Celebration
薄青く煙るだけだった空も、深く濃くなりはじめ、柔らかな木の芽も青く茂る若葉となって涼やかな風にそよぐ季節になったというのに。
「……ふう」
縁の際に腰を降ろした少女の口からは、もう何度目かになろうかというため息がこぼれ落ちた。
片手は思い悩むかのように頬に添えられ、眉は微かに顰められ。
しばらくそのままで居たかと思えば、不意に思い出したように小さく首を振り、そして、再び手にした針を運び始めるのだが、ややもすればその手も止まり、またため息をつく。
そんなことを、もう小半時も繰り返している。
「朔」
その様子を隣でじっと見ていた黒龍は、とうとうしびれを切らせて名を呼んだ。
「なあに?」
そうすれば、ほのりと頬を緩めて笑みを向けてくれることを知っているからこそなのだが、ここ最近に限れば、それすらもどこかぎこちない。
「……それほどまでに、気に掛かるのか」
見たい笑みを台無しにされて楽しいはずもなく、口が尖り、頬が膨らむのも無理からぬことだと思って欲しい。
それに、一日二日ならばまだなんとか堪忍も効いたのだろうが、五日前に己の対があの知らせをもたらせて以来ずっとなのだから、それもかなり怪しくなりつつあるのだ。
口調までもが、つい尖ったものになってしまう。
「……ごめんなさいね」
ほんの少し、目を瞠った朔が、ふわりと笑った。
「気に掛からないといえば、嘘になるわ。何かしてあげたいと思うのに、隔たられているばかりに何もできないことが、腹立たしくて仕方がないのよ」
そして、愛しそうに目を細めて、やんわりと抱きしめられる。
「貴方がこうして私の傍に居てくれるのは、あの二人のおかげなのですものね」
「……」
前の龍の欠片だった時、己はある男の呪詛に縛されて居たのだという。
その呪詛を砕き祓って解き放ち、今こうして力は足りないものの個として在ることができるようにしてくれたのが、朔がいま口にした『二人』なのだそうだ。
「……朔は、何もできていないわけではない。朔や他の八葉達の願いが白いのに力を与えた。だから、白いのの神子の願いが叶った。……違うのか?」
「それはそうなのだけれど…… でも、何か違うのよ」
「何が違う?」
「そうね。なんと説明すればいいのかしら……」
「それは、願っただけ、だからなんだと思うよ〜?」
不意に割り込んだ声に振り向けば、いつもの如く眉尻を下げて、へらりと笑っている朔の兄の姿があった。
「願うことがなぜいけない? 人が願うから、龍は願いを叶える力を得る」
「いけないとはいわないよ〜? 願わなければ何も変わらないってことはよくわかってるしね。でもねぇ、なんか実感が湧かないんだよね〜。こう、なんていうのかな〜? 『やった!』って気がしないっていうの?」
「……そういうものなのか?」
「そういうこともあるんだよ〜。ね? 朔」
「……変だわ」
けれど、朔はますます眉根を寄せてしまっている。
「朔? な、なにが……か、な?」
「兄上の仰ることにすべて同意できてしまうだなんて…… そんなこと、あり得ないのに」
「……朔ぅ。お兄ちゃんをなんだと思ってるわけ?」
「兄上だと思っているから信じられないんです」
「……お兄ちゃん、泣くよ?」
「みっともないだけですから、止めてください」
「……あ、あははは…… はぁ…… ま、まあ、そうだけどさ〜。とにかく、ハイこれ」
情けなさげに引きつった笑いを納めた地の白虎が、手にしていた紙を朔の掌に押し込んだ。
「さっきさ〜、部屋の片づけをしていたら見つけたんだよね、それ」
「もう、一体何の……」
迷惑そうな息を吐きながらも、その紙をほどいた朔の手が、止まる。
「朔?」
気になって、横からその紙を覗き込んだのだが、文字が読めてもその意味がわからない。
「なんと書いてある?」
「え? そうね…… これは……」
だが、朔は困ったように言い淀んだ。
「朔ってさ〜。譲くんの手伝い、よくしてたじゃない? だったら、作ってるのも見たことあるんじゃないかなぁって思ったんだけど」
「それは、ありますけど……」
「譲くんが使ってた道具とかは全部まだ残してあるし、材料だって揃うよ? それに…… 今日は二十八日、だから、さ」
「にじゅう……?」
「大事な日、だよ。望美ちゃんにとってはきっと一番ね。こっちでは、とうとうお祝いできなかったけどね」
「お祝い…… え? あ、兄上? もしかして、今日は……」
