〜敦君の紅緋色い自転車シリーズ ・ 敦盛 自転車直し隊編 1 〜
「お待たせしました、バケット2つと8枚切り1斤でよろしかったでしょうか。
はい、ありがとうございます。660円になります」
午後1時27分。
お客様に釣り銭を渡しながら、何気なく自動ドアになっているガラス扉の向こうを見る。
今日もあの人、来るのかな。
颯爽と紫の柔らかな髪をなびかせて、籐の籠のついた、いかにもあの人らしい赤い綺麗な自転車に乗って。
初めは綺麗な女の子だと思ってた。
さすがは横浜だぁ、モデルさんもこうして普通に生活してるんだ、と。
良く見かけるようなって、その度に見とれていると
いつだったか、お店に入ってきてサンドイッチを、確かハムと卵のサンドを、取ってレジに来た。
嬉しくて、でも震える程に緊張して、だから精一杯の笑顔で、
「350円です」
すると目の前で、あの人は少し困った顔で、でも大きな瞳を真っ直ぐ私に向けて
「小銭が無くてすまない。これでも良いだろうか?」
と1万円札を出してきた。
その声を聞いたとき、私の心臓は止まるかと思った。
ハスキーとか低い声とかではなく、確かに男性の声だったから。
(男の子なんだ!!!!)
このことだけが頭の中でグルグルして、お釣りを間違いなく渡せたかも覚えていない。
どこに住んでいるのか、いつもどこに出掛けているのかも分からないけど
つい数日前も、店の前の駐輪スペースに、いつものようにあの人が自転車を停めた。
柔らかな紫の髪を風になびかせて、人混みの中へと消えていった。
あの人の自転車。
数百という数の自転車が駐輪していても、籐の前籠といい革製のサドルといいハンドルの微妙に優しい弧にしても、
一目で分かる独得の色と形。
あなたは、なんという名前なの。
どこに住んでいるの。
ああ……。
突然の突風で、店の前の歩道の自転車や、商店のノボリがバタバタと倒れた。
駐輪スペースの自転車も!
ちょうど風が強い日で何人かお客さんもいたのに、私は彼の自転車が心配で慌てて店の外へ飛び出した。
隣の携帯ショップのミニスカワンピのキャンギャルお姉さんも出て来て、
倒れたノボリや自転車を起こし始めていた。
私も彼の自転車、特に籐の籠が歪んだり傷付いたりしていないか心配だった。
(籠は…、ハンドルは……良かった。どこも潰れたり傷ついたりしてなくて)
そして彼の自転車を抱き起こそうとして、偶然見てしまった。
『平敦紀』
前輪の泥よけに貼ってある防犯登録シールの下に書いてあった、たぶんあの人の名前。
「たいらあつき」「たいらあつのり」「ひらあつき」「ひらあつのり」……
何と読むのかも分からないけど、勝手に「あつき」さんと呼ぶことにした。
それからはバイトのシフトを出来る限り、午後に替わってもらって
あの人の来るかもしれない午後1時半近くになるとそわそわしてしまうのが自分でも分かる。
「お待たせしました、バケット2つと8枚切り1斤でよろしかったでしょうか。
はい、ありがとうございます。660円になります」
GW辺りからこのパン屋でバイトしてる「近藤」って娘。
ダチと横浜、単車で走ってて、カレーパン食いてぇって突然ダチが言い出しやがってよ
偶然入ったパン屋で彼女見かけたのが運の尽きよ。
あれ? 「運の尽き」って、あんま良い言葉じゃ無ぇっけ? じゃ、あれだ「神様のお導き」。
いや、俺、変な宗教なんかの信者じゃ無ぇけぞ、言っとくけどよ。
で、彼女見たさに俺ぁ、毎日意味もなくパンを買いに横浜くんだりまで走ってってるわけよ、原チャリで。
で、ここ2週間、毎日昼と早めの夕飯はパン。ハイカラになったもんだぜ。
あの小さなパン屋で売ってるパンは、あんパンや調理パンどころか、食パンや
なんか小せぇコロッとした「スコーン」とかいうのや、
なんとかって言う、やたらと長細くってやたらと硬てぇフランスパンまで
2ローテーションは食っちまったぜ。
おう、あのパン屋の評論家だな、俺。
んで今週に入ってからは、さすがに俺だけじゃ食いきれなくなったもんだから親父に渡すと
「修理工がパンなんてハイカラなもん食ってちゃぁ力なんぞ湧くわけねぇだろう」
とかぬかしやがる。か! けったくそ悪いんだよ。
あそこのパン屋のパンは横浜一だぞ!
