御伽話の王子様 〜ヒノエ君 お誕生日SS〜 10
「おん まかきゃらや そわか」
「おん まかきゃらぁや そわか」
崩れかけた伽藍のそこここから、それでも僧達の一心不乱に読経する声が聞こえてくる。
明王、仏達は姿を消し、聖獣も応龍も呼び戻された。
今や御室・仁和寺にあるのは、姿を消した清盛によって呪詛された、黒龍の逆鱗が生み出す、荒れ狂う竜巻だけであった。
誰もが竜巻に飲み込まれないように、近くの何かに必死にしがみついている。
「まずいよ〜! 陰陽の結界、亀裂が入ってるよ〜〜」
「こんな竜巻が御室の外に出たら!」
「京の市中はタダでは済まないぞ!」
「の、望美ちゃん! ごめん!! オレの結界!!」
「景時!」
「景時さん! 頑張って!」
荒れ狂う竜巻の暴風の中、どこかでガラスの割れるような破裂音が響く。
「景時の結界が破られましたね…」
「ああ、まずいな…」
「結界はあと三つ……」
その時、今まさに竜巻に吸いあげられようとする白い物体が、望美の視線の端に入った。
「先生!!」
「うむ」
鬼の跳躍で抱えられてきたのは
「え?? は、白龍?」
リズヴァーンも先程の傷口が更に悪化したようで、片膝をついた。
「ぐ…」
「せ、先生!!」
「も、問題……無い。神子、案じなくても…」
その瞬間、金属音が鳴り響き、鬼の結界が弾け飛んだ。
「せ、先生の結界が!」
「結界、あと2つ……」
「神子…私の神子」
「白龍…、どうして……」
「ゴメン、神子。私の陽の気では、この荒れ狂う黒いのの陰気には勝てない」
「あなた、戦っていたの? この竜巻と」
「うん。……でも、ゴメン、神子。私の半身は、清盛の呪詛で常軌を逸してしまっている」
「こ、黒龍が……いるの? この竜巻の中に…?」
「ううん、違うよ、朔。人の言葉で言うと……黒龍の気だけ」
「黒龍の気……」
竜巻を見上げる朔であった。
「弁慶! なんとかならんのか!」
「ここまでの展開になるとは。僕としたことが、読み切れませんでしたね。
それにここ何日か、衣笠から御室にかけての龍脈に仕込んだ呪詛が、裏目にでてしまったようで」
「龍脈に呪詛! それで弁慶、時々どこかに行っていたのか」
「ええ、清盛が黒龍の逆鱗を持っているのは知っていましたからね」
「なんだと!」
「それにしても、茶吉尼の秘法といい竜神の逆鱗といい、清盛は密教をなめていらっしゃる」
「そんなことより、この竜巻をなんとかする方法はないのか!?」
「そう、ですね」
暴風に飲み込まれないように踏ん張りながら、弁慶は立ち上がる。
「九郎、後は頼みましたよ」
「? 弁慶!?」
「あと一つだけ、策があるんです」
「だったら、それを早く!」
「ええ、任せてください」
遠くから、このやりとりをとぎれとぎれに聞いていた望美が叫ぶ。
「弁慶さん、ダメです!! 九郎さん! 弁慶さんを行かせちゃダメ!!」
しかし、その望美の声は九郎に届かなかった。
(望美さん、そして朔殿、済みません。
許して下さい、とはムシが良すぎるのでしょうね。
僕にはもう、こうしてこの黒龍の竜巻と僕の命を相殺するしか策がないのです)
そして、弁慶は竜巻に飲み込まれ、陰の気に押しつぶされようとする
その瞬間、目の前に望美の泣き顔が現れる。
「ああ、望美さん……」
弁慶はリズヴァーンの腕の中で、気を失った。
「先生! こんなに怪我をしてるのに、だけど、ありがとうございます!」
