弁慶さんの休日 〜 紺屋の白袴 〜 後編
意識の遠くに話し声がする。
ふと弁慶は目を醒まし
聞くとはなしに隣の部屋の話し声に聞き耳をたてた。
……〜うです」
「うむ」
「九郎様が頑張ってくださったおかげだそうです」
「そうか」
「あ、それからこれは黒龍の神子様からです」
「? これは?」
「『ますく』というものだそうで」
「これが譲の言っていた…」
「はい。とりあえず二百程作ったら、こちらにいらっしゃるそうで。
それまで、弁慶様の看病をよろしくお願いします、とのことでございました。
では、わたしは向こうに戻りますので」
「うむ。あ、これも持っていきなさい」
「え?」
「一つでも多い方がよいだろう。私は」
「あ、ああ、そうですね。はい。では」
誰かが戸を開けて、そして戸が閉まり、遠離っていく気配がする。
リズヴァーンは使いの者を見送った姿勢のままで、弁慶に話しかけた。
「目が醒めたようだな」
弁慶も起きあがらず、夜具に横たわった姿勢で言った。
「いやだな、気が付いていらっしゃったのですか?」
物音一つ立てず、リズヴァーンが弁慶の臥せっている部屋に入ってきて
ゆっくりと枕元に座り、弁慶の額に手を当てた。
ほんの少しだったが、弁慶はリズヴァーンの手をひんやりと心地良く感じた。
わずかにリズヴァーンが笑ったような気がした。
弁慶は、何かを言おうとしたが適当な言葉が見つからず
自分の額の熱で少しずつ温められていくリズヴァーンの手の重みを感じていた。
リズヴァーンは手を額から除けると、穏やかに言った。
「何か腹に入れるものを作ってこよう」
「いえ、お気遣い無く」
「何か摂らねば、身体に力も入らぬだろう」
「……」
「今は、身体を治すことだけに専念するとよい」
「…リズ先生」
「お前が居らず、困っている者も多いのだ」
「……分かりました」
「うむ。粥でよいか?」
「お任せします」
「ちょうど今、ヒノエからの使いが卵を届けてくれた」
「ヒノエから…、ですか」
「うむ。卵を入れた粥にしよう」
「卵……」
「今は、自分の身体のことだけを思うことだ」
「リズ先生」
「無駄に事態を長びかせても、何も良いことはあるまい。
今でも、施薬小屋ではお前の力を必要とする者達が集っているのだ」
「!」
「とりあえずは、私とヒノエと譲とで手分けして、出来る限り対応している」
「そうでしたか……」
「さ、粥ができるまで、もう一眠りしなさい」
「……はい、では、御言葉に甘えさせていただきます」
しかし、弁慶にはリズヴァーンが去った後も、少しも眠気が訪れなかった。
訪れないどころか、弁慶はずっとある事を考え続けていた。
しかし、考えても考えても、それが何なのか、さっぱり見当も付かなかった。
思い出そうにも、弁慶の人生の何処をどう思い返しても、該当するモノは無かった。
『ますく』とは何なのでしょうか?
『じょうすいき』とは??
せめて、どの漢字を当てるのかが分かれば、ある程度の想像は可能でしょうが……。
先刻、リズ先生はこう言った。
「九郎は今、景時と二人で『じょうすいき』というものを造っている」と。
「じょうすいき」……
リズ先生は、それがどのようなモノなのか分かって言っている。
その言い様から、それは容易に察せられますね。
「じょうすい機」、「じょうすい器」……「じょうすい」の為の機械か器械ですね。
これは間違いないでしょう。
……何らかの動力を伴うモノとも考えづらいですね。
九郎が造っているということだし。
それでは「じょうすい」とは何でしょうね。
「除うすい」? 「助うすい」?
いや、あのリズ先生の言葉の発し方は「じょう」と「すい」で分かれるのでしょう。
どちらにしろ、「すい」は「水」ですね。
と、言うことは
考えられるのは「蒸水器」か「浄水器」、でしょうか。
水を「蒸留」するか「濾過」するかして、飲み水を作るのでしょうね。
でもどうやって?
そんな知識を九郎や景時が持っているとは思えませんから
やはり望美さん……いや、譲君の知恵なのでしょうね。
水……ですか
確かに盲点でしたね
ここ京は、湧き水が豊富で、飲み水には困らない
そう思っていましたが
その湧き水のほとんどは寺社か貴族・武家の管理下にあって
鞍馬や貴船、大原辺りでなければ、ほとんどが桂川か鴨川の水を生活水としていますね。
ああ、そう考えると市井の人々は下流になればなるほど汚れた水を飲んでいたのですね。
では、『ますく』は何でしょう?
