知盛の何気ない日常 後日談・3
乗車して間もなく来た朔からの連絡を、「電車の中」と言っただけで切ってしまったことに少し後悔している望美だった。
春休みの近付いた土曜日の江ノ電は、平日以上に混雑していて、つり革に掴まっていないと、何かの拍子に、
例えば急ブレーキとか慣れない乗客がカーブに振られた時とかに、転けそうだった。
望美は、この江ノ電を使って高校に通い始めてまだ間もない頃に、
七里ヶ浜駅と稲村ヶ崎駅の間のカーブで派手に転けて、車内の失笑をかったことがあった。
登校時間のラッシュは、混雑しているはずなのに、転けて床に尻餅をつくだけのスペースは何故かあるのが不思議だった。
乗った電車はもうすぐ七里ヶ浜の駅に着く。
今日は真っ直ぐ家に帰って、来週に迫った模擬試験の勉強をしようなどと、ガラにも無く考えていたのだが
朔からの電話が気になって、ちょっとだけdragon noirに寄っていこうかと考え直していた。
ガサッ
望美の右前方で、こんな混雑にもかかわらず新聞を拡げて読んでいる迷惑な奴を睨むが、顔は全く見えない。
(この!)
迷惑だ、と文句を言おうかと思ったその時、背中に何かが当たった。
背後で男が笑う気配
(! この! 痴漢!?)
そう思って、振り向こうとした瞬間
「(声を出すな 言うことを聞け)」
「!」
「(動くなよ。オモチャじゃねえぞ)」
と、押し殺した男の声が耳元でする。
(オモチャじゃないって……、ピストル!? 痴漢じゃないの?? 何で???)
「(ここでぶっ放したら、お前じゃなくても、誰かが怪我をすることになるぞ)」
新聞を読んでいた奴が、やはり声を殺して言う。
(!! 相手は2人……! それ以上!? 囲まれてるの!)
リズ先生の言葉を思い出し、辺りに意識を配ると、どうやら相手は4人……すっかり囲まれているらしい。
気配を読むために、気を落ち着けている望美の様子を、勘違いしたのか男の1人が言う。
「(そう、物わかりが良くて助かるねぇ)」
「(一緒に横浜まで付いて来てもらう)」
「なんd」
「(声ぇ出すな)」
背中の銃口が強く押しつけられる
「………」
「(次の駅で降りるフリをするんだ)」
「(ドアが開いたら最後に降りて、ドアが閉まる直前にもう一度跳び乗るんだ)」
「(ヘタなマネすると)」
「(誰かが怪我するぜ)」
「(お前のせいでな)」
やはり4人だ。望美は一度、深呼吸をする。
(リズ先生『こういう時こそ落ち着け』…ですよね)
冷静に。そう言い聞かせて、この4人に神経を集中させる。
こちらの世界では、まったく無かったこの緊張感。
あちらの世界では、日常茶飯事だった。
清盛側からも、頼朝側からも、望美の命は絶えず狙われていた。
しかし、必ず八葉の誰か、それからたぶん、ヒノエの命令で動いていたのだろう熊野の鴉と思しき人々に、
常にガードされていたから、滅多に危ない目には遭わなかったが……。
(先ずは周りの人々の安全…、
次に我が身の安全…、
その上で、どう逃げるか、だったね…ヒノエ君♪
深呼吸をして……落ちついて……刀も無い事だし、絶対に戦闘は避けなくちゃ…
この銃が本物かどうかだけでも確認もできればいいんだけど……。!!)
前の新聞の間からも黒い鉄の塊が見えた。
いや、見せたのだろう。銃は一つでは無いと示すために。
江ノ電が減速し、停車する。
ドアが開く。
(言われたとおり、いったん降りよう。
たぶん私の両隣の男も連中の仲間…… 逃げようか? 彼等の指示に従って再び乗るしか無い?
……ダメだ、たぶん銃は本物。そして、躊躇わずに発砲しそうな雰囲気)
ドアが閉まり始める。
背を押されるように、車内に押し込まれる。
あっと言う顔をして、走り出す江ノ電を追いかける人影が2つ。
一瞬、その一方と眼が合う。
(今、私と目があった大柄な女性は誰?)
