胎動  1











店先で傘の露をそっと払うと、入口の戸に手をかけた。


  「やあ、いらっしゃい。君か」


彼女が戸を開けて店内に声をかけるより早く、
半ば建て付けが古くなって開けづらいはずの戸が開いた。
しかし店内のどこを見渡しても人気も無く


   相変わらずだわ


そう思うと、自然と口元が緩むのであった。


  「お邪魔します。雛乃です」


そう彼女が言い終わらないうちに、盆に湯飲みを2つ載せて店主、如月翡翠が帳場の向こうから現れた。


  「やあ、どうしたんだい。久しぶりだね」


  「本当に、ご無沙汰いたしております」


  「そうか、ここでは何だから、奥へどうぞ」


   やっぱり、相変わらずだわ


織部雛乃はもう一度そう心の中で反芻した。
「そうか、ここでは何だから」、そう如月は言ったのだ。
既に自分の頼み事を察しているのだろうか、
まさか、そこまでは……。


   やはり、この方は捉えどころがない


そう思うのであった。






部屋に通されると、


  「お祖父様や雪乃さんは元気かい」


  「ええ、おかげさまで」


  「そう。それはなによりだ」


  「どうぞ、これ。お口に合うと良いのですが」


  「ああ、羽二重団子だね、ありがとう。これは好物だ。美味しくいただくよ。
   で、今日はどんな用件で?」


そう如月翡翠にしては単刀直入に本題を切り出してきたことに、織部雛乃は驚いた。


  「実は、お祖父様の知り合いの方で、その方も神社なのですが私より4つほど年下のお嬢さんが行方不明に」


  「ふむ」


そう言って翡翠は自分の茶を一口啜った。


  「3日ほど前の午後に、大学の授業を終えて友人の方々と駅で別れて、それきり消息が」


  「僕のところに相談に来た、ということは」


  「はい。警察にはその日の夜に。ただ大学生だから、事件性も無さそうなので、ということで
   事件性が無いと警察は動いてくれないらしくて」


  「まあ、そうだろうね」


  「でも、小さい頃から私も良く知っているお嬢さんなのです。
   そんな夜遊びをするような人などとは考えられません。
   まして、3日も御両親にも黙って家を空けるなど、そんな……。
   御両親も、大学に入学してからも普段は9時前には帰っていたと。
   アルバイトで遅くなる時も、必ず何時には帰ると連絡してきたとも仰ってました」


  「当然、彼女の携帯は?」


  「消息が分からなくなった日から、繋がらなくなっております」


そういうと、自分の言葉を確認するかのように、織部雛乃は自分の携帯を取りだして、かけるのだった。


  『……ただ今おかけになった電話番号は現在……』


雛乃の携帯から、「おかけ」状態を告げる無機質な声が漏れ聞こえてくる。


  「なるほど」


分かってはいることなのだが、一縷の望みを託していたのか、雛乃は力無く携帯を切った。


  「昔から優しい子でした。うちと同じで御実家が神社なものですから、小さな頃から巫女の手伝いを……」


  「これも言われ尽くしたとは思うのだが、誰かその…彼氏とかと…、御両親には言えなくて」


  「ありません」


  「断言できるだけの根拠は?」


  「その彼氏からも私のところに連絡が入ったものですから」


  「ほお、御両親や君達にも公認の彼氏がいた」


  「はい。ですから、これ以上確かな証拠は」


  「その彼氏が、嘘をついている、とは」


  「そ、そのような事……」


  「ま、疑えばきりがないか。
   『別れたと証言している大学の友人が嘘をついている』
   『心配している風を装って彼氏が嘘をついている』
   『捜査願いを出した御両親が嘘をt』」


  「き、如月様」


  「ま、君が僕に語っていることだけは信じるがね。
   では、こういうのは、どうだろう。人には言えないような、絶対秘密の関係……、つまり不倫とか」


  「彼氏がいらっしゃいます。それに、もしそういった三角関係があったとして」


「三角関係」という言葉を織部雛乃の口が発したことに、如月は笑いをこらえた。


  「その悩みは、御両親には無理かもしれませんが、逆に私か、それこそ雪乃ねえさまには絶対」


  「そんな仲だと考えていいわけだね。君達姉妹とは」


  「はい」


  「相談しいわないなどということはありえない、と」


返事の代わりに雛乃はコクンと頷いた。


  「では、聞くが」


  「はい」


  「君達がまだ、ゆきみヶ原高校の3年だった頃にっていたことは?」


  「え? いえ……、それは……」


  「ということは、向こうにも同じような隠し事があったとしてもおかしくはない」


  「そ、そんな……。彼女が人知れずあのような戦いを」


  「そこまでは言っていない。
   それにまぁ、万が一の可能性を言っているだけだ。
   そんな顔をしないでくれないか」


  「すみません。ですが……」


  「期待に添えるよう、出来る限りのことはしよう。約束する。
   ただ、人には誰でも他人に言えない事の1つや2つあって当然だと、僕は思うけれどね。
   まぁ、何かの事件に発展しない方がいいと思っての言葉だとでも思ってくれたまえ」


