そう自分に言い聞かせ、玄関ドアの施錠を2箇所、確認した。
どこで購入したのか敦盛には皆目見当もつかないのだが、ヒノエがネットで見つけて
「お前とオレの城だからね。無粋な輩に押し入られるなんて無様なことがあったら許せないからね」
そう言って取り付けた特殊な鍵であった。
「あれ、珍しいですね。こんな時間に、どちらにお出かけですか」
先程挨拶を交わしたばかりの管理人は、ワタワタと慌てて出かけようとする敦盛に、明るく声をかけた。
「え、ああ、大事な用件が出来て横浜へ行かねばならなくなった」
「そうですか。お気を付けて」
「行ってくる」
敦盛がドアの向こうのスロープを歩いて遠離る姿を見送りながら管理人は
容姿は美少女でも充分通るとおもうんだけどなぁ、
あのしゃんとした姿勢といい、時代がかった言動といいなぁ……
中身は実に男前なんだよなぁ
などと、敦盛が聞いたら怒りそうなことを考えていた。
自転車で行くわけにはいかなかった。
ならば、私鉄の駅から電車で
とは、今の敦盛には思いつかなかった。
たかが1里に満たない道程である。
400m駅に向かって歩くより、400m目的地に近付く方を、敦盛は選んだのだった。
真っ直ぐに横浜駅の西口を目指して歩いた。
道中、何度もポケットから件の紙を取りだし、何度も確認しては、その度に口元が緩む敦盛であった。
畢竟、足取りも速くなる。
件の紙、それは、横浜駅近くのサイクルショップの折り込みチラシであった。
『新店舗OPEN記念!
LUIZ-GANAU LGZ-XCモデル MTB 99,200円が超特価 50%の49,600円!!
白・赤・黒 各色 限定5台』
フレームとかフロントフォークとかシフト数とか、いろいろ難しいことが書いてあったのだが
敦盛にはサッパリ分からなかった。
ただ『ルイガナ(LUIZ-GANAU)』という会社名と『マンウテンバイク(MTB)』という自転車の種類。
いつだったかヒノエと自転車の話になって……
そうだ、ヒノエの買ってくれたCELINEの自転車の話からだったと思う。
「では、ヒノエはどのような自転車が好みなのだろうか?」
「オレかい? そうだね…。お前のような柔らかいフォルムの街乗り自転車もいいけれど
オレは、もう少しヘビーユーズに耐えられるマウンテンバイクとか、かな」
「『まうんてんばいく』?」
「『MTB』って略して書いてあることが多くてね……ああ、ほら御覧」
と自分のノートパソコンですぐさま検索したHPを敦盛に見せた。
それは『LUIZ-GANAU』という会社のものであった。
「ま、いろいろな会社や種類が自転車にもあるんだけどね、
このLGZというシリーズが1番のお気に入り、かな」
「円、十、百、千、万! じゅ、十万近くもするものなのか!
こ、この下に載っている別の種類のものは三十万! その下も十七万……、
済まない……自転車とは、かくも高価なものだったのか……ヒノエ」
「おいおい、やめてくれないかい。
いくらオレが気前いいからって言ってもね、お前に買った自転車はもっと安いに決まってるじゃないか」
「そうなのか?」
「ああ、だから安心して、気軽に乗ってくれよ」
「分かった。ただ」
「ただ?」
「大切にさせてもらう」
「そうだね。そうしてくれると贈った方としてもこの上なく嬉しいからね」
敦盛の笑顔を見ると、絶対に敦盛にはCELINEの自転車の値段がばれないことを祈るヒノエであった。
敦盛の内ポケットには封筒が3つ。どれも「謝礼」と書かれたもの。
1つは
「平君、これ」
そう言って『雅楽さーくる』の渡辺先輩殿が、はにかみながら差し出したもの。
「受け取ってくれよ。多少多めにしたからさ」
「ホントに『多少』でしかないのが申し訳ないんだけれど」
そう水野先輩さんが本当に申し訳なさそうな顔をした。
「これは?」
「だから『謝礼』だって」
「い、いや、それは読めば分かるのだが……」
「普通は1万円プラス交通費ってとこなんだけど、3万入ってるから」
「え?」
「あなたのおかげで成功したコンサートなのに3万じゃ少ないのは分かってるんだけど」
「こっちも結構ギリギリでやってるから、すまん」
「い、いや。止めて頂けないだろうか。私は助力を請われて、それを受けたまでのこと。