朔の目が、尚更大きく見開かれて。
「うん。そういうこと」
「……わかりました」
地の白虎が頷くやいなや、すっくと紙を手にしたまま朔が立ち上がった。
「作ってみますわ、『ばぁすでぇけぇき』を。それで兄上、望美がしていたように、『ぱぁてぃ』を開きたいのですけど……」
「御意〜。九郎たちは安芸から帰ってきてるし、ヒノエくんも六波羅まで来てるらしいよ? リズ先生は鞍馬にいるから、全員集まれるんじゃないかな〜」
「……ありがとうございます。兄上。後はよろしくお願い致しますわ」
「朔……っ?」
先ほどまでとは雲泥の差。すべての鬱屈を取り払ったにこやかな笑みを浮かべたまま、朔は足早に台盤所へと行ってしまい、黒龍は呆然と、その後ろ姿を見送るしかなかった。
+++
―――敦盛が神子と出逢ったよ。
白龍の声が聞こえたのがほんの五日前。
その言葉に、それこそ全員が喜んだ。
再会を果たした末の消失がどれほど彼女にとって辛い出来事だったのか、そんなもの、聞かずともわかる。
けれど、自らの世界へと帰る最後の日まで、彼女は泣くことはなかった。
あれで良かったのだと。
彼の望みがすべて叶ったのだから、これ以上何も言うことはないのだと。
そういって、笑っていた。
そして、彼も。
本当の心を押し殺して、彼女のためにそう装ったのだろう。
彼女を縛らぬために、たったひとつの望みを棄てさって、この世界から消えたのだ。
柔らかな笑みだけを浮かべて。
互いが誰よりも相手の幸せを望んでいたのに。
結局は、作り上げた儚い笑みだけを皆の記憶に留めて、自分たちの前から去っていった。
そんな二人をずっと見てきたのだから、願っても無理もないだろう。
幸せになって欲しい。
心の底から笑って欲しい。
そうなるために必要なことは、ただひとつ。
それは、彼女の言葉にできない願いでもあり、そして、彼の奥底に隠された内なる願いでもあったことで。
そして、それが叶ったのだ。
嬉しくないはずがない。
ないのだが……
あの少女は、戦のない世で幸せに生きていたのに、この世界に来たばかりに剣を手にして戦場に身を置き、戦い傷ついて、そして、この世界に平和をもたらせてくれた。
あの少年は、理を正すために同門を裏切り、人に言えぬ秘密を一人で抱え苦しんで、そして、果てには我が身を持ってして清盛の最後の呪詛をも砕いてくれた。
なのに、自分はただ願っただけ……
そんな思いがくすぶって、どうにもこうにもスッキリしない日々を送る羽目になっていたのは、自分だけではなかったようだ。
「やれやれ。これで朔は大丈夫かな……」
晴れ晴れとした表情で台盤所へと去っていった妹の後ろ姿を見送って、景時はほっと肩の力を抜いた。
「これでけぇきはできて、酒は弁慶が調達してくるって言ってたし、甘味はヒノエくんで……」
あとは……
「地の白虎……」
常にはない調子の良さに鼻歌を歌いながら、指を折りつつ必要なものを確かめていたところに、聞こえてきたのは地を這うように低く呼ばわる幼子の声だった。
「え……?」
見下ろせば、黒龍が思いっきり頬を膨らませ口をとがらせ目を吊り上げて、こちらをじっと睨んでいる。
「ど…… どうしたの、かな〜〜〜〜っ?」
なりは小さくても、れっきとした神である。
本気になられれば、かなり真剣に恐い。
つい、声が裏返ってしまった。
「……朔は、何をしにどこに行った」
「え、えっとね。けぇきを作りに台盤所に行ったと思うんだけど……」
どうやら、置き去りにされたことが気に入らなかったらしい。
だが、幼い黒龍には危ないからと、朔は絶対彼を台盤所には立ち入らせない。
だから、そう答えた途端、余計に黒龍が纏う雰囲気が悪化する。
「……『けぇき』とは、なんだ」
「こ、小麦で作る食べ物、だけど……?」
「朔がいま居るのは尼寺ではない。今から点心を作る必要があるのか?」
「て、点心じゃないんだよ〜? 小麦の他に牛酪とか卵とか使って作る、甘いお菓子でね……」
「菓子などいらぬ! 明日作ればいい!」
「明日じゃ意味なんだよ〜。ただのけぇきじゃなくて『ばぁすでぇけぇき』なんだからさ〜」
「何がどう違う!」
「え? あ、だからね〜。誕生日をお祝いするために作る特別な菓子なんだってば」
「……たんじょうび?」
だが。
そこは流石にあの白龍の対なだけあって。
他のものに関心を持てば、興味に負けて簡単に話は逸れていく。