返事の代わりに雛乃は再びコクンと頷いた。


  「では、失踪当日の状況と、分かっている限りの彼女の情報を教えてくれ。
   まず、彼女の名前は?」










収録スタジオの重い鉄の扉の前に人垣が出来ている。
たまたま通りかかった弁慶の耳に、人々の話声が聞こえる。


  「参ったな、西山ちゃん、どこに行ったんだ?」


  「まだ、エキストラの子供達のメイク、終わってないんでしょ」


  「え〜! 子供のメイクって10人以上いるんじゃない」


  「ま、今、別のメイクがやり始めたけどね」


  「それにしたって次の収録とり、あと30分も無いんじゃない」


そんな騒ぎの脇を体操のお兄さんの衣装で九郎が通り過ぎ、弁慶の所へ歩み寄った。


  「弁慶、何があったというのだ?」


  「ああ、九郎、もう支度はいいのですか?」


  「ああ、この通りだ」


  「話の様子からすると、メイクの人がどこかに行方不明らしいですね」


  「メイクの……、誰だ?」


  「確か西山、とか仰っていらっしゃいましたが」


  「西山!」


  「おや、御存知なのですか」


  「御存知もなにも、先程、俺の顔にドウランとかいうものを楽しそうに塗りたくっていたのは彼女だ」


  「で、その彼女は?」


  「俺が終わって、『次はチビちゃん達なんです』って楽しそうに、何か不足した物を取りにそこの部屋に」


  「そこの部屋! 本当ですね! 源さん」


  「え? あ、ああ。間違いない」


いつの間にか、人垣が九郎と弁慶の会話に聞き耳を立てていたのだった。


  「いつくらいのことです!」


  「いつくらい……、そ、その…」


  「九郎、君がメイク、その顔にドウランを塗られたの30分くらい前のことではなかったですか」


  「べ、弁慶…、ああ、そう、そうだな。その『さんじっぷん』くらい前だ」


  「で、その後は」


  「だから彼女はそこの」


  「部屋に入ったんですね」


  「あれ? その部屋、さっきからずっと鍵がかかってて返事も無かったから、誰もいないと思って」


  「何でもいいから、鍵! 鍵持ってこい!」


鍵が届くのも待ちかねて、ドアの前で彼女の名前を呼んでみたが、やはり返事は無かった。


  「はい! 鍵です!」


ADが管理室から借り受けた鍵でドアを開ける。
が、そこには誰もいなかった。


  「源君、本当に彼女、ここに入っていったの?」


  「間違いない」


  「本当ですか?」


  「う、疑うのか!」


  「いやぁ、そうじゃないけど……」


  「こうしている時間が惜しい。半分は子供達のメイクの手伝い。もう半分は彼女を捜して」


そう指示されて、ADやスタッフは広い緑丘スタジオに散っていった。


  「いや、本当に彼女はこの部屋に」


  「信じますよ、九郎」


  「弁慶」


  「先程のADの方が持ってこられた鍵は、赤い札の付いたマスターキーでしたからね」


  「ま、ますたっき??」


  「ということは、この部屋の鍵を使って開けて入った彼女は、どこに。
   その前に、彼女は何の用があってこの部屋に入ったのか」


  「これじゃないか」


  「これ?」


九郎が指さしたのは、道具などの入った段ボール箱が積まれた一画だった。


  「これは?」


  「化粧用の粉だ。子供に使うのに無くなってしまったとか言っていたからな」


  「ベビーパウダーですか。そうでしょうね、子供だけでなく出演者は汗をかくでしょうからね」


  「毎回俺も容赦なく顔にまでパタパタされて、辟易している」


  「それにしても、よくこれだと……。ああ、この匂いですか。この匂いが」


  「そうだ。部屋の外にも匂っていたではないか」


そう九郎に言われるが、弁慶には、ドアを開けた後でさえ、いや、今この瞬間でさえ
カビくさいような埃っぽい倉庫独得の匂いしか感じなかった。


  「時々、君の潜在能力には驚かされますね」


  「す、すまん」


  「褒めているんですよ、僕は。
   それにしても、彼女はこの部屋からどうやって外に出たんでしょうね」


  「あの天窓では無理だろうな」


  「ええ……。ここは完全な密室だったはずです」










小さな四角に区切られていて、いつ暮れたのかも分からなかった空は
気が付くと、重く垂れ込めた雲が高層ビル群の上半分を飲み込んで、
ポツリポツリと雨粒を落とし始めたかと思うと、あっという間に本降りとなっていた。
梅雨入りもまだの天気予報では、今日の降水確率は0のはずだった。