先程来ていたヒノエの使いは、リズ先生に手渡しましたね、『ますく』を。
その程度の大きさだということですね。
「一つでも多い方がよいだろう。私は」
「あ、ああ、そうですね。はい。では」
このやりとりは、いったいどういう事でしょう。
「私は」「あ、ああ、そうですね」…、このやりとりが、妙にひっかかりますね。
朔殿が『とりあえず』で二百作れるモノ。
ああ、やはりこの程度では、皆目見当がつきません……。
ああ、気になります。
景時では無いですが、どんなものを、どうやって『作って』いるのでしょう??
リズヴァーンの好意も
寝ていた方が良いという常識や自制心も
今の弁慶の好奇心には打ち勝てなかった。
ああ、気になってとても眠れそうにありません
好奇心は猫をも殺すと言いますからね
リズ先生、申し訳ありません
そう心で謝まると、
弁慶は、そっと物音を立てないよう細心の注意を払って、床から起きあがった。
なるべく早く戻りますから
物陰で、その弁慶の様子を一部始終見、
苦笑いをしながら跳躍をするリズヴァーンであった。
「わ〜〜〜い!!」
子供達が河原を走り抜ける。
手に手に、何やら葉を抱えている。
走り寄る先にいるのは……
「そうだね、これはヨモギ。
随分と採ってきたじゃん、偉い偉い。
ヨモギは煎じて飲めば解熱、潰して塗れば皮膚炎やかゆみ止めに、
葉を入浴剤として用いれば、腰痛や打ち身、女の子には美肌にも効果があるんだぜ」
「あの…」
「や、こちらの姫君は…、へえ、すごいな
桔梗と葛に、ツワブキ、ドクダミ、ユキノシタか。
よく知っていたね」
「お祖母ちゃんと、よく採って使ってるの」
「いいお祖母ちゃんだね」
「うん」
「お兄ちゃん、これは?」
「これは、タンポポだね」
それを見ていた他の子供がからかう。
「バッカだなぁ、お前。こういう葉っぱを摘んでくるだよ」
「そうだぞ」
「チッチッチッ、そうでもないんだな、これが」
「えぇ!? ホントなの。ヒノエ兄ちゃん」
「タンポポはね、煎じて飲めば胃や腸に効くし、解熱、利尿・黄疸にもいいんだ」
「すごい」
「だろう。タンポポだって、バカには出来ないんだぜ」
「ううん。すごいのはお兄ちゃん。な」
「ああ、良く知ってるよな。薬師様に教わったの?」
「薬師…、ああ、あいつかい? 冗談」
「じゃあ、どうして詳しいの?」
「それはね」
と言いかけたヒノエの目に、山のように薬草を抱えて戻ってくる
満面の笑顔の、女の子と白龍が映った。
白龍がヒノエに駆け寄ってうれしそうに言う。
「ヒノエ、こういう葉や茎や根でいいの?」
「ああ、白龍。すごいじゃん! どこでそんなに?」
「すごいの? うれしいな、神子も喜んでくれるかな?」
「当然じゃん」
「うん」
遅れて駆け寄った女の子が仲間の子供達に向かって叫んだ。
「まだ、いっぱいあるの! あたしじゃ持ちきれないよ! みんなも手伝って!」
「手伝う手伝う!」
「うぉ〜! どこだ? あっちか?」
宝の山を見つけたように駆けて行く子供達。
「こっちだよ」
案内するように先頭を再び駆けていく白龍。
しばらくして、子供達は手に手にイタドリやイノコズチ、オオバコ、ゲンノショウコ、センブリに
葛、ツワブキ、ドクダミ、ハコベ、ヒルガオ、ユキノシタなどを大量に
それこそ持てる限界ギリギリまで抱えて戻ってきた。
白龍も子供達も泥だらけだが、皆、一様に満足そうで自慢げな笑みを浮かべていた。
「すごいね、みんな。これだけ薬草があれば、当分は施薬に困ることは無いんじゃない」
「薬師様、喜んでくれるかな?」
「勿論」
「本当に?」
「ああ。もし喜ばなかったら、オレがぶっ飛ばしてやる。
さ、施薬小屋へ運んで、仕分けをしないとね」
まだ何となく、身体がフワフワするわりに、足が重くてかないませんね。
ああ、冬とはいえ、今日はこんなに天気が良いのに
何でこんなに背筋がゾクゾクするような寒さなのでしょうね。
僕はいったいどうしてしまったというのでしょう。
あの角を曲がれば、施薬小屋のある五条大橋まですぐ
「あれ? 弁慶じゃねぇか?」
「ま、将臣君」
「何やってるんだ? こそこそと。こんな所で?」
「いえ。特に何という事もないのですが…」
「へぇ…。望美や譲は元気にしてるか?」
「え、ええ……。御自分でお会いになってはいかがですか。
すぐそこの五条大橋辺りにいるはずですから」
「おいおい。久しぶりに会ったって言うのに、つれないじゃねぇか」
「ちょっと急ぎの用件がありますので…、僕はこれで」
「特に何ということもないって、今言ってたばかりじゃなかったっけ」
「…そうでした」
「どこに急いでいるかは分からねぇけどよ、どうしたっていうんだ?」
「はい?」
「酷ぇ顔つきだぜ。あんたらしくもない」
「え?」
「風邪、引いてんだろう。それに熱も出てるな。38℃台はあるんじゃねぇのか」
「『さんじゅうはちどだい』?」
望美さんといい譲君といい、その兄の将臣君も、時々ワケの分からない言葉を発しますね。
それが龍神の神子と星の一族というものなのでしょうか……
「『さんじゅうはちどだい』とは、どういう意味なのでしょう?
