ウランバナ













湘南・鎌倉は七里ヶ浜。



繰り返す波音。



昨晩の花火大会は、例年にない人手だったと関係機関から発表された。

それを名残惜しむような気怠い空気。



まだほとんどの人が眠りについている。



東の空が何となく明るくなってきたようで、空か逗子の山並みか区別が何とかできるようになってきた。

街灯は点いているが、せっかちな空気が夜とは違ったものになりつつある。

あと暫くすると、朝陽が東の空に顔を出すのだろう。

しかし西に目を移すと、まだ腰越の夜空に星は瞬いている。



dragon noirかげときの店の前も昨夜が遅かったせいか、通る人影どころか今日は車すら少ない。



早朝からねぐらを起き出したトビの鳴き声がする。

昨晩の花火の見物客の食べ物のおこぼれにありついて、トビもこの夏一番の幸せな朝を迎えたはずだ。

気のせいかトビの鳴き声にも、昨夜の興奮の余韻と満腹感が感じられる。







軽やかに階段を降りてくる音がする。



厨房で朝食の準備をしていた景時が、その音に向かって言う。



  「やあ〜弁慶♪ やっとお目覚め〜〜?」



  「僕はもうとっくに起きてましたよ、景時。
   というより、夜も明けないうちからぼくの寝ている隣でガサゴサ起き出した九郎のお陰で、

   ちょっと寝不足ですね、まったく……ま、おかげで仕事のメールを5件ほど片付けることができました」


  「ハハハ〜、で、その犯人くろうは〜?」



  「さあ? 1時間程前に着替えて出て行きました。

   どうせ海岸通りをランニングしてるか、浜辺に降りて鍛錬でもしているのではないですか?」



  「そういうところは、相変わらずマジメだね〜〜」



  「マジメと言うか何と言うか……ハァ…どうしてああも、年がら年中張り切っていられるんでしょうね」



  「はい♪ 珈琲どうぞ〜〜」



  「ありがとうございます。朝に、景時が煎れてくれた珈琲の香を嗅ぐとホッとしますね」



  「そうかぃ〜〜〜♪ うれしいなぁ〜〜、弁慶にそう言って貰えると♪」



  「ええ。それに、僕達全員が泊まれるように、部屋まで用意してくれてあるなんて」



  「ま、御近所のリズ先生と譲君は家に帰ったけどね〜」



  「おや? 望美さんは?」



  「夜も遅くなっちゃったからね〜〜、朔が望美ちゃん家に連絡して泊まって貰ったんだよ〜〜」



  「そうですか」



  「何だか女の子同士の楽しそうな声が遅くまで聞こえてたね〜〜」


  「立ち聞きですか? いけない景時ひとですね、朔殿に言いつけますよ」



  「え〜〜〜! オ、オレ、そんなことしてないよ〜〜」



  「フ、冗談ですよ。景時も相変わらずですね」



  「何が『相変わらず』なのですか、弁慶殿?」



と、厨房側の入り口から朔が入ってきて、笑いながら弁慶に問いかけた。

表の駐車場と、更にその前の歩道の掃除から戻ってきたのだった。



  「内緒…、ですよ。ね、景時」



  「そ〜〜そ〜〜〜〜! な、内緒だよ〜〜」



  「男同士の友情なんですよ」



  「男同士の、ですか。クスッ、兄上よかったですね。弁慶殿から男と認めていただいて」



  「さ、朔〜〜」



  「それより朔殿、掃除はもう終わったのですか?」



  「いえ、ゴミの袋を取りに戻っただけで。昨夜は人出も凄かったのですが、歩道にゴミも結構多くて」



  「そうですか。では、僕もお手伝いいたしましょう」



  「もうすぐ終わりますから、弁慶殿は珈琲を召し上がっていてください。男同士の友情を育みながら」



  「大丈夫なのですか?」



  「ええ、実は今朝は、望美が一緒に手伝ってくれているんです」



  「え!! あの……望美さん…が、ですか?」



  「そ〜なんだよ〜〜! どうしたんだろうね〜〜?? 望美ちゃんが起きてるなんて〜〜ね〜〜!!」



  「ええ、ですから私と望美で女の友情を育みながら、外の掃除してますので。ただ…」



  「ただ〜〜?」