いつもだったら通路の邪魔になるほどの長い列を作る、学校帰りの女子生徒、仕事帰りの店員やOLも、
こんな空模様では、雨を避けてJRや地下鉄メトロの新宿駅、新宿地下街サブナードへと下りる階段の脇にあるこんな小さな見台ここは、
デパートの入口脇の軒下なので雨風は避けられるのだが、それでも素通りのようだ。
占いの雑誌で見たとやって来た関西かどこかからの修学旅行生だというけたたましい女子校生の集団を占った後、
フトできた空き時間に今日初めて空を見あげて


  「雨なんだ〜」


と、つぶやく裏密ミサであった。
道路を隔てた向こうのデパートの軒先では、早くも手相の看板をしまい始めた占い師が
所在なさそうに裏密に頭を垂れて挨拶した。
裏密は右手を少しあげて小首を傾げて挨拶しながら、それでも何日かぶりにできた暇な時間に


  「フフフ〜〜、今日は、タロットにしよ〜かな〜」


そう言って悪戯をするこどものように、タロットのパックを取りだした。






数年前に新宿ここで暇つぶしのように始めた占いだったが、
その驚異的な的中率と、古今東西の呪術・占術に精通していることとで、
瞬く間に「新宿の魔女」と呼ばれ、評判となった。


そしてもうひとつ、一般の人達には知られていないのだが、
と言うよりも芸能界や政財界といったあちらこちらの方面からの圧力でマスコミすら報道してはならない事オフ・レコになっている
彼女のもう1つの特技こそが関係各方面の評判と人気を博しているのだった。


特技それは「まじない」。


新宿地下街入口階段脇、デパートのシャッター前のスペースに列がなくなる頃を見計らったように
窓という窓が黒くなっていて、後部座席に乗っている人間がまったく分からない高級車が
(セダンといわずワゴンといわず、時にはハマーやウニモグのような超高級RVだったり、
 いつだったかはSPの先導付きリムジンが)
彼女の見台の前の新宿通りに、そっと横付けされるのだった。






ここ半年、客の列が途切れると彼女は決まってすることがあった。
それは悪戯心からであったが、


  「ひぃちゃんは〜、愚者フ〜ル〜。フフフ〜、やっぱり天真爛漫〜。でもニートなのは相変わらずかな〜」


  「京一君は〜太陽サン〜かぁ〜。上り調子なのはいいけれど〜砂漠で迷子になってないといいけどね〜フフフ〜」


  「黒崎君は〜悪魔デビル逆向きリバ〜ス〜。とりあえず逃げ出せたみたいね〜〜、フフフ〜」


ほんの数年前の一時期に活動を共にした、もはや懐かしくもある人々を占うかいまみることである。


  「次は、誰にしよ〜かな〜」


タロットを慣れた手つきで置き、開いていく。


  「……!? ……タワ〜、……こっちは〜……ム〜ン……」


一瞬にして彼女の表情から、悪戯っぽい笑顔も、懐かしさも消えた。
そして、携帯を取り出そうとして、椅子の下に置いてあるカバンに手を伸ばした。
その時、


  「眩い光の粉よ〜!」


その夜のニュースでは東京ローカルのトップで報道された「新宿地下街入口爆発事故」である。
その時、その場に新宿の魔女・裏密ミサがいたことは何故か箝口令が敷かれていた。






しかし






自分の携帯を持って、スタジオのオーナーがガラス越しに何か怒鳴っているのだけが分かる。


   オレ様に電話か?


そう言うように自分の胸に指をあてた。
オーナーは大きく頷くと再び、雨紋の携帯を高く掲げた。
防音の扉を開け、ミキサー室側に出ると雨紋は携帯を受け取った。


  「おう、オレ様ぁ、雨紋だ」


その途端、懐かしい関西弁が叫び始めた


  「大変や〜! 爆発でミサちゃんが居らへんねんでぇ!」












11/05/15 UP

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