紡いだ未来 〜年下の彼〜











鎌倉高校から江ノ電の駅へと向かう坂道

弓を担いだ高校生が二人、肩を並べて下りてくる。



   「お前、最近どうしちゃったんだよ」



   「別に…」



   「別にって、それにしちゃあ、弓、絶不調のどん底じゃん」



   「そんなことは…」



   「クリスマス頃の絶好調が嘘みたいだよ。まったくの別人だぜ。心配もするさ、有川」



   「あの頃がまぐれだっ… あれ!? 朔?」


   「え? 朔って…、あそこに立ってる、あの?」



   「え!?  あ…、ああ」



   「え! ええ?? お前、いつの間に……、ううう…、どうやったらあんな可愛い娘と〜」



   「何? それに何で泣いてるんだ?」



   「いやいやいや、こっちの話、それにしても春日先輩一直線だったお前がね…、へ〜。

    ようやく世界ってものを見る気になったか」



   「何だよ、それ?  それに、朔は、そんなんじゃないんだ」



   「へへへ、そんなってどんなだ? あ〜♪ オレ、本屋に用事あったんだっけかな〜… 忘れてた! じゃ〜な」



   「お前はいつもそれだ! 別に気を利かせるような」



   「いいから、いいから。頑張れよ!」



   「だから!」



譲は、立ち去る友人の背中と、嬉しそうに走り寄る朔の笑顔を交互に見る。



   「譲殿? どうか、なさいましたか?」



   「いや、べ、別に。それより朔は、どうして?」



   「はい、望美に頼まれて買い物に」



   「え? 先輩の買い物? まったく、先輩もお節介なんだから」



   「?」



   「いや、こっちの話。それより、天気が崩れそうだ。急いで帰ろう」



   「はい」













朔はそれでいいの?