ま、まぁ、他のパン屋のパンって高校ン時、購買でしか食ったこと無ぇけどよ。
いい加減「はい、ありがとうございます。○○円になります」以外の言葉が聞きてぇじゃん。
もう俺、勇気ありったけスロットル全開で昨日、あんな風の強ぇえ中、パン屋行って
「俺、岡龍太っす。良かったら今度俺と赤レンガでクレープ食べませんか」って言おうと思ったわけよ。
で、パン適当に2、3個持ってレジに行って、前のばばぁの長ぇえレジが終わってやっと俺の番になったわけさ。
「あ、あの俺、おk」
その途端に何だか彼女、
「あ!」
とか言って店の外に走りだしちまった。
もう、俺のこの気持ちの空回り感分かる?
他の店員が慌ててレジ打ってたけど、何かもう、どうでもいいって感じ
外へ出てみると、隣のDokomaショップのキャンギャル姿のネエチャンと2人
風で倒れたチャリを起こしてる。
あ! 俺の原チャリも隣のママチャリに倒れかかられてんじゃんよ!
もうドミノ倒しになってる上に、ハンドルと車輪のスポークが変な風に絡み合って知恵の輪状態だから
女2人の力じゃ持ち上がらないって。
「あ〜あ、だめね」
とか言って、Dokomaネエチャンはオーバーなリアクションをして店に戻っちまったし。
仕方無ぇ、俺も自分の原チャリ引っ張り出さなきゃなんねぇしよ
レジをさっさと終わらせて、外に出る。
彼女、1人で健気にチャリンコ起こそうとハンドルにしがみついてっけど……、
あ〜あ、あんたの力じゃ無理だって
あ〜、そこ引っ張ったらかえってハンドルがスポークに食い込んじまうって
ったく!
「あの、順番に起こしてかないと無理っすよ」
俺、今さりげに何言った? 自分でもびっくりした。
「え?」
ほら、彼女も突然だから驚いてんじゃんよ。
自転車のハンドルからそっと手を離し、「順番に」の一番最初の方を見やる。
「はぁ……」
ソレと分かる溜息をして、彼女は何とも言えない眼を俺に向けた。
そりゃそうだろうな、20台からはある自転車の知恵の輪だからな。
「ま、手伝うよ。俺の原チャ、そいつだし」
「え?」
と彼女が手にした赤い自転車の2台先に、確かに俺の原チャリも倒れてた。
彼女が、俺と俺の原チャリと、俺の手にした彼女の店のレジ袋を交互に見てから
「いえ、お客様にそんなこと」
と本当に申し訳なさそうに言った。
(ああ、神様ありがとう)
ホントそう思ったね。
レジで突然「俺、岡龍太って言います」よりゃぁ、よっぽど自然な会話だし
当初の目的の「いらっしゃいませぇ」と「はい、ありがとうございます」以外の言葉も聞けたし。
「ま、気長に頑張るっきゃ無ぇって。じゃ、一番向こうのママチャリからやるぜ」
「あ、は、はい」
俺、今極自然に彼女に指示出ししてね?
くぅ!!! 今日は良い日だ!
メットを脱いで、肩の雨水を手で払い、自動ドアの前に立つ。
その途端に彼女、近藤花菜ちゃんが笑顔で駆け寄ってくれる。
ああ……、俺幸せだ
「いらっしゃいませ」
「お、おう」
「大変だったんじゃありません?」
「へ?」
「だって、こんな雨なのにわざわざ川崎から御来店くださって」
「へ、何で俺が川崎だって知っ」
「バイク」
「?」
「ナンバーが川崎だったから」
「あ、ああ、そうか」
「この前はありがとうございました」
「い、いや……。自分の原チャ引っ張り出そうとしただけだから、よ」
「でも、関係ない自転車何十台も起こしてくださって」
「まぁ、いいっていいって」
俺、今最高に幸せな気分です
「あ、これ。どうぞ、使ってください」
「え?」
花菜ちゃん、俺にちっちゃいタオル差し出してくれた。
「い、いや、いいよ。かえってそれ汚しちまうから」
「いいです。お店のだし」
そう言って、ペロッと舌を出して笑った。
可愛い! 可愛い!!
ここで勇気出さなかったら男じゃ無ぇ!
「あ、あの、こ、こん、…近藤さ」
その時だった。
後ろから店に入ってきた奴を見るなり彼女は
「あ…」
と小さく言って、慌ててレジに戻っていった。
「ごめんなさい。ごゆっくり」
そう俺に言って。
誰だ? 俺のありったけの勇気を邪魔しやがった奴ぁよ!