「ヘヘヘ、兄貴ぃ、刑事、慌ててたぜ」
(そうか…、あの人が将臣君の言ってた刑事さん…か。本当にいたんだ。
何なの、この2時間サスペンスみたいな展開?
『一緒に横浜まで付いて来てもらう』? 横浜まで電車で? 鎌倉駅で乗り換えて……あり得ないよね。
と言うことは、どこかの駅で降ろされてから車……だろうな……。
う〜〜ん、どこの駅? 今『七里ヶ浜』だったから……え〜と、『稲村ヶ崎』『極楽寺』『長谷』『由比ヶ浜』『和田塚』……
その駅の中で、近くに駐車場とか車が停められるのは……ああ、頭痛ぁ……
こんなに真面目に考え事するのって、追試の数U以来だぁ……
………
! だめよ望美! 面倒がって投げちゃ……考えるのよ、そうしないと数Uの二の舞……
え〜〜と…近くに駐車場とか車が停められるのは……『稲村ヶ崎』と『長谷』なら近くに駐車場が…。
でも路駐だったら……う〜〜ん)
カバンの中で携帯が振動している。
(誰からだろう? 朔……かな? さっきかかってきた電話、一方的に切っちゃったからな……)
「だめだ…出ないね」
「まだ電車の中なのだろうか?」
「と言うことは、神子姫様は景時の店には寄らずに、真っ直ぐ御帰宅なさるらしいね」
「ど、どうしてだろうか?」
「『高校前』から乗って、隣の『七里ヶ浜』だったら、もうとっくに降りているだろう」
「ああ、そうだな」
「なら、望美本人か、dragon noirの誰かから連絡が来ても良さそうじゃん。
ということは、オレ達も『極楽寺』で降りよう。うまくすれば駅の近くで追いつけるかもね」
「そうなら、いいのだが……、嫌な胸騒ぎが……神子…」
(『稲村ヶ崎』を過ぎた……どうしよう…どこで降ろすつもりなの?
何でカバンの中に携帯、入れちゃったんだろう…)
「……変だね」
「ヒノエ、どうしてそう思うのだろうか?」
「さっきの将臣からの連絡では、もう神子姫様は電車の中ってことだったじゃん」
「さっきからそう言っているが」
「学校帰りの電車だぜ。自宅のある『極楽寺』で降りたとしても遅過ぎるんじゃない?
さっきも言ったけど、望美本人かdragon noirの誰かからの連絡がそろそろあっても」
「何故、そう思うのだろうか?」
「望美は電車の中だからと、朔ちゃんからの電話を用件も聞かずに切ったわけじゃん。
望美の性格からして、電車から降りたら、歩き出すよりも先に朔ちゃんに連絡を取るんじゃない」
「ああ、そうだな」
「で、携帯を開く。着信履歴を見る。オレからの着信が何件か朔ちゃんの後に入っている。
『あ! ヒノエ君からだ。何だろう?』…そして先ず、慌ててオレの携帯に連絡をする」
「ヒノエに連絡がくるかどうかは分からないが、一方的に切った手前、朔殿への連絡は絶対にすると思う」
「オレは朔ちゃん以下かい? というツッコミは置いておいて、だったらそろそろ連絡が来ないと…」
「おかしい…と?」
「敦盛! すれ違う電車や、駅に停車している鎌倉行き、注意して望美の姿、見逃すな!」
「む、難しいが…やってみよう」
「(ちょっと、まずいね…この展開は……)」
ヒノエは携帯を取り出し、すばやくメールを打ち始めた。
望美は手にしたカバンを、周りに気づかれないよう細心の注意を払ってゆっくり持ち上げ、