  「ただ…、何なのです? 朔殿?」



  「今日は雨かもしれないわ」



  「アッハハハ〜〜、そだね〜〜」



  「たまには私も早起きすること、あるんですよ! ひっど〜〜い!!」



いつの間にか戸口に立っている望美は、不満を表明しているが、その目は笑っていた。



  「望美ちゃ〜〜ん〜! ハハハ〜〜♪ ゴメンゴメ〜ン」



  「それより望美さん、九郎を見かけませんでしたか?」



  「九郎さんですか? 九郎さんなら、私達が駐車場の掃除してる間、ゴミ拾いを手伝ってくれて」



  「九郎が……ですか? ハァ…今日の『雨』は決定ですね」



  「ええ、そのようですね」



  「『朝飯までには戻ってくる』って言って、由比ヶ浜の方へ走って行っちゃいましたよ。ね、朔」



  「ええ、あの様子では逗子のマリーナくらいまでは行かれたのではないかしら」



  「横須賀までは行かないだろうけどね、弁慶」



  「行っていないことを祈ってます」



  「あっ! 朝食の時間をお伝えしてなかったわ。どうしよう、望美」



  「大丈夫、九郎さんだもん。ちゃんとお腹が空いたら戻ってくるよ」



  「そうかしら……。では、望美。私達も急いでゴミの分別をしてしまいましょう」



  「そだね。でないと、私達が朝食にありつけなくなっちゃうもんね。向こう側の歩道もやるんでしょ?」



  「ええ、そうよ。砂浜は今日は当番じゃないけど、歩道くらいは」



  「よし! 頑張ろう!!」



  「フフフ、頼もしいわ望美。ゴミ袋は3枚で足りるかしら」



  「空き缶や空き瓶、それに不燃物もやたらとあるから、あと2、3枚持っていった方がいいよ

   じゃ将臣君、御飯できたら呼んでね」



と笑いながら2人は、女性の友情と駐車場の掃除の為に出て行った。



  「え? 将臣君?」



弁慶が振り返ると、確かに将臣が窓側の席でぼんやり海を見ている。



  「あれ〜〜、ホントだ。将臣君、どうしたのかな〜?」



  「え……いや」



  「いつから、そこに?」



  「いつから……ずっと…かな」



  「気づきませんでした。僕としたことが」



  「こんな朝早くに、珍しいね〜〜」



  「……珍しい?」



  「え〜〜、だってまだ6時前だよ〜〜」



  「6時?」



  「そ〜〜だよ〜〜、そんな離れたとこに座ってないで、こっち来て座りなよ〜〜〜

   今、珈琲入れるからさ〜〜♪」



  「さ、将臣君、どうぞ」



弁慶は、カウンターの自分の隣の椅子をひいて、ここに座るように促した。



  「あ……、あぁ」



辺りをしきりに眺めながら、弁慶が指し示した椅子に座る。

窓の外で、楽しそうに語り合いながらゴミの分別をする2人を眺め、



  「龍神の神子2人……」



と、言った。



  「珍しいですね」



  「?」



  「将臣君からそんな言葉を聞くなんて」



  「そうか?」



  「はい、お待ち遠おさまぁ〜〜」



  「すまん」



そう言うと、一口飲み込む


  「……美味うまい



  「嬉しいね〜〜今朝は。良い日だな〜〜。

   弁慶と将臣君、2人に珈琲褒められるなんて。オレ、自信持っちゃうな〜〜〜」



そこへ2階から敦盛が降りてくる



  「お早うございます、景時殿」



  「敦盛君〜〜おはよう〜〜♪」



  「お早うございます、敦盛君」



  「あ、お早うございます、弁慶殿、将お……み…殿……」



  「……敦盛……、今日も元気そうだな。安心した」



  「……は、はい……」



  「やっだな〜〜、昨夜から逢ってるじゃないか〜〜」



  「か、景時殿…。あ、あの…」



  「何かな〜〜、敦盛君〜〜?」



  「い、いえ……。あ、ゆ、譲は……?」



  「今朝は、まだだね〜〜」



  「昨夜が遅かったですからね」



  「でも今日も朝練の前か後には、寄ってくれると思うけどね〜〜♪」



  「そう……ですか…」