怒気満タンで振り返ると
そこに立っていたのは俺の肩くらいしかない、紫の髪をした美人だった。
「あ、あの……」
そういって、俺の方をオドオドして見ている。
悪りぃ悪りぃ。別に女ぁ脅すつもりはなかったんだ。
そう思って一歩脇に退くと
「すまない」
そう言って紫の美人さんは真っ直ぐレジに向かっていった。
……??
今の声……、男かぁ!?!?
すげ! さすが横浜だぜ。
こんな美少年(そういう言葉自体が普通なら恥ずかしいんだがよ、実際美少年だぜ)見たこと無ぇよ
と感動しながら後ろ姿と眺めてると、
「あ、あのすまないが、大きめのビニール袋か何かないだろうか」
と言ってる。
おいおい、ここはパン屋だぜ。
けど、そんな美少年君の切羽詰まった言葉に、花菜ちゃんも慌ててて
「あ、あの、ゴミ用のだったら」
と応対している。
ん? 何んか紅い顔してっぞ彼女
「すまない、それでいいのだが譲ってはもらえないだろうか」
「は、はい。少々お待ちください」
そう言って彼女は店の奥に消えた。
ゴミ袋、何に使うんだ?
そう思って、馬鹿みたいにトレーとトングを持ったまま突っ立ってると
奥から彼女がでかいゴミ用半透明ビニール袋を持ってきた。
「これでいいでしょうか?」
「恩に着る」
そう言って袋を受け取ると、紫髪の美少年君は外に出ていった。
『恩に着る』だぁ? 今時、そんな言葉遣う奴、いんのかよ?
まぁ、サラッと言ったんで違和感は無かったけど、変な奴
彼女はと言えば、ショーウィンドウ越しにその美少年君が何をやってるのか、心配そうに見つめてる
! やばいぜ、このシュチュエーションは!
で、その美少年君はといえば
もらったビニール袋で、自転車の前籠を包もうとしてあたふたしてるんだけど……
へ!? 籠を濡らさないようにって自分のジャケットかけてたのかよ
籠より高そうなジャケットじゃねぇ??
って、おいおい下っ手くそだなぁ! そこからじゃ袋は入らねぇって!
無理無理、そんなことしたら破いちまうって! ああ、ホラ見ろ。
もう! 見てらんねぇ。
「近藤さん、セロテープかガムテープ、ある?」
「え?」
「あいつ、すんげぇ不器だからよ」
俺が何をしようと考えてんのか分かったらしく、レジの向こうから、すぐにテープカッターごと渡した。
「これ」
「おう」
受け取る時、指が彼女の掌に触れる。暖かくて柔らかい、彼女の手。
「お前、いいからハンドル持ってろよ」
「え?」
そりゃぁ、突然俺みたいのに後ろから声かけられりゃ、たいがい驚くよな
「その籐の籠に袋かけるんだろ?」
「そうなのだが、しかし、見ず知らずの方に」
「そう言ってる間にちゃっちゃと終わらせっから、どけって」
「す、すまない。で、では、ハンドルを」
「ああ、そうしてくれ」
そう言いながら籠の上から袋を被せ、下まで包んでからハンドルとの結合部分に袋の口を持っていき
くるっとまとめて端を結んでから、
「ハンドルもういいから、そこに置いたセロテープ適当に3つ4つ切って渡してくれ」
「わ、分かった」
と言ったものの、この目の前の美少年君、テープカッターを見つめて考え込んじまってる
「お前、セロテープ、知らねぇのかよ!?」
「い、いや、『せろてぷ』は知っているのだが、その」
こいつ、帰国子女とかいうやつか?
「ああ、もう! いいから。じゃ、ここをこのまま押さえて持ってろよ」
「わ、分かった。すまない」
「こんなもん、こうして、こうして、ちゃっちゃと」
「ああ、引っ張って切るものだったのだな。勉強になった」
「おいおい、マジで言ってる?」
「え?」
真っ直ぐに見つめるこいつの目には、相手をからかったり蔑んだりしている色は見えねぇ
いつも俺やダチに向けられる、見慣れた目は……
と言うことは…だ、マジに知らねぇのか……、それはそれでびっくりだ
なんか可笑しくって
「クククク」
と笑いをこらえながら袋にテープを貼って、
「これで中の籠は濡れないと思うぜ」
そう言い終わる前に気付いた
俺達二人の上に傘がさしかけられていることに。
振り返ると、傘を持って精一杯背伸びしている花菜ちゃんがいた。
10/11/23 UP