電車の揺れを利用して、持ち直す風を装って脇に抱えた。
(次に、中の携帯を…)
「(無駄だから、カバンを下ろしな)」
(! ばれてた! ……)
「(動かないでね)」
(ああ、『極楽寺』を発車しちゃった……)
「(くれぐれも変な事、しないでね)」
無情に過ぎ去る『極楽寺』のホームに一瞬、リズ先生が立っていたような気がした。
「望美はたぶん、今『極楽寺』を出た電車に乗ってる」
携帯を閉じながら、真剣な顔でヒノエが言う。
「ヒノエ? それがどうして分かったのだろうか?」
「リズ先……いや、ちょっと…、ね。それより、これからが大事だ。いいかい敦盛、お前は『由比ヶ浜』で降りてくれ」
「な、何故?」
「ホームに神子姫様が降りてこないか見張っていて欲しいんだ」
「で、ヒノエは?」
「オレは、その次の『長谷』まで行く」
「神子姫様を見つけたら携帯で連絡してくれないか」
「分かった。で、それから?」
「助けられたら助ける。手出しすると、かえって望美を傷つけそうだったら、尾行するだけにしておく」
「分かった」
「くれぐれも、お前も望美も傷つくことのないようにね」
敦盛は緊張した面持ちで大きく首を縦に振り、『由比ヶ浜』のホームに降りていった。
(どっちが当たりなんだろうね。敦盛の『由比ヶ浜』か、オレの『長谷』か……)
ヒノエは気持ちを臨戦態勢にして、リズヴァーンからの次のメールを待った。
気分とは裏腹にのんびり走る江ノ電の音をBGMとしながら。
望美の乗った江ノ電が『長谷』にゆっくりと到着した。
「(騒ぐなよ)」
「(ヘタな事を考えなければ、殺しはしないから)」
長谷の大仏を訪れる観光客のおかげか、この駅は江ノ電の中でも昇降客が多い。
そのドッと降りる人の群れに押し出されるように、しかし望美の周りは4人の男が固めて、改札を抜けた。
そのまま長谷の大仏方面に流れる観光客の流れに乗って歩き出す。
(まずい……あそこに駐車場があった…。やっぱり長谷……。)
「お、もう準備万端ってことか」
駐車場から黒塗りのベンツとBMWが出てきた。
(うわぁ〜〜、いかにもって感じの車…、どうしよう? 乗ったら最後って感じかな)
その時、社会科見学と思しき制服姿の中学生の一団が、望美を急に取り囲み
「あの! あ、握手してください!」
「え〜〜!? 芸能人??」
「グラビア・アイドルじゃん!!」
「すっげ! サイン下さい!!」
「え?? え?? あ、あの…何で??」
「ガキども!! この!」
「お〜〜い! アイドルだってさ!!」
「嘘ぉ〜〜!!」
「誰〜〜??」
「芸能人らしいぜ」
中学生だけでなく、通りかかった観光客や買い物帰りのおばちゃんや散歩の途中のお爺ちゃんで
あっという間に望美の周りに人集りができた。
望美を取り囲んでいた男の一人が、望美の周りに群がり騒ぐ中学生集団を蹴散らしかき分けようとした
その瞬間
「きゃあぁぁぁ〜〜〜〜!!!!」
「このおじさん、ピストル持ってる!!!」
「助けてぇ!!」
「おまわりさぁ〜〜ん!!」
蜂の巣をつついたような騒ぎに、通りかかっていた多くの人々まで騒ぎ出し、
望美を中心にした人集りはますます膨らんでいく。
「このバカ! しまえ!!」
「まずい! 車に急げ!!」
(これは!!)
