心を照らしだす月光
あ、兄上……、教えてください…
私は…、私は本当にここにいて…良いのでしょうか
わ、私は……、
……穢れている
「娘さんたち、別当殿に会いに熊野大社まで来たのかい? 別当殿は今、留守にしているよ」
ヤラセで望美に会わせた鴉が余計なことまで言うものだから、かえって話が面倒になったじゃん。
「こりゃ、当分、戻ってこないね。
どうやら頭領はその龍神の神子にぞっこんで、白龍の神子を口説くのに忙しいから」!
あの野郎!
言えって渡した文に、そんなことを書いた覚えはないんだけどね…。
まったく、やってくれるね。
ま、おかげで、鴉の連中が今のオレのこと、どう思っているのかよく解ったけどね。
ついでに今日一日猶予ができて、こうしてあちこちの王子を廻って指示も出せたし、調べ物もできた。
それに明日、速玉で望美のお姫様姿が拝めるんだけど。
やれやれ……
ただ、敦盛の前で、あんなこと、よくぞ言ってくれたものだ。
それにしても……もっとも肝心の、
いや、このオレが一番気になっている事については少しも情報が入らず、無駄足に近いのが気に入らない。
と、本宮の杜に入ると、笛の音……
この笛は、敦盛……だね。
八年前まで、よく聞いていたお前の笛の音
忘れるはずもないお前の…
清盛が熊野参詣に来て、そのままお前を熊野から連れ去っても
オレは常に、鴉を使ってお前の身辺を見守ってきた。
時々、平家の間諜や源氏の物見との間で争いもあったが、それでも……
だから、四年前の鴉からの報告は耳を疑った。
あの年の卯月……
妙に平家の情報統制が厳しくなり、
鴉の潜入どころか、
薬師として出入りしていた弁慶までも出入りを差し止められてしまって。
敦盛…、お前……
静かな夜だ
昼の暑さが嘘のように風が心地良い
どこから仕入れてきたのか、景時が酒の入った瓶子を持って部屋に入って来た。
「神前に供えてあった物を盗んで来たのではないでしょうね、景時?」
「べ、弁慶、やっだな〜♪
もてなしらしい事が何も出来ず申し訳ないって、わざわざ宮司さんが渡してくれたんだよ〜」
「そうですか。突然押しかけたのは我々の方ですからね。申し訳ないのは、こっちなのに……」
「そうだよね〜」
「ああ、景時。その戸は閉めないでくれ」
「え? あ、九郎。ごめんごめん。風が抜けて気持ちがいいもんね」
「いや、そうではない…。ま、それもあるのだが…」
「敦盛君が笛を吹いていますからね」
「え? ああ、この笛の音は敦盛君なんだ。さすがは平家の公達だね♪」
「ああ、そうだな……。どうせ俺など、剣の修行で精一杯だったからな」
「九郎…、何も君が落ち込むこともないのですよ」
「そうだよ。人には向き不向きっていうのがあるからね〜」
「そう… ! …俺は歌舞音曲向きではないと!?」
「べ、別にバカにしてるわけじゃ……、ね、ね〜、弁慶」
「そうですよ、生きていくのがやっとだった君と、
生まれた時から公達としての教養をたたき込まれた彼との、
生い立ちの違いでしかありません」
「そ〜そ〜〜、そ〜だよ。それにね、公達ってのも、下々の者が思っているより、結構大変そうだよ」
「昔ヤンチャしてた君が、五条大橋辺りで、稚児装束に薄物を羽織って格好つけていても、
笛の音がピポーでしかなかったのは、忘れてあげます」
「べ、弁慶!! あれは、お前が…!!」
「ま、敦盛君がここで僕達と酒を飲んでいて、
九郎が一人、庭で笛を吹いてる図っていうのも、想像したくありませんしね」
「ははは〜、そだね」
「ふ、二人とも! やめてくれ!」
「それにしても、敦盛君、どうしたんだろうね〜?」
「敦盛がどうしたというのだ?」
「あれ〜? 九郎も弁慶も気づかなかったのかい?」
「だから、何に気づかなかったというのですか?」
「ほら、今日、この熊野本宮に来る時、敦盛君、何かの汚れに触れたのか神域に入れなくてさ〜」
《 神域に入れなかったのですか…! それは…… 》
「ふむ、分かりませんね…」
「だが、こうして結局は入れたんだろう。取り立てて、騒ぐほどのことでは無いのではないか?」
《 九郎…、だから君は人がいいというか、甘いというか…。
事も無いように言いますが、『神社の境内に入れなくて困っている人』というものを、
今までに君は見たことがありますか? 》
「それがね、どうにも入れないらしくてね。
で、百年前の龍神の神子の逸話を教えてあげたんだよ〜♪」
「百年前の?」
「どんな逸話ですか?」
「京の汚れを探す陰陽師が…」
「ああ、その話ですか」
「弁慶も知っているのか?」
「ええ、比叡でも割と有名な話でしたね。
龍神の神子と手を繋ぐことで、神子の神気を授かることが出来たその陰陽師は、
たちどころに京の汚れの場所を知ることができた、というものでしょう」
「そうそう」
「御伽噺ではないのか?」
「ところがだよ、九郎。
そこで、それを聞いた望美ちゃんが敦盛君の手を握ると」
「たちどころに神域に入ることが出来た…、のですね」
「ほう、さすがだな。望美はやはり本物の龍神の神子なんだな」
「やっだな〜、九郎♪
ここに来るまでに、彼女がいったいどのくらいの怨霊を浄化したと思ってるんだい〜?」
「そうだったな。
あまりに望美が気さくで、『龍神の神子』といった神々しさなど感じないからか、
ついつい忘れてしまうが…」
「そこが、望美ちゃんの〜、望美ちゃんらしぃ〜ところだよ〜♪
あの人見知りの朔が〜、あ〜〜〜〜んなに、彼女には打ち解けているんだからさ〜」
「そうだな…って、おい! 景時!
