願いする」


  「はい(ああ、本当に男の子なのね。何かしら、この清々しいりりしさは)
   コホン、ではまず、出刃の先を突き刺して、ヘタの部分を取り除」


教室中の注目の中、敦盛の出刃包丁は固さを微塵も感じさせずにスッとヘタを切り落とした。


  (え!!! 嘘だろ! オレ、包丁の先っぽすら刺さらなかったぞ!!)


  「きます。(これは! この子……)そう。そうです。平君、上手よ」


  「わ、私など……、そんな…、お褒めいただくようなことは……。
   た、ただ、先生の仰る通りに、懸命にやっているだけで……」


  「懸命に…。そうね、みんな。何事も、懸命に、一生懸命にやることが大切よ。平君を見習ってね」


  「はい!」


そう答える生徒達にあって


  (オレだって必死だったから!)


と叫びたいテニス部レギュラー・菊池と


  (オレが手ぇ抜いてたみたいだろ! やめてくれ! そんな噂が顧問の耳に入ったら殺されるよ)


と、これまた叫びたいラグビー部プロップ・加藤であった。


  「では次に、次に包丁のアゴを、ああ、グリップに近い方ね、
   こっちをカボチャの中心から外に向かって入れます。
   そして、上下をそのままにして180度回転させて、同じ作業を繰り返します。
   それぞれ包丁の刃が2/3ぐらいまで入った」


敦盛は、180度回転させるまでもなく、まるで豆腐か何かを切るように
観る者達に、何の抵抗も感じさせずスッとカボチャを真っ二つにしたのだった。


  「ら、包丁全体を使って、半分に割ります。って、ヘタを取ったら意外とあっさり割れたようね」


  「そのようだ。先生殿の仰る通りだった」


その言葉に、鈴木教諭は、天にも昇るような晴れがましい気分を感じた。
そして、多少うわずった声なのが自分でも分かったのだが


  「さあ、各班とも私の言ったとおりにカボチャを割って、下ごしらえに入ってちょうだい」


と言ってしまってから、「私の言ったとおりに」は余計だったことを反省するのであった。











10/10/17 UP

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