  「何かな〜〜、用事〜〜?」



  「……い、いや……」



そう言うと敦盛は先程まで将臣が座っていた窓側の席に座り、外を眺めている。



  「どう、したのかな〜〜??」



  「さあ……? 敦盛君、ヒノエはどうしました?」



  「え? ああ、まだ寝ていたようだったが…」



  「そうですか。やれやれ」







厨房ではコトコトと湯の沸く音がする。その向こうの扉が開き、



  「お早うございます、景時さん」



  「あ、譲君〜〜♪ お早う〜〜」



  「朝練までまだ時間がありますから、ちょっと朔と先輩を手伝ってきますね」



と、分別の終わったゴミ袋を地区の集積所まで運びに出かけた。



  「あ〜、ありがとうね〜〜。さ〜〜て、リズ先生がまだだけど、じゃぁ、朝食、作り始めるね〜〜♪」



  「フフフ、望美さんの言ったとおり、帰って来ましたよ」



  「あはは〜ホントだね〜〜。九郎〜〜!、お帰り〜♪ リズ先生も、お早うございま〜〜す」



  「やあ、景時!」



  「お早う」



  「リズ先生、お早うございます」



  「先生とはちょうど、そこの交差点でお会いしたのだ」



  「景時、これを…」



  「これは…クロダイですね。凄い立派だな〜〜♪」



  「うむ」



  「すみませんね〜〜」



  「リズ先生、我々のために朝から釣りに?」



  「先生、僕達のためとはいえ、あまり寝ていらっしゃらないのではありませんか?」



  「問題ない」



  「無理はなさらないでください。暑い日が続きますから」



  「うむ……気を付けよう」



  「そうなさってくださいね」



  「景時…、ワタとウロコは取ってある」



  「助かりま〜〜〜す♪」



  「あなたが……」



  「将臣? お前、昨夜から何処か変だぞ?」



  「そうだね〜〜〜。いつもの横文字言葉も言わないからね〜〜」



  「まるで別じ……まさか……フッ、嫌だな、僕としたことが……」



将臣は少しの間考えてから、店内の誰に向かってとも分からないが、言う。



  「そろそろ時間だな……あいつに伝えておいてくれ。『ありがとう、そして、世話になった』……と」



  「あいつ…? ありがとう……? いったい何のことだ? 将臣、お前、昨夜からどうかしているぞ!?」



  「九郎、落ちつきなさい」



  「しかし先生……。将臣、どういう意味なのだ?」



ゆっくりと将臣が立ち上がる。



  「朝食も食わずに、もう帰るのか? 将臣!?」



  「言いたいことも聞きたいことも山のようにあったんだが……ま、これで十分だ。あいつなら…」



  「だから『あいつ』とは誰なんだ?」



優しく笑い、



  「景時、美味かった」



笑みをたたえながらも、その落ち着きと威厳に気圧され、景時は何も言えなくなる。



  「敦盛をよろしく頼む」



と、隣に座っている弁慶に言う。



  「え、ええ」



dragon noir の扉まで歩き、扉を開ける。

敦盛が慌てて立ち上がり、その後ろ姿に声をかける。



  「あ、あの!」



しかし将臣は、ゆっくりとした足取りで店から出て行く。



駐車場の望美と朔、それに譲もその姿を見て、何か声をかけているようだが

その後ろ姿は右手を上げ手を振っただけだった。



国道の歩道に出、右に曲がって姿が見えなくなる

その一瞬に、また右手を上げた。







別れの挨拶をされたように敦盛は感じた。







朔が店に戻ってくる。



  「将臣殿、帰ってしまわれたのですか? どうしたのですか?」



  「どうしたのですかって言われても…、ね〜、弁慶」



  「……ええ」



  「還ってしまわれたのだ…な」



そう言うと、敦盛はゆっくりと2階に上がっていった。







譲はゴミ袋を抱えて地区の集積所に運びながら呟く。



  「まったく! 兄さんは何が気に入らないんだか。

   昨夜から様子がおかしいったらないんだから」