お前、一人で、もう瓶子を二本も空けてしまったのか?」
「いいじゃない〜〜♪ いいじゃな〜い♪ ま〜〜だ〜四本もあるんだから〜〜」
「しかも、もう酔ってるだろう、お前!
弁慶、難しい顔をしておらずに、お前も何か景時に言ってやれ!!」
「そうですね……、熊野の酒は京の物よりもキツイですよ」
《 問題は、望美さんの龍神の神子としての能力云々ではない…、
何故、敦盛君はここ熊野本宮の神域に入ることができなかったか、ですね 》
「そんなことでは無く、だな! 弁慶? 聞いてるか?」
《 景時は何かの汚れに触れたと言いましたが、それなら我々全員、条件は一緒でしょう。
なのに何故、敦盛君だけ……。平敦盛…、無官の大夫……。
僕がまだ薬師として六波羅や福原に出入りしていた、
そう、福原に入道殿が遷都した四年前に一時、六波羅界隈で流れた
あの噂の真偽を調べないとならないのでしょうか…… 》
「弁け〜〜〜い! お〜〜い!! 聞いてるか〜〜〜!??」
「あっはは〜! や〜だなっ、九郎ったら〜〜♪♪」
「うるさいですよ、九郎…。人が考え事をしているというのに。
それに、神域の夜に、そんな大声を出すと、神罰が下りますよ!」
「え!! そうなのか!?」
「え〜! そうなの〜!!」
本宮の深い杜を抜け、神門にさしかかると切ない笛の音がいっそう大きくなる。
敦盛の笛……
切なさと、その中に混じった苦しさを感じ取り、ヒノエは敦盛に直接合うことを躊躇った。
自身もよく分からないままに近くの老木の梢に登り、
月明かりの中、石段で一心に笛を吹く敦盛の姿を見守った。
笛が途絶える。
眼を閉じて笛の音に聞き入っていたヒノエは、ハッとして敦盛を視る。
そこには、何かの苦しみに堪える敦盛の姿が、月明かりにはっきりと浮かぶ。
慌てて敦盛の所へ飛び降りて向かおうとするヒノエ
の肩を掴み、制する誰かの手。
!!
一瞬たりとも気を抜いてはいなかったはずのヒノエは、
しかし、背後をとられた動揺から、思わず右手のジャマダハルを振り下ろす
はずが、今度はしっかりとその右手を掴まれ
「落ちつきなさい」
と、穏やかにささやかれた。
「!! リ、リズ先生、あんた…いつから」
そのヒノエの問いかけには答えず、リズヴァーンは静かに敦盛の方を向き
「今は、神子に任せることだ」
「な!?……」
リズヴァーンの視線に促されるように、敦盛の方を振り向くヒノエの目に入ったのは、
敦盛を心配してか、駆け寄る望美の姿。
「オレでは、今の敦盛の助けにはならない、と?」
「……」
「望美なら、……いや白龍の神子なら、あいつを救える、と?」
「…答えられない」
「ダメだね、リズ先生。オレが行くのを制したんだからね。
あんたには答える義務がある」
「分かっているはずだ」
「! な、何を…だい?」
背中に、気持ちの悪い汗が流れる。
握った掌も汗ばむのが分かる。
それでもリズヴァーンは、何も言わずジッと眼下の二人を見つめ続ける。
リズヴァーンへの追求も腰砕けの格好となり、つい所在無さから黙ったまま、ヒノエも二人を見つめる。
望美が何か、敦盛に話しかけている。
「…ただ…」
突然ではあるが、何か意を決したように、静かに語りだしたリズヴァーンに
ヒノエは樹下の二人を見たまま、耳だけ注意を向けた。
「ただ?」
再び、何かを躊躇うかのようにくり返し、そして続ける。
「今は神子だけなのだ」
「望美だけがどうして……、白龍の神子だけ…… ! ……や、やはり、敦盛は」
「…神職ならば分かるはず」
「!……」
「『今は』…だ」
「『今は』……、ってことは、いつなら?」
「私は……告げるべき答えを持たない」
「あんた、いったい…」
「……これが運命なのだ」
「…運命…? 敦盛が苦しんでいることが?