私は黒いのの半身だよ













   「あ、兄上!……わ、私…生まれて初めて、兄上にぶたれました……」



   「あ! あああああささ朔!! ごめんごめんごめんごめんごめんよ〜

    でもさでもさでもさ、落ちついてよ落ちついてよ、冷静になって考えて欲しいんだ」



   「私は冷静です。兄上の方こそ冷静に考えてください」



   「だからさ……、ほら、リズ先生だって、今戻るのは得策ではないって仰ってたじゃないか」



   「でも」



   「将臣君や望美ちゃんは、俺達が向こうに戻ったら、どう世の中が動くか教えてくれただろう」



   「ええ。…でも」



   「譲君だって、あんなに戻るなって言ってくれてるじゃない」



   「そ、それは……、でも! 私には信じられません」


   「どうしてだい、朔。こっちの世界に残ることに、どうしてそんなに躊躇ためらうんだい?」



   「どうして? あちらの世界に母上がいらっしゃるからです。当然ではないですか!?」



   「でも、オレ達があっちに戻るってことが何を意味するか、もう少し冷静になって考えて」



   「たった一人、あちらに残っておられる母上のことはどうなのです?」



   「忘れたことなんか無いさ、オレだって…」



   「だったら…」



   「でもね、朔。考えてごらん。和議が成立したとは言え、

    最前線で多くの将兵の命を奪った、総大将の九郎や、軍師の弁慶、それに戦奉行のオレ、

    平家討伐の最前線に立っていたんだから朔だって、あっちの世界に戻ったら、やはり多くの人の遺恨は向けられる」



   「それは…」



   「それに、オレ達が戻ることで、次の戦のきっかけを与えてしまうって事が分かってるんだ。

    オレ達が、多くの命を遣り取りするきっかけになる……そんな所には…帰れないよ」



   「母上は…」


   「大丈夫。オレ達さえ存在なければ、

    母上は戦を終わらせ、怨霊を鎮めた『龍神の神子』の母上として敬われて居られるよ。

    ちょっと、御寂しいだろうけど…ね。

    でも、母上の命が狙われるようなことは、決して無いと思うよ」



   「戻ったら、親子共々命を狙われる上に、戦の元凶となる…。

    戻らなければ、親を捨て置く不幸者となる…。

    望美がたまに使う『究極の選択』というものですか?」



   「そ、そんな……。戻ることより、戻らないことの方が『べたー』なんだよ〜。分かるだろう、朔

    それと、これも覚えておいてほしいんだ。

    朔が、何処にいても笑顔でいてくれること、それが母上とお兄ちゃんの、一番の願いだよ♪

    母上のことも、もちろんオレのことなんかも、気になんてしなくていいんだからね〜、

    それより大事なのは、朔、君自身の気持ちに正直になることだよ。

    あっちに戻ることと、こっちに残ることのどっちが朔を笑顔でいさせてくれるだろうか

    それだけが大事なんだよ。
    いいかい、取り返しのつかない状況ことになってから後悔するのは……、オレだけで十分だからさ…」



   「……兄上」













   「お前はそれでいいのかい?」



   「いいも悪いも……。俺が何と言った所で、朔の決心は変わらないさ」



   「本気で言ってる?」



   「え? ああ……」



   「虚勢を張るのも結構だけれどさ、TPOを選んでからにして欲しいね。

    いいかい、心して聴けよ。

    失ってしまってから後悔しても遅いんだぜ、譲。お前だってそれは分かっているはずじゃん

    それに……、そんな思いは、もう誰にも味わって欲しくないんでね」



ヒノエは傍らの敦盛の肩を、冗談とも本気とも分からない不思議な表情で、ぎゅっと抱き寄せる。



   「ヒ、ヒノエ…?」



   「譲! お前、朔ちゃんを本気で抱きしめたことあるのかい?