「案ずることはない。お前の望みは八葉の意志」
「もう! 弁慶さん!! 何て事をしようとするんですか!!」
「の、望美!」
あちこちにしがみつきながら、やっとのことで望美の近くにやってきた九郎に
「九郎さん! 弁慶さんとリズ先生、しっかりと守っていてください」
「ああ、お前に言われるまでもない!」
九郎は刀を抜きはなち、弁慶とリズヴァーンを守るように、竜巻に向かって上段に構えた。
「お分かりでしょう、院」
「こ、この、この世のモノとは到底思えぬ争いは、余のせいじゃと?」
「ええ、院がまだ帝だった頃、宮中の奥で行われた秘中の秘、それが茶吉尼天の呪法」
「それを、どうして…」
「そして、その呪法中に異変が起こり」
「そうじゃ。あの呪法は失敗だったはず」
「残念だけど半分は成功していた、って事かな」
「何と!」
「それが茶吉尼を中途半端に暴走させてしまった」
「そ、そ、そのような……」
「院と清盛と頼朝と。同じ時代に権力欲の尋常でないのが3人もいたって事が1つ目の不幸かな。
院の法住寺、清盛の厳島、頼朝の鶴ヶ岡。そして3人ともが茶吉尼天の呪法。
3人とも神や仏を、その権力欲の方便で弄んだのが2つ目の不幸」
「結果が……これ…か」
「頼朝の奥方、北条政子もかなり上昇志向の強い女性だったようだからね。
そんな彼女と茶吉尼が結びついた」
「それを知った清盛は死反の禁呪に手を染め、怨霊を……。なんと、むべなるかな…」
「ま、自らも怨霊になったのは誤算なのか、計画通りなのかはわからないけれど…
茶吉尼も怨霊もいなくなった今、事の収集、決着は院の責任だと思いますね」
「た、湛増……」
「腹を括っていただかないと、ね」
「わ、分かった。で、余はどうしたら良いのじゃ?」
ゆっくりとヒノエは立ち上がった。
一瞬、竜巻が大きく膨らむ。
「ぐぅ!」
「守覚さん!」
「神子様……、申し訳ございません…。ち、力足りず……」
低い地響きのような音がして、御室に張り巡らしてあった密教の結界が崩れ去った瞬間であった。
圧倒的な陰気の暴発で、真言を唱えていた僧達にも大きな衝撃が加わり、堪えられなかった何名かは気を失った。
「結界はあと一つ……」
「お願い! 黒龍!」
荒れ狂う竜巻に一歩近付きながら、まるでそこに愛しい黒龍が居るかのように叫ぶ朔。
「私の声を聞いて!!」
慌てて朔の腕を掴み、望美は叫ぶ。
「朔! 危ない!」
「望美…。でも、これは黒龍なの。私には感じる。間違いないの」
「朔、だからって」
「お願い、行かせて。私を黒龍の説得に」
望美を突き放し、竜巻によろよろと近付く朔を掴み止める者がいる。
「え?」
驚いて振り返る朔を見つめるのは
「朔殿、ここは私が」
「あ、敦盛殿。それは出来ません! あそこには私の黒龍が」
「白龍も言っていた。あそこには黒龍はいない、と」
「でも! お願い!! 行かせ」
敦盛の手刀が朔の首に綺麗に入り、朔は一瞬で気を失った。
「朔殿、済まない」
軽々と朔を抱え、望美の脇に横たえさせると
「神子、朔殿をお願いする。陰気の荒れ狂うあの中には、生身の人間には入っていけぬ」
気を失って横になる朔と、黒龍の巨大竜巻を背景にして目の前で優しく微笑む敦盛とを見比べながら
望美には、為す術がなかった。
「神子」
「? え! ダ、ダメですよ! 敦盛さん」
「いや、行かせて欲しい」
穏やかに語る敦盛に、それでも望美は敦盛の袖を握りしめ
「ダメです」