望美は将臣の後を追って歩道に走り出た。

と、目の前の歩行者とぶつかって尻餅をつく。



  「アタタタ…、ごめんなさい! だ、大丈夫ですか?」



相手も突然歩道に飛び出してきた相手と正面衝突を避けられず、尻餅をついている。



  「痛ってぇな! 朝っぱらからまったく! って望美!! お前か」



鼻を押さえながら顔を上げると、そこには同じように尻餅をついている将臣の姿があった。



  「ま、将臣君???」



  「俺だったから良かったが、望美! 他の人間だったらどうするんだよ!」



  「え?? たった今…、え?? 将臣君、帰ったんじゃ」


  「お前……頭、大丈夫か?? 帰った?? 俺はたった今、dragon noir景時の店に行こうと……。

   一昨日お前に言ったよな。『花火大会の日は模試で東京だから、参加できない』って」



  「あれ? そうだっけ……そういえば、そんなこと言われたような」



  「お前の頭の構造、一度切り開いて見せてみろ ったく!」



  「え〜〜、だって? え〜〜?? でも昨夜は……!? え〜〜〜???」



  「分かった、お前、こんな朝早くだからまだ頭が動いてないんだろう?

   OK! とっとと布団に戻って寝ろ!」



  「あれ〜〜?」











dragon noir景時の店にいた人間も皆、望美と同じ反応だった。



  「ま、将臣……君〜〜? 今、出て行ったんじゃ? ないの〜?」



  「……ええ…そう……です」



  「ハァ〜! 景時? 弁慶? 何、寝惚けたこと言ってるンだ?」



  「あ、あの…将臣殿……」



  「? 敦盛? 何なんだよ……」



  「言付けを頼まれました。『ありがとう』と。そ、それと……『世話になった』とも……」



  「何だ?? どういうことだ?」



  「さあ……、お前が出て行って、そして入ってきただけだ」



  「俺が出て…?? 九郎、何、言ってるんだ?」



  「お盆……だから、でしょうか?」



  「……うむ…」



  「ま、感謝してたんだから、良かったのではないですかね」



  「?? さっぱり分からねぇ」



  「名前を騙ったと怒られなかったんだから、良かったんじゃん」



  「今朝の出来事を、君は2階にいて知らなかったのではないのですか?」



  「おっさん、上で敦盛からだいたいのことは聞いたからね」



  「ああ、それで、ですか。それにしても、敦盛君。君はすべて、分かっていたのですか?」



  「それも昨夜から、だね?」



  「い、いや……その……」



  「弁慶? ヒノエ? さっきから何を言っているのだ?」



  「九郎は少し黙っていてくださいね」



  「あ、ああ……」


  「お前、熊野の時の還内府まさおみと同じ事を、またやったんじゃん」



  「ええ、そういうことになりますね、敦盛君」



  「あ、あの……」


  「それにしても……ね。過大評価されてるんじゃない? 重盛ほんものには悪いけど将臣にせものを買いかぶりすぎだって」



  「君なら分かるはずだと仰ってましたからね、将臣君。分かるまでは、皆さん、黙っていてくださいね」



  「だから!! 弁慶! 何なんだよ! ヒント、な! ヒントだけでも…… これって新手のイジメか?」



  「それにしても、何で今なんだ?」



  「『お盆』が近いからではないのですかね」



  「『お盆』……ね」



  「『お盆』…??」



  「OK! 考える! でも、その前に飯にしようぜ、飯! な、景時。景t……こりゃ、朝飯もダメかな」



  「か、景時殿!?」



何故か厨房で、気を失っている景時だった。











       * ウランバナ;( ullambana )……今日「お盆」と呼ばれている「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の語源といわれているサンスクリット語。









08/08/25 UP