    抱きしめるどころか、手すら握ったこと、ないんだろ?」



   「お、俺は別に……」



   「覚えておけよ、譲。こうして、ぎゅっと捕まえておかないとね」



   「や、やめてくれないだろうか? ヒノエ」



   「人の気持ちって奴は、当の本人も気づかないうちに、どこかにいっちまうものだからね」



   「冗談なら怒る。ヒ、ヒノ……」



   「いいとこなんだからさ、敦盛、お前が嫌がってぶちこわしになんてしないで欲しいな。

    それに、冗談じゃなければいいってことじゃん、今の言い方は」



   「い、いや。別にそんな意味は…」



   「言ってこいよ、朔ちゃんに。虚勢を張らず、ありのままのお前の気持ちを伝えに、ね」



   「ゆ、譲…、意外なことなのだが、私もヒノエに同感だ」



   「敦盛…、ヒノエ…、そう……、そうだな。行ってくる」







譲が退出する、その後ろ姿をヒノエと敦盛は見送る。



   「譲が乗せやすい性格で助かったな、敦盛」



   「ああ、そうかもしれない。ところで、ヒノエ」



   「ん? 何だい」



   「いいかげん、この腕をどけてはくれないだろうか?」



   「おいおい、この状況でもお前は『いい感じ』には、なってくれないのかい?」



   「い、『いい感じ』…とは?」



   「やれやれ、譲のことをどうこう言ってはいられないね、オレも」















陽の暮れかかった七里ヶ浜。

波打ち際にたたずむ譲。

遠くから、軽やかに朔が走って来る。



   「譲殿」



   「すまない、急に呼び出したりして」



   「それはいいのですが…、何かあったのですか?」



   「な、何かは…、これからある…と言うか、何と言うか」



   「? どうされたのです、何かいつもと雰囲気が違います」



   「あの…、さ、朔」



   「?」



   「も……戻ら……」



   「はい?」



   「戻らないで欲しい」



   「ゆ、譲ど…」



   「向こうに、戻らないでくれ! お願いだ!」



   「ですが、私には」



   「分かってる。母上のこと、毎日心配してるのは」



   「だったら…」



   「でも…、だ、だから、これはお、俺の…」



   「俺の?」



   「俺の我が儘だってことはよく分かってる。でも……

    でも、朔のいなくなった後の世界なんて考えられないんだ!」



   「譲……殿」



   「俺と一緒にいて欲しい」



   「でも」



   「朔のいない世界に一人でいるのなんて、俺はっ!!」



   「譲d…」



   「ダメ…なのか……、やっぱり俺じゃあ」



   「そんなこと…」



   「だったら…」



   「………何も無い……」



   「え?」



   「私には、何も無いのです」



   「? 朔…」



   「私は……。あちらの世界でこそ『黒龍の神子』であったけれど……。

    こちらの世界では、何の力も無い。何も出来ない。誰にも望まれていない」



   「そんな、そんなことは無い!」



   「そんなことは無い? 証明できますか?」



   「少なくとも、俺は望んでいる!! あ、いや、その、深い意味は……」



   「……あちらの世界ですら、私は黒龍とのこともあって世を捨ててしまったのです

    そんないっかいの尼僧に過ぎない……私はその程度なのです」



   「『その程度』なんて言うな! 言っちゃ、ダメだ。

    尼僧なんて還俗すればいい。

    それに、尼僧なのは、それこそあっちの世界での話じゃないか」



   「ですが……

    それに、その黒龍の神子だって……黒龍の神子には、八葉すらいない。
    私なんて、白龍の神子のぞみや、白龍の神子の八葉がいなければ、

    怨霊一つ浄化できず、おろおろしているだけ……

    結局、私は……どちらの世界にあっても、何の役にもたたないのです」



   「朔…違う!朔がいてくれて、先輩だってみんなだってどのくらい助けられたか…」



   「いいえ、どちらの世界でも、何も出来ず、いつも歯がゆいばかりで……、

    だったら、せめて黒龍の思い出と共に、母上に親孝行するため、あちらの世界に戻ることの

    何がいけないのです?」



   「いけないとは言わない。

    でも…それでも。いや、それ以上に。

    俺が望んでいるんだ! 俺は…朔と一緒に居たい!!」



   「譲…殿?」



   「俺は朔をずっと見てきた。だからこそ、朔の力になりたい

    朔を傷付ける全てのことから、朔を守りたいんだ、 ……いや、そんなのは綺麗事だな。

    俺は、俺の我が儘で朔を困らせているだけなんだろう。母親を捨てろって言ってるんだから。

    それでも、それでも!」



譲が朔の肩を掴む。



   「譲殿…」



朔の困ったような笑顔。



   「それでも、俺と一緒にいて欲しいんだ

    朔! 行くなっ!!」



譲は朔を抱きしめる。

逃がすまいと

戻らせまいと



   「ゆず……」



譲の、かなり速い鼓動だけが大きく聞こえる



   《 譲殿の鼓動を感じる… 》



妙に冷静な自分に、朔は少し驚いた。


譲の必死な様子に、譲が実は年下だったことを思い出して


気づかれないように、そっと微笑えむ


腕を譲に回して、自らも抱きつき


その鼓動を聞き逃さないように、しっかりと耳を譲の胸に押しあてる。







   《 この安心感

     この暖かさ

     これを幸せというのかしら…。

     でも…この気持ちに身を預けてしまっていいの?

     この人は私のことをいつか重荷に感じたりはしないの?

     私はこの人の重荷にはなりたくない

     こちらの世界のことすら、おぼつかないというのに

     それに…

     かつて、この人が望美にそうだったように

     かつて、私が黒龍にそうだったように

     「恋」に恋しているだけだったとしたら…?

     そして突然、その事に気付いてしまったら?

     「恋」の夢から醒めてしまった時

     そこにいるのが、何の魅力もない、何の力も持たない、何の才能も無い

     この浜に来る綺麗な女の子達に比べて見劣りする

     それなのに責任をもたなければならない

     存在わたしだったとしたら?