それに『かぜ』とは?
ヒューと吹き付ける風とは、当然違うのでしょうね」
「それは……何て言って説明したものかな。
それより、どっかで寝てた方が良いんじゃねぇのか?」
「ですから、急ぎの用件があると」
「ああそうか、望美達に合流するんで急いでんだな」
「いえ違います。
と言うより、僕がここにいたことは、望美さんにも譲君にも黙っていてくださいね」
「OK 俺は黙ってる」
「助かります」
「俺は、な」
「?」
「でも、もう遅いんじゃねぇか?」
「え!?」
背後に殺気にも似た気配を感じる。
嫌な予感を胸に、弁慶はゆっくりと振り返る
と、そこには
龍神の神子・春日望美の怒りに満ちて仁王立つ姿が。
「弁慶さん!!!」
「ああ、失敗しましたね。僕としたことが…」
「せっかくリズ先生がお粥を作ってくれてるっていうのに! しかも玉子粥ですよ!」
「先輩、怒るの、そこじゃないですから」
「食べ物を粗末にしちゃあ、ダメじゃないか〜! 弁慶」
「景時さんも、ツッコむのは、そこじゃないでしょう! まったく困った人達だなぁ」
「弁慶! 先生の御厚意を無にするなどと! 許せん!!」
「九郎さんも、仁王立って『許せん』なんて叫んでないで、弁慶さん、寝かせましょう!!」
「病気の時は早く治すように務めるべきだと、常々仰っていたのは
弁慶殿御自身ではありませんか!
その弁慶殿が、範を示さなくてどうなさいます!!」
「そうですよ、朔の言うとおりだと思います。
それに、そんな身体でフラフラ出歩いていては病気も悪化するし
病原菌を撒き散らして、他の人にも迷惑なんです」
「『びょうげんきん』?」
「あんたの施薬を頼る人がいるんだからね。
責任として、さっさと病を治して、施薬に戻るべきなんじゃない?」
「皆、心配しているのだ。
何が気になろうと、今は病の治癒に専念しなさい」
「リズ先生……。みんな、僕のことを心配してくれる……?
……僕には他人から心配してもらうような、そんな資格などありません」
「いや、そうではないのではないだろうか。
私達は弁慶殿のお役に立ちたいのだ。
この私が、弁慶殿の役に立てたなら嬉しい。そう思っているだけなのです」
「敦盛君」
「仲間なんだからさ〜。お互いに助け合うのって、当然なんじゃないかな〜〜」
「兄上の場合は、助けてもらうばかりではありませんか」
「朔ぅ……」
「仲間………ですか」
「あのね、あんたのことを心配して、
こうしてみんな仕事を放り出して集まっているんだからね。
策士のくせに、そんなことも分からないのかい?」
「ヒノエ…」
「ぐちゃぐちゃ立ち話はもう終わり!!
さっさと部屋に戻って、リズ先生の卵粥を食べて、寝なさい!!!」
「あくまでも『卵粥』にこだわるんですね、先輩は」
「将臣君!」
「あ? ああ、OK」
「九郎さん!!」
「わ、分かった。連れて行く。さ、弁慶」
「二人なら大丈夫だから、弁慶さんが一歩も部屋の外に出ないように見張っていて!!」
「望美! それって」
「『バカは風邪引かない』からに決まってるでしょ!」
「だったらお前も一緒…」
ポカ!