「なんだそれは」
今はもう、黒い大きな瞳で食い入るように、じっと見上げてきていた。
「……誕生日っていうのはね〜、その人が生まれた日のことを言うんだよ〜。でね、それをお祝いするために作る菓子を『ばぁすでぇけぇき』って言うんだよ」
その変わりように、景時はやれやれとばかりに息を吐く。
「生まれた日を祝うのか? なぜだ?」
「うん。望美ちゃん達の世界の風習なんだけどね。あっちでは、誕生日にひとつ年を重ねるんだって。それで、ひとつ大人になって成長したことをお祝いするらしいよ? 望美ちゃんがみんなの誕生日をお祝いしたがってさ〜。その度に譲くんがいつもばぁすでぇけぇきを作ってくれてたんだよね〜。それをね、今日もするから譲くんの代わりに朔が作りに行ってくれたんだよ。……わかってくれた?」
「今日が誰かのたんじょうびなのか?」
「そうだよ? 敦盛くんのね。望美ちゃん、とうとうこっちに居る間にはお祝いできなかったからさ、代わりにね」
「……おかしくはないか?」
不意に、黒龍が眉を寄せた。
「え?」
「誕生日とは、成長した祝いなのだろう? しかし、こちらの世界の天の玄武は成長しない存在だった。祝えなくて当然ではないのか?」
「……え……と……ね、それは……」
邪気なく。
ただ素直に紡がれる言葉に、口ごもる。
「ならば、代わりに祝う必要などない。朔がけえきを作っても無駄になる。止めてくる」
「ちょ……、ちょっと、待って、黒龍!」
くるりと翻して朔を取り戻すべく走り出しそうになった黒龍の腕を掴んで、慌てて引き留めた。
+++
あれは。
戦も終わりに近い冬の日の朝。
珍しくも晴れそうな予感がして、洗濯物を山と積んだ桶を抱えて宿の庭を歩いていた時だ。
「どうして、教えてくれないんですか?」
声は小さかったけれど、その口調が無視できるものではなくて、ついそちらへと足音を忍ばせて近づいた。
そこにいたのは、望美と、敦盛。
敦盛は身を乗り出すようにした望美の視線を避けるように、顔を背けて地面へと視線を落としていた。
「後わからないの敦盛さんだけなんです。他の誰に聞いても知らないって言うし…… 本当はいきなりで驚かせたかったけどわからないんじゃできないから、だから……」
「……神子の…… その気持ちは、嬉しいと、思う」
「なら……っ」
「だが…… そのようなことを気に掛けて貰う…… 価値など、私にはない」
「どうしてですか!」
「私は…… 私は穢れた存在で…… それに…… 既に……もう……」
辛そうに眉を寄せ、唇を噛みしめて。
「だから…… すまない」
振り切るように背を向けた、その瞬間。
「でも……っ」
声が、響いた。
敦盛の足が止まる。
「居て…… くれるでしょう? この世界に、わたしの目の前に…… こうして、居てくれてるじゃないですか……」
こちらに背を向けている望美がどんな表情をしているのかは、わからない。
けれど、その震える声と、振り返った敦盛の戸惑ったように見開かれた瞳に。
きっと、泣きそうなんだと、思った。
「み、神子……」
焦ったように、手を伸ばしかけて、そして、宙でその手を握る。胸元に引き寄せて、視線を逸らす。
「それって…… この世界に、敦盛さんが、生まれてきてくれたから、でしょう?」
「……え」
「今がどうだって、その日に、敦盛さんが生まれてきてくれたから、わたしは敦盛さんと出逢うことができました。だから、こうして、目の前に、居てくれる…… わたしだって、覚えてませんけど…… 生まれるってことは、とてもしんどくて、とても大変なことなんです。だけど、そんな思いをしてまで、この世界に生まれてきてくれたから…… そして、どんなに辛くても、今日までの時を過ごしてきてくれたから…… 今ここにこうして、居て、くれるんですよね?」
「それ、は……」
「生まれてきてくれてなかったら、今のこの時はないんです。だから…… 生まれてきてくれて、ありがとうって…… お礼を言いたいだけなんです。ただ、今ここに居てくれて…… それがなによりも嬉しいから…… だから……っ、ありがとうって…… その日に、言いたく、て……」
震える音だけになった声が、ざわめく木々に消えていく。
「神子……」
ジャリと、土が踏みしめられる音に顔を上げれば、敦盛が望美へと歩み寄っていた。
その顔こそが、泣きそうで、でも、どこか嬉しそうで。