     それでも… 》







波の音がする


譲の鼓動が聞こえる


私の鼓動も共鳴する







どれくらい時が過ぎたのだろう



   「……分かりました」



   「! さ、朔…」



   「私に、この世界で何が出来るのかは、分かりません……」



   「朔…」



   「でも…譲殿の気持ちが、とても嬉しかった…

    その気持ちを失いたくないと思ってしまった…だから」



   「朔!それはっ」



   「私は……こちらにとどまろうと思います

    少しずつ、私にも出来ることを探しながら…

    譲……殿」



   「朔!」















一つになったシルエットを、離れたガードレールに身を隠しながら見詰める五人の影。



   「OK! よかったんじゃねえか。ハッピーエンド、だよな、望美」



   「うん。ヒノエ君からメールもらって、すぐに朔を尾行して正解だったね」



   「しかしだ! 良識ある若者が、こんな人目につく場所で抱き合うなど! 止めてくる」



将臣と弁慶に、思い切り殴られる九郎



   「な、何をする! お前達!!」



   「し! 静かになさい、九郎」



   「馬に蹴られるぞ! 絶対に、お前」



   「嗚呼、八葉の和が乱れる。ゆゆしき事態だ」



   「大丈夫だよ、白龍

    それより、本当に良かったね、朔も譲君も。

    もう、私、涙が出ちゃったよ」



   「ヤキモキしましたが、やっと落ちつくところに落ちついたという感じ、ですかね」



   「ホント、ホント。譲の奴、すっごい奥手だから心配してたんだぜ。

    ただ、な……」



   「ただ? 何、将臣君?」



   「いや…、弟のラヴシーン覗くってのはちょっと……な」



   「照れますか?」



   「そっか、お兄ちゃんとしては複雑な心境なんだね。でも、感動的だからオッケーじゃない?」



   「フ」



   「お? 何だ、弁慶。その意味深な笑いは?」


   「いえ、別に。ただ、あちらの世界で、弟君達のこういう場面ラブシーンに遭遇する事には、

    慣れていらしゃるのでは、と思っただけですよ」



   「あ! 知盛と重衡… あいつらは弟じゃない。しかも年上だ」



   「そちらの方面でも、御高名でいらっしゃることは天下に知らない者などおりませんでしたからね」



   「百戦錬磨のあいつらは、他人に『見られる』んじゃない、『見せてる』んだ。譲と一緒にしないでくれ」



   「やはり、不謹慎だろう! 止めてくる!」



   「九郎。いい加減にしないと、僕が蹴りますよ!」



   「良かったね、将臣君。可愛い義妹ができて」



   「朔も年上なんだけどな、オレより。
    それに、『可愛い』って形容いうより、『気が強い』とか『しっかり者の』って感じだぜ。

    まだ、義妹ってのは、気が早いんじゃねーか?」



   「いいえ、あの二人は真剣で、その上、二人とも真面目ですからね。

    余程の事でもない限り、君の義兄という立場は変わらないと思いますよ」



   「ま、良んじゃねーの? 弁慶が言うと、いまいちピンと来ねーけど」



   「心外ですね、僕だって譲君と同じくらい、真面目で真剣ですよ」



   「へ〜」

   「へ〜」



   「嫌だな、望美さんまで」



   「え〜、だって色々とヒノエ君から聞いてますよ」



   「どんな話かの想像はつきますが、信じないでください。

    その上『色々』って、漢字にされると妙な『にゅあんす』が付きますから止めてくださいね

    それよりも、さ、戻りましょう。いつまでもここにいると、それこそ覗きですからね」



   「そーだな。九郎がこれ以上、何かあの二人にしでかさないうちに退散しようぜ」



   「景時には言わないの?」



   「白龍…。それは」



   「実の兄に、妹の行状を伝えるのは当然だろう」