それに私自身、このように楽を楽しめたのは本当に久方ぶりだ。
礼を言わせてもらうのは私の方であって、まして金銭など受け取れようもない」
「いいから受け取って。そうでないと気まずくて、2度と私達はあなたに笛の協力をお願いできないわ」
「え? そ、それは……。そういうものなのだろうか?」
「そういうものだと思ってちょうだい」
「わ、分かった」
もう1つは
「じゃ、これを」
そういって少英社出版の清水殿から手渡されたもの。
「ほら、敦紀。受け取りなよ」
「これは?」
「取材をさせて頂いた謝礼で」
「幾ら入ってるの?」
「ヒノエ…!」
「申し訳ないが、これで」
そう言って清水殿は人差し指を1本示した。
「へえ、ランドマーク最上階のレストランで奢ってもらった上に、1時間ちょっとの取材に1万」
「少なくて申し訳ない」
「誤解してるみたいだね、あんた」
「え?」
「確かに『オレへの頼み事は高くつく』っていったけどね、
雑誌の取材、それもただの無名の素人の取材費の相場くらいは見当がつかないほど馬鹿じゃない」
「ヒノエ?」
「お前は気にせず受け取っておきなよ。
こちらの記者さんの個人的な、お前へのエールも含まれているってことで」
「では、ヒノエと折半ということに」
「おいおい、取材されたのはオレじゃない。オレはあくまでもお前の付き添いじゃん
なのにここの食事と珈琲まで奢ってもらっちゃったからね、これで充分すぎるから」
その5日後に清水殿から連絡が入る。
「実はもう一度、お会いできないでしょうか」
「どうしたのだろうか?」
「幾つか理由はあるのですが、
1つは原稿が出来ましたので、お約束だったチェックをお願いいたします。
もう1つは、実はデスクから写真を撮ってこいと言われまして、
……その…よろしければ撮影させていただきたいのです。
あともう1つは、純粋に謝礼でして」
「何の『謝礼』なのだろうか?」
「実は先日の雅楽コンサートで、偶然なんですがホセ・カレースキ氏と知り合えまして」
「ほせかれーすきし?」
「ええ、しかもマスコミ嫌いといわれている彼の楽屋にお邪魔して独占取材ができました」
「は、はあ……」
「その謝礼です」
「……」
「平君」
「はい」
「ホセ氏も言っておられた。君は天才だと」
「私が…天才……、そのような事」
「そこで我が少英社出版は、全力で君をバックアップさせてもらうことに決めたから」
「ばっくあっぷ?」
そういって更に2日後に行われた撮影の後に
(撮影といってもコンサートの会場となった区民文化センター前でスナップを数枚撮っただけなのだが)
また、前回と同じように渡された『謝礼』に入っていた1万円。
それが3つめの封筒であった。
気が付けば目的のサイクルショップの前に到着していた。
開店にはまだ3時間近くあるというのに人の列が出来ていることに、敦盛は驚いて慌てて列の最後尾に並んだ。
開店1時間前に整理券が配られるという。
3色・5台の限定だから15人にしかLUIZ-GANAUのLGZ-XCモデルは購入できない。
先頭からの人数を数えて、敦盛は愕然とした。
27人目!
限定15台の購入には絶望的な数字であった。
今までの浮き立つ気分が一瞬で消え失せ、失意の内に帰ろうかと思ったのだが
ふと敦盛は気になることがあった。
15人しか購入出来ないのは周知の事実のはず。
ならば16人以降の人々は、何故並んでいるのだろうか?
列を離れる前に敦盛はもう一度、折り込みチラシを凝視する。
敦盛はMTBにしか注目していなかったのだが
実はもう1つ、50%OFFの商品があることにこの時初めて気が付いた。
『SANYU 電動アシストバイク CP-SPA006 + 専用充電器 50,800円 白 限定8台!』
それでも15+8=23?
それならば私の目の前におられる4人の方々は??
「お母さんの誕生日プレゼントなんだからな。今日買って帰っても明日までは内緒なんだからな」
「でもお父さん、内緒はいいけど、どこに隠しておくの?」
「う! それは……」
「やっぱりね、だからお父さんの計画は 〜 」
そうか。皆が1人で来ているとは限らないのだな……。
ああ、『ちゃんす』というものに、まだ私は見捨てられては、いないのかもしれない。