望美は躊躇わず将臣を殴りつけた
「痛ぇな!」
「グダグダ言う暇があったら、さっさと弁慶さんを連れて行きなさいよね!!!」
「分かった分かった。九郎、行くぞ!」
弁慶は、九郎と将臣に連れられて、先程の部屋に寝かしつけられた。
これではまるで罪人のようですね、やれやれ。
それにしても源氏討西軍総大将たる源九郎義経もかたなしですね。
不思議な人だ、春日望美という女性は。
常に戦で先陣を切って駆け抜け、凛と風に向かって立つ姿と
傷ついた将兵に涙し、敵兵であっても極力、死に至らしめる事を避ける情と
まるで見てきたように、戦況や、院の胸中や、鎌倉殿の策を語り
九郎や僕の策にも真っ向から異を唱える聡明さと
自慢ではありませんが僕とて比叡ではそこそこの優秀な学僧だったはずですが
その僕が皆目見当も付かない知識を持っていて
にもかかわらず、無邪気に『卵粥』に固執するようなあどけなさも持ち合わせている
不思議な人ですね、本当に。
それが龍神の神子たる所以なのでしょうか
それとも、それがこの世とは違う世界から召喚された人たる所以なのでしょうか
僕は、そんなあなたの八葉でいることに喜びを感じています。
だから……
「ちくしょう、望美の奴」
「将臣、教えてくれ」
「ああ? 何だ、九郎」
「望美は何でオレとお前を弁慶の看病に指名したんだ?」
「分かってなかったのか…」
「弁慶を寝かせておかねばならない、というのは分かる。
それが何でオレとお前なんだ?
先生でも朔殿でも譲でも、誰でも良かったのではないか?」
「お前がうるさいからじゃねぇのか」
「いや、そんなことは…無いと…、だが…施薬小屋の仕事としては役に立っていたとは……」
「分かった分かった、そんなに悩むな。望美がオレとお前を指名した理由はな」
「ああ、理由は?」
「『バカは風邪を引かない』って、望美が言っただろう」
「あ? ああ、確かにそのような事を言っていたが……
『ばかはかぜをひかない』??? 何だその言葉は?」
「知らないのかよ……やれやれ。OK、説明してやるよ」
「済まん、頼む」
「オレもそうだけど、九郎、お前、熱を出して寝こんだことってあるか?」
「いや、…記憶にないな。病気というものになったことはない」
「だろう。だから、だよ。オレとお前に弁慶の看病を望美が命じたのは」
「さっぱり分からん。
その上、何故『バカ』は『かぜ』というものを引かないのだ?
!! その『バカ』とは、つまりオレとお前のことなのか!」
「今頃分かったのかよ。やれやれ」
「ところで、『かぜ』とは、ひゅ〜と吹き付ける風とは違うものなのか?」
「おいおい、弁慶を寝かしつけるだけでも難儀なんだ。
お前まで、話を面倒にしないでくれねぇか」
「僕を寝かしつけるのは、それ程難儀ですか?」
「あ!? 弁慶、起きてたのか」
「枕元で、そこまで大きな声で笑い話をされては、起きるなという方が無理でしょうね」
「済まん、弁慶!」
「その声がでかいっていうんだ」
「九郎、本当に君は内緒話の苦手な人ですね」
「済まん、静かにするから寝ていてくれ」
「いいですよ。それではお言葉に甘えて。ああ、九郎」
「なんだ? 寝ていてくれるなら、望美に怒られずに、こちらとしても助かる」
「これは『貸し』ですからね。後でキッチリと払って貰いますよ」
と、武蔵坊弁慶は悪戯っぽく、そしてこの上もない黒い笑顔で、床についたのだった。
仲間、ですか…
僕の罪を知ってもなお、そう言ってくれるのでしょうか…
ああ、そうですね
彼女は、望美さんはそれでも、何の躊躇もなく言ってくれるでしょうね、仲間だと。
方便として皆さんを利用していた筈の僕なのに
僕にはそんな資格などないはずなのに
何故、こんなにも胸に熱いものが込み上げてくるのでしょうか
これは、きっと病のせいですね
それにしても、僕はなんて幸せ者なのでしょう
弁慶はそう思いながら微睡み、ゆっくりと瞳を閉じ……
!!!!!
「すっかり忘れていました!! 『ますく』ですよ、『ますく』!
将臣君!! 『ますく』とは何ですか?? 教えてください!?」
09/02/18 UP
完