望美が駆け寄ることが?
オレがこうしてバカみたいに木の上にいることが?
そんな運命、…だったらオレが変えてみせるさ!」
なんて悲しい音色なんだろう。
敦盛さんの笛が聞こえる。
隣で寝息をたてている朔と白龍を起こさないように、そっと部屋を抜け出す。
敦盛さんは社殿前の石段に居る。
何巡目の熊野だろう。
もう何度、私は敦盛さんの苦しむ姿をこれから見たことだろう。
玉砂利の音を立てない歩き方にも慣れた。
敦盛さんは社殿の石段に座り、喉の渇きと心の餓えに苦しんでいる。
自らを鎖で戒め、それでも贖えない苦しみを、笛で紛らわせようと必死な敦盛さん……
「神子、大丈夫だ。大丈夫だから――― お願いだ、私にかまうな……」
敦盛さんの苦しみは、本当のところではまだ、運命を何度上書きしても救えないでいる。
リズ先生が言う『上書きできない運命』なのだろうか……
弱気になってはダメ……、
そう自分に言い聞かせるけれど……
せめて今は、この龍神の神子の力で、敦盛さんの苦しみが少しでも和らぐなら……
「龍神よ――― 聞こえていたら力を貸して
清らかな気を敦盛さんに送って!」
そして敦盛さんは、
「―――痛みが ……渇きが……消えた…… あなたの……力なのか」
と言って、「人に聴かせるようなものではない」と少し照れて、それでも心を込めて演奏してくれる。
でも……
良かったのだろうか…
何巡目かの熊野本宮で、敦盛さんの笛を聴きながら、その時の私は、ふと思ってしまった。
この後、敦盛さんは
浄化こそが怨霊を救うからと、
一族に背き平家を捨て、
人ではない身を人前にさらすことすら厭わず変生し、
多くの涙と後悔をじっとその胸の内に秘めて、
その身を疎み、自らの浄化を願いながら修羅の道を突き進むことになる。
私や、他の八葉の盾として。
厳島で、平家一門の長・清盛の生み出した呪詛荒れ狂う渦に身を投じたこともあった。
倶利伽藍で、惟盛さんを前に、私を助ける為に変生してくれたこともあった。
壇ノ浦で、知盛の最期を止められず、悲嘆にくれたこともあった。
実の兄、経正さんとすら対峙し、浄化し、
そして、涙を堪えながら「覚悟が足りなかったのだ」と、きつく唇を噛みしめることすら……
敦盛さんの覚悟に、私は甘えてはいないだろうか
熊野本宮で、いつも私はこの思いを振り切れないでいる。
笛の音は、淡く切なく、それでいて先程とはどこか違って優しく感じられ、
それでも敦盛さんの覚悟を感じさせる凛とした響きだった。
「白龍」
「…」
「白龍」
「うん…? 何」
「し! 朔ちゃんが起きちゃうじゃん」
「ヒノエ…、神子のところに忍びに来たの?」
「違うって」
「じゃ、朔?」
「だから、違うって!」
と、ヒノエは小さな白龍を軽々と抱え、物音一つ立てず外にでる。
「いつもオレのことを、龍神様がどう思ってるのか窺い知ることが出来て、ありがたくて泣けてくるね」
「その気がないのに、ヒノエが神子をからかい過ぎるからだよ」
「からかっているつもりは……、じゃあ、本気ならいいのか…
って、こんな話をするつもりで、夜中にお前を連れ出したんじゃないんだ」
「分かってる」
「え?」
「敦盛のこと、だよね?」
「あ、ああ…。さすがは神様ってことか」
「敦盛は……、大丈夫」
「何が大丈夫なんだ?」
「誰も、何も……、穢しはしないから」
「白龍…」
「どうしてこうなったのか、今の私には、覚えていない部分が多すぎて、分からない」
「敦盛は、どうなる? 人間に戻れるのか?」
「……ゴメンなさい。これからどうなるのかも…」
「そうか…、龍神でも分からないんだ。
でも、…と言うことは、
これから未来がどうなるかは、神ですら決められないってことか」
「うん、そうだよ」
「だったら、『未来のことは自分で決められる』とも考えられるわけだ」