   「止めとけ止めとけ、九郎」



   「何故だ?」



   「無粋な真似、だからですよ。九郎」



   「いつか、あの二人が直接景時に言いだすまでは」



   「僕たちがここで見たことは」



   「内緒ですよ、九郎さん」



   「どうしてだ?」



   「僕たちが、覗き魔だと公言して、あの二人に嫌われたくは無いでしょう」



   「何故そう…」



   「いいから、いくぜ。九郎」



   「将臣、お前には分かっているのか」



   「お前ほど、野暮じゃ無ぇからな。

    ほら、それより信号変わっちまうから、さっさと歩けよ」



   「どうして景時に言うと、無粋な覗き魔で野暮になるのだ?」



横断歩道を渡り、向こう側の歩道を遠ざかっていく、男四人。







望美はもう一度、沈みゆく夕日に照らされた二人のシルエットを見詰め

ここまでの数奇な運命が、やっと幸せな終焉を迎えたように感じた。



そして、思わず一言

本当に今の率直な願いを口にした







   「誰も帰らないで欲しいな」















   「まだ、私の五行は満ちていないから、戻りたくても戻れないよ」



皆が集まっての夕食時

あっちの世界に戻る戻らないの話題で盛りあがっている最中

白龍が、スープを器用にスプーンですくいながら

まるで「お代わりしてもいいの」とでも聞くように普通に言った。



一瞬の静寂



それを破ったのは将臣だった



   「お前! こ、ここまでその話題で盛りあがらせておいて、それはないだろう!」



   「この数日の騒ぎを、君も知らないわけではないでしょう」



   「うん」



   「『うん』じゃ無ぇだろう! 『うん』じゃ」



   「ごめんなさい」



   「七里ヶ浜の盛り上がりを、お前も一緒に観ていただろう!」



   「あ、馬鹿! 九郎、それは」



   「九郎! 君はどうして…」



   「し、七里ヶ浜って…」



   「譲殿。何だか、とても恥ずかしい気分なのですが……」



   「兄さん!! 先輩!! まったく、もう! 油断も隙もあったもんじゃない」



   「ゆ、譲殿…」



もうこれ以上ないって程真っ赤な顔をして、

譲の後ろに隠れる朔に向かって



   「いや、朔、これでよかったんだよ。

    こんな事でも無ければ、俺はまだうだうだ思い悩んでいただろうから。

    それにしても、どうして分かったんだ……あ! ヒ・ノ・エ!」



   「良かったじゃん、おめでとう、譲」



   「そうだよ、おめでとう。譲」



   「ヒノエ! 白龍! お前らには言われたくない!」



譲は手近にいた白龍の頭をこづく。



   「譲、痛い」



   「飯も食い終わったし、退散、退散」



   「待てよ! ヒノエ! ったく…」



リビングを素早く逃げ出すヒノエ

と、入れ替わりにトレーを持って入ってくる景時



   「あれ〜ヒノエ君、デザートは〜? 今日はリンゴのコンポートだよ〜。

    あ、譲君、朔、頼むよ」



   「意味深な言葉に聞こえるね」



   「先輩、し〜!」



   「望美、それはまだ、気が早いわ」



   「え? そうなの?」



赤くなったり蒼くなったりする譲の表情に爆笑する人々。

そんな情景を、その場にいる全員が、隣の部屋から聞いているヒノエも、幸せだと思う。

この笑いの風景がいつまでも続いて欲しいと、誰もが願った。

ただ一人、まったく話題から取り残された景時を別として。



   「何なのかな〜? この笑いは? オレ、何か変なこと言った〜???」



















   「神子」



窓の外に白龍の声がする



   「白龍? どうしたの、こんな夜中に? ヒノエ君みたいな登場の仕方して?」



   「神子、私は向こうの世界に戻るよ」



   「え!? いつ?」



   「今]