「神子、私なら大丈夫だ。それに」
「それに?」
「私があなたの八葉であるのだとしたら、それはこの時の為だ」
「敦盛さん?」
「人ならぬ身の私があなたの八葉であったことに、今、初めて私は意味を見出したのだ」
「ダメです!」
「神子、私はあなたの良き八葉でいたい」
ゆっくりと、しかし強い力とそれ以上に強い意志で、望美の握りしめた袖の指をほどき
「大丈夫、この竜巻は私が消滅させよう」
「約束してください!!」
「? 神子?」
「絶対、無事に戻ってくるって!!」
「神子…」
「信じてますから!」
敦盛は笑い、ゆっくりと竜巻に向き直り、歩み始めた。
「帰ってくるの、待ってますからっ!!!!」
有らん限りの望美の絶叫に、敦盛は振り返り、優しい笑みで一瞥し、
竜巻の中に消えた。
「あ…敦盛さんーっ!!!」
「何だって! 弁慶の結界まで破れるとはね」
それ以上に、ヒノエが狼狽えたのは
「エッ! 竜巻の中に敦盛が!! あのバカっ!!」
ヒノエは口笛で烏に合図を送り、胸元から何やら護符を取り出して恭しく辺りにまいた。
「いくぞ!」
キッと竜巻を睨み、ヒノエの一言で、これほどの人間がどこからと思うほどの烏が、
竜巻を取り巻いて仁和寺のそこここに現れた。
「一刻を争うからね」
「オオ!」
「聖浄なる熊野の神々よ! 九十九の王子よ! いま、その力を!!」
その瞬間に、最後の結界に亀裂が生じた。
「熊野の神々の結界は頑丈だからね! まだまだ!」
祝詞を声高らかに唱えるヒノエ。
竜巻の大暴風の中、ヒノエに唱和して必死に祝詞を唱える烏の面々。
しかし、一人、また一人と傷付き、跳ばされ、数がアッという間に減っていく。
「みんな! 力を貸して!! ヒノエ君と敦盛さんを援護して!」
「OK! オラオラ! 狂風双嵐!」
「衝天雷光!」
「天輪蓮華!」
「尊星王招請!」
「黒洞閃影!」
「月影氷刃!」
「紅蓮光斬!」
「! 知盛!」
「ククク、還内府殿ばかりに……良いところを持って行かれては…、…面白くないのでな」
「その傷なのだ。無理するな!」
「ほお…、…源氏の総大将殿がオレを……気遣ってくれるのか…? ククク」
「龍神咆!」
「ち、地久滅砕!」
「べ、弁慶! 無理をするな!」
「九郎、……それより、あの竜k…」
「弁慶! くそ! もう一度だ!! 衝天雷光! え?」
望美が倒れている。
「望美!」
「神子!」
「ああ、望美ちゃん、無理しすぎだよ〜」
「く、悔しいな! もう少しなのに……!」
「ならば、兄上!」
「御意〜!」
「「梶原兄妹!」」
「そうか協力技か! 先生!」
「わかった、この力、お前に貸そう」
「「幽境師弟!」」
「譲!」
「白龍、大丈夫なのか!?」
「星の力を信じて!」
「「神の託宣!」」
「知盛!」
「兄上の…御命令とあらば……」
「「揚羽!」」
竜巻は、断末魔の悲鳴にも似た轟音を発して、大きく膨らんだ。
ヒノエが竜巻に飲み込まれようとした、まさにその瞬間
「皆を傷付けることは、私が許さない!」
と、竜巻の中から声が聞こえた。
ヒノエの結界が弾け飛び、
しかし、竜巻は一瞬で消滅した。
「ハハハ、またお前に一番美味しいところを持って行かれたね。そうだろう?
ハハハ、なに隠れてるんだ? 出てこいよ! 敦盛!!」
瓦礫と化した御室の伽藍に、ヒノエの声だけが悲しく響いた。
「敦盛さん無事に元に戻って来て!」
御室の誰もがそう祈った。