「うん、そうだね。
それに、これだけは言えるよ、ヒノエ。
敦盛は、大丈夫。
敦盛は、宝玉が選んだ八葉なのだから」
「嬉しいね。と、言うことは『宝玉が選んだ八葉』のオレも大丈夫ってことじゃん」
「うん。邪な思いを抱かない限りは」
「邪な……、それって、…警告?」
「うん、いろんな意味でヒノエへの」
「警告は虚心になってお聞きなさい、ヒノエ殿」
「朔ちゃん」
「朔♪」
「こんな小さな子供を夜更けに外へ連れ出して、体調でも崩したらどうするつもりなのです?」
「神様なんだけど、一応、これ……」
「朔〜」
「はいはい、さ、部屋に入りましょう。
夜更かしすると、ろくな大人にはなれないですからね」
「は〜い」
笛を吹きながら敦盛は思う。
神子の神気のおかげなのだ、と。
喉の渇きが癒え、体の苦痛が和らぎ、
いや、それ以上に
心の奥底に蠢いていた、生きとし生けるモノの血を求める衝動が……消えた…
ああ、本当にこの神子は、すべての怨霊にとって唯一の救いなのだ。
この世に居場所を見つけられず、
本能に抗えぬ自分を嘆き哀しみ、
死ぬことも消滅することも出来ぬ自らを呪って、
悲鳴を上げながら存在し続けねばならない怨霊にとって。
兄上……
やっと私は、
何故、再びこうしてこの世に反魂ったのか
何故、私だけがこの呪わしい力を授かったのか
ようやく、その意味を見つけました。
平家一門の過ちは、末席ではありますが一門である、この私が正しましょう
私ごとき、いかなる汚名を被ろうとも…
そして、戦のない来世でこそ、お会いしとうございます。
その日まで、
兄上
お別れです。
「神子…、夜も、もう遅い」
「そうですね。敦盛さん、お休みなさい」
去っていく彼女の後ろ姿を見つめる。
闇に彼女の影が溶けた、その時
「ちょっと、妬けるね」
と、声が降ってきた。
「ヒノエ、相変わらず高い所が好きなのは、変わらないのだな」
「『何とかと煙は』って付け足さなかっただけでも、よしとしようか」
と、音もなく着地して、すぐ隣に立った。
「すごいな」
「お、嬉しいね。このオレの、何に感動してくれたのかな?」
「相変わらず、器用なものだな。音も立てずに登ったり飛び降りたり」
「そこ…ですか。も少し、違うところに感動してくれない?」
「例えば?」
「例えば?…、こうして、どこから帰って来ても、すぐにお前の居所が分かることとか」
「たった今まで、笛を吹いていたからだろう」
「こうして、いつもお前を見守っていることとか」
「ヒノエ自身で『どこかから帰ってきた』と言った言葉と矛盾しないか?」
「こうして、お前の喜ぶ品をいつも持参することとか」
「何だろうか? この紙包みは」
「今日、田辺に着いた貿易船の荷、唐菓子さ」
「ヒ、ヒノエ…、私とて、もう子供ではないのだ。菓子に喜ぶとでも…」
「と言いながらも、要らないとは言わないんだね」
「そ、それは……すまない。あ、ありがとう…」
「ヒュー! 『ありがとう』…ね。あ〜ぁ、モノをもらった時だけじゃん、お前が、そんなことをいうのは」
「そ、そのようなことは……、すまない」
「やれやれ、語るに落ちているね。お前、認めてしまったじゃん」
冗談のように、敦盛の肩を後ろから抱きしめるヒノエ
「や、止めてくれないだろうか、冗談は」
「それでもいいさ…」
「?」
「何でも手に入れてやるよ、お前の喜ぶモノならば」
「ヒ、ヒノエ…?」
「この世のすべてを手に入れてやるよ。敦盛、だから…」
「ふ〜ん」
「だから……え!? な、なにが『ふ〜ん』なんだい?」
「そうやって、いつも女性を口説いているのだな」
「え? そんな…」
ヒノエは溜息をついた。
そして、
『もう二度と離したりするもんか』
とても口には出せないが、心の中で誓うのであった。
完
08/05/28 UP
08/06/01 運命上書