狼狽える男達の一瞬の隙をついて、望美は後ろから銃を突きつけていた男に対し
振り向きざまにその銃を持った手首ごと捻り上げ、間髪を置かず股間を思い切り蹴り上げた。
「$∞♂★a#@!!」
言葉にならない言葉をあげて男がその場にへたり込む。
「このアマ!」
左側の男が望美に掴みかかろうとするが、その腕をかわして、大きく望美は飛び退く。
右側の男は望美を殴ろうとするが、殴るはずの右手を誰かに掴まれ、
そのまま綺麗にアスファルトに叩きつけられて気を失った。
望美が飛び退いたのと同時に、ヒノエの蹴りが左側の男の鳩尾に綺麗に入る。
「オレの『長谷』が当たり!」
「ヒノエ君!」
「姫君はえげつない攻撃をするね」
よくできたもので、一瞬にして人集りは大きな輪となって飛び散った。
何かのアトラクションと思ったのか、カメラや携帯、ビデオを慌てて向ける人々もいる。
男は呼吸ができず胸を押さえてのたうち回っている。
「姫君に手を出すなんて、千年早いんじゃない?」
ヒノエの言葉に、群衆から拍手が沸き上がる。
その瞬間
「ダメ!! あと一人!!」
という望美の声と、後ろから羽交い締めにされてヒノエの後頭部に銃口が突きつけられたのは、同時だった。
「の、望美……、先に4人いるって言って欲しかったね」
「ゴ、ゴメン……ヒノエ君…」
「こんな騒ぎになったからには、どうなるか分からねぇからな……、ガキ共、車m…」
言い終わらないうちに、ヒノエを羽交い締めにしていた腕が緩み、ゆっくりと男の身体から力が抜け、
ヒノエの脇に倒れ込んだ。
「???」
ヒノエがゆっくり振り向くと、そこにはリズヴァーンの姿が。
「リズ先生……」
男はリズヴァーンの手刀が確実に首筋に入り、何が起きたのかも分からず気を失ったのだった。
群衆からは「OH! ジャパニーズ・ニンジャ!!」の声と、割れんばかりの拍手と歓声。
「リズ先生、ヒノエ君」
「やれやれ、1番おいしいところは先生に持って行かれたってところだね」
「問題ない」
「2人ともありがとう。1人じゃ、ちょっと大変だったよ」
「神子……」
「望美、お前1人で4人を相手にしようとしてたのか? ……すごいな」
「だけどヒノエ君」
「え? なんだい?」
望美の腕がのび、ヒノエの頬を撫でる。
その手を取って口づけようとしたヒノエだったが、しかし思い切りその頬を望美につねられる。
「の、望美!? 痛い痛いぃ??」
「誰がグラビア・アイドルだって!?」
「あ、バレてた!?」
「いたいけな中学生に嘘ついて! 恥ずかしい!!
しかもピストル持ってたんだよ!!! 危ないことに巻き込まないの!!!!」
「分かった、分かったから! ゴメンゴメン!」
中学生の誰かがお巡りさんと走って来る姿が見える。
遠くではパトカーのサイレンの音も近付いてくる。
望美がヒノエの頬から手を離す。
「痛ててて」
「神子、早くここから立ち去りなさい」
「はい、リズ先生…あ! 先生! ヒノエ君! 駐車場に車!」
人集りをかき分けると、その向こうに駐車場から出ようとしているベンツとBMWが見える。
「落ちつきなさい」
「でも先生! 車が逃げちゃう」
「オレとリズ先生だぜ、逃がしゃしないさ。ね、リズ先生」
「無論」
気を落ち着けて良く見ると、2台ともエンジンが止まっている。更には、どちらの車もどこかの窓ガラスが割れている。
中の男達は、思い思いのポーズで寝こけているらしい。
「な、何をしたの?」
「エンジンを止めたのはリズ先生だぜ」
「車は……鍵を外せば止まる。ただそれだけのことだ」
リズヴァーンの左の掌から、車のキーが2つこぼれ落ちた。
「で、ヒノエ君は?」
「弁慶からもらった薬を放り込んだだけさ」
「薬? 弁慶さんの?」
「ああ。それにしても、おそろしく即効性の薬だね。ここまでとは聞いてなかったんだけど…」
「生きてるの?」
「オレの神子姫様をこんな目に遭わせたんだ。
万死に値するって言いたいところだけど、無闇に人殺しなんて、オレの趣味じゃないしね。
弁慶の言葉を信じるなら、気持ちよく3時間程眠っているだけってことだから。
ああ、そうだ。ついでにこいつも放り込んでおくと、おもしろそうだ…」
コントロール良く割れた窓に黒い塊を放り込む。と、ポンと薄紫の煙が車内に充満する。
「忍者が使う煙玉みたい」
「ま、弁慶の発想もその辺りなんだろうけどね」
「何なの?」
「真実の血清」
「???」
「…自白薬…か」
「お、さすがはリズ先生」
「ヒノエ君、1つ頂戴!?」
「ダメ」
「え〜〜! 何で!!」
「どうせ、オレか弁慶に試してみたいっていうんだろうからね」
「チッ! 分かっちゃったか……」
「それより早く景時達の店へ」
遠離っていく3人を、人々は大仏に行くのも忘れて見続けていた。
「……つ、次の電車なのだろうか…?」
熱い視線の女子高生の一群に囲まれて、敦盛は
降りてくるハズもない望美を、由比ヶ浜のホームでいつまでも待っていた。