「他の誰でもない、貴女が…… そう、思ってくれるのなら…… 私が生を受けたことも意味があったのかも、しれないな……」
静かに伸ばされた手が望美の頬へと触れて、動いた指先に、雫が光る。
「生まれてきたからこそ、貴女に出逢えて、こうして時を過ごすことができているのならば…… もし……」
「……え?」
「いや…… なんでもない」
辛そうに寄せた眉を、ふわりと緩め。
敦盛は、その日を望美に告げた。
「そのころに、私がまだ存在し続けているかどうかはわからないが……」
望美の後ろ姿を見送りながら、ポツリとつぶやく。
そして。
「神子…… もし……」
―――もし…… 人として在り続けていたのなら。今だけでなく、先の時をさえ望むことができたのかもしれないのに。
高くなり始めた空を、木漏れ日に目を細めることもなく見上げていた。
+++
「誕生日を祝う意味は、ひとつだけじゃないんだよ。だからね、朔の作るけぇきは無駄になんかならないから」
同じ時を過ごすことができる、その始めとなった日だから。
ただ、感謝の気持ちだけを込めて、生まれてきてくれてありがとう、と。
そう伝えることができる、一年に一度だけの日だから。
ただ、今ここに居る。
それだけが、嬉しいから。
だからこそ、それを伝えるために、敦盛の誕生日を祝いたかったのだろう、望美は。
けれど……
その日を待たずして、敦盛は消えてしまった。
「……絶対、お祝いしたかったと思うんだよ。そしてね、伝えたかったと思うんだ、敦盛くんに」
自分だけじゃない。
ここに集う誰もが貴方のことが好きだから。
生まれてきてくれてありがとうと思っているから。
だから、居てもいい。
居て欲しい。
そして、ずっと……
「……たとえ人となったとしても、敦盛くんは敦盛くんだろうしね。ここでのことを気にしそうでしょ? そうしたら、またじれったくなりそうだからね。ここはひとつみんなで背中押して上げなきゃねって話になったんだよ〜」
そう、あの二人はまだ出逢っただけ。
この先どうなるかなんてわからない。
過去に囚われて躊躇ってしまえば、そこで願いは潰えてしまう。
「だからね、今日だけは勘弁してくれないかなぁ?」
「……仕方がない。譲歩する」
なだめるように頼み込むと、不機嫌そうながらも小さな龍神は頷いてくれて。
「ありがとう! じゃあ、オレも用意しなきゃいけないから……っ」
将臣が書いてくれた『誕生日おめでとう』という意味の言葉を書いた紙をどこにしまったっけと思い出しながら、景時は自分の部屋へと走っていった。
+++
「……」
一人残された黒龍は、縁に腰駆け足をぶらつかせて、初夏を思わせる青葉の庭をじっと見つめた。
「……良い神子と、八葉だな」
―――そう、思う? 黒いのがそう思ってくれるなら、私も嬉しい。
「私は、白いのの神子も天の玄武も知らない。だが、何か、できるか?」
―――協力してくれるの?
「そうせねば、朔の気落ちが晴れぬのなら、そうする他はあるまい?」
―――……そうだね。私だけではまだ充分な力は持たないけれど、黒いのが力を貸してくれるなら大丈夫だね、きっと。
静かに瞳を閉じた。
風もないのに、黒龍の髪がふわりと舞う。
シャン……
チリン……
二つの鈴の音が、重ねて鳴り響く。
―――敦盛が幸せになることが私の神子の願い。
―――白いのの神子が幸せになるのが私の神子の願い。
―――二人が幸せになるのが、八葉の願い。
その願いを叶えるために。
いま、我らの思いを届けよう。
「……え?」
「あれ?」
「なんだ?」
「これは……」
「へぇ…… やるじゃん」
「……」
彼等の周りを光の粒が取り囲み、そしてふわりと天を射す。
その光の意味を悟り、それぞれに消えた空を振り仰いだ。
その瞳に宿すは祈り。
―――どうか……
そんな彼等の耳に、ひとつの音が静かに届いた。
あの頃は、寂しげで、誰も寄せ付けなかったというのに。
今は、柔らかな色合いを持った暖かな、笛の音が。
その音を耳にした誰もが、優しげな笑みを自然と浮かべ、そして、遠く離れた二人を思う。
幸せに。
ただ、幸せに。
何一つ、堪えることなく、心の底からの笑顔を浮かべて。
それこそが、自分たちの抱く願いだから……
fin
こちらのサイトさまからいただきました!→

あっくん誕生日SSです。
フリーだったので、いただいてきました!!
ほのぼのしていてとっても好きです!!
黒龍が可愛い〜!!