   「どうして!? だって……五行はまだ満ちてないんでしょ?」



   「あれは……嘘だよ」



   「神様が嘘を言っていいの?」



   「そうだね……。ごめんなさい」



   「馬鹿っ! 謝ったりしないで」



   「あの時の嘘は、神子が言の葉に願いをのせたから…『誰も帰らないで』と」



   「その『誰も』には、白龍だって含まれてるんだからっ!」



   「それに…」



   「それに?」



   「不幸になるとわかっている人間を、不幸になる状況に追い込むことは、私にはできない」



   「……そうだよね、それは。……でも」



   「私の黒い半身に怒られるかな…」



   「嘘をついたこと?」



   「うん。でも、黒い半身も分かってくれると思う。

    ……それでは、神子。息災で」



   「ホントに? ホントに行っちゃうの?」



   「うん」



   「行かないで、白龍」



   「……ありがとう。言の葉にのせた神子の言葉でも、それだけは…」



白龍に泣きながらしがみつく



   「だめ! だめだめだめ!! 行っちゃ嫌だ!! 白龍」



   「神子、私の神子……違う世界にあっても、常に私は神子と共にあるよ」



   「行っぢゃぁ嫌だあっ!!!」



   「泣かないで、神子」



それでも泣きじゃくる望美に、そっと優しく髪を撫でながら



   「泣かないで。また逢いにくるから」



望美は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を真っ直ぐに白龍に向けて尋ねる。



   「……ほんと?」



   「うん」



   「ほんとだね?」



   「うん」



   「絶対だよ」



   「うん」



   「……分かった……約束だからね」



と言って、そっと白龍にしがみついていた手を離し、ほんの半歩下がる。



   「うん」



   「嘘ついたら『花断ち』百発お見舞いするんだからね!!」



   「うん」



   「…白龍」



   「神子」



   「ハイハイ、盛りあがってるところ、お邪魔だろうけど、ね」



   「一言、挨拶をさせて下さい」



   「ヒノエ?」



   「弁慶さん? どうして?」



   「どうして? おいおい、見損なってもらっちゃぁ困るな。オレは神職だぜ」



   「嫌だな、龍神に五行が満ちたかどうか、比叡の優等生に分からないワケがないじゃないですか」



   「他の人達は?」



   「まったく気づいてないだろうね。

    その上、あいつらに何か言ったら大騒ぎだ。

    せっかくの白龍の決心が台無しになっちゃうじゃん」



   「また振り出しに戻ってしまうのは、いくら白龍でも辛いでしょうからね」



   「ヒノエ、弁慶 ありがとう」



   「その言葉は…、僕に言わせてください。

    白龍、今まで本当にすみませんでした。そして、本当にありがとうございました」



   「弁慶…?」



   「僕は、君にどう謝っても償いきれないことを…」



   「気に病むことはないよ、弁慶。

    弁慶の思いは、最初から分かっていた」



   「…最初……から?」



   「うん、弁慶が熊野に生まれてから、今日までずっと」



   「白龍…」



   「リズヴァーンがよく神子に言うことだけど、それは弁慶にも言えるから」



   「リズ先生の?」



   「うん。『お前の選択は常に正しい』って。

    弁慶、信じた道は正しかったよ」



   「白龍……」



思わず弁慶の目に涙が滲む。



   「ヒノエ」



   「元気でな。オレはウエットなのは苦手だからさ」



   「私は京を守護する応龍だけど、熊野のことはいつでも見守っているから」



   「白龍…」



   「だから心配しないで、こっちの世界でナンパとやらに励んで」



   「おいおい、こんな状況で随分と場違いな単語が飛び出したものだね」



   「え? そうなの? でも神子がいつもヒノエはナンパというものに励んでいると……」



   「あ、あははは、は、白龍ったら、な、何、面白いことを言い出すのかな〜」



   「ふ〜ん、なるほど。神子姫様はオレをそんな風に見てたんだ」



   「や、やだな。ち、違うってば、違うに決まってるじゃない」



   「帰ろうかな、熊野あっちに」



   「え〜!」



   「ヒノエ、敦盛と仲良く、息災で」



   「え… あ、ああ、そうだね」



   「じゃあ、神子。行く時空がきた」



   「白龍!」



   「神子、私の神子、いつまでも、どこにあっても、未来永劫、私の神子、大好きだよ」







光り輝く一瞬







   「行っちゃったね」



   「あいつ、分が悪くなったから行っちゃったんじゃない?」



   「ま、ナンパ、頑張ってください」



   「だから、違うって!」



   「問題ない」



   「リ、リズ先生!!」

   「リ、リズ先生!!」

   「リ、リズ先生!!」



   「先生、いつから」



   「白龍が現れた時から」



   「鬼の隠行、かよ」



   「そう……ですか」



   「リズ先生も白龍に別れの言葉を言ってあげれば」



   「問題ない」



   「白龍は気づいていた、ってことですか?」



   「うむ」



   「白龍、ありがとう

    早く、また遊びに来るといいね」















     熊野の神職にも比叡の優等生にも分かった事ですが、安倍家の劣等生には分かりませんでした

     そして、この時はまだ、

     三日後に有川家のリビングで、

     譲のお手製プリンを貪っている白龍の姿を想像し得た者は

     誰もいなかったのです。













08/02/14 UP