帰らないの? 敦盛さんルート・7月 あっくんかまい隊・U−1
「でね、私、言っちゃったんだ、それって結局はバーターだったんでしょって」
もうすぐ曜日が変わる。六本木のはずれにある、ちょっと小洒落た隠れ家的なショットバー。
目の前で今日の撮影の愚痴をこぼすのは、モデルの卵の女子大生・理沙ちゃん
くるくる表情の変わる黒目がちの大きな瞳がかわいい20歳。
お祖母ちゃんがロシアだか北欧だかの人で、つまりはクオーター。
「でも、それで誰かの目に留まればめっけものなんじゃないのかな?」
「あ、そっか! そうよね。ヒロクンあったま良い!」
「だろう。もっとポジティブシンキンしなきゃ。
そのためにも理沙ちゃんの肌にもっと合ったコスメ、見つけようよ」
「え? 今使ってるの、この夏の新色だよ。UVも利いてるし」
「理沙ちゃんの肌は日本のファンデの色じゃ、ちょっとね…… !?」
あれ? 今、店の前の歩道を歩いていったのは……、まさかね。
腕時計を見る。木曜日の午後11時52分……。
「ねえ、どうしたの?」
「え? あ、いや、何でもない」
「じゃ理沙にはどんなファンデがいいと思うの?」
「ゲルンとかシャナルとか、あとはシャルテンとかバイヨとかワクールとか」
「シャルテンから後は下着のブランドじゃない。やだっ、もうアハハハ」
「さすがにそっち方面は詳しいんだ……」
え? 戻ってきたのか? あ、やっぱり彼だよな。
ヒノエは何やってんだ? こんな時間に……もうすぐ終電無くなるだろうに…
こんな酔っぱらいしかいない街に…、あ! 言わんこっちゃない!
「ご、ごめん! 理沙ちゃん」
「? 何? 突然??」
「ちょっと、緊急事態で急用が発生したんだ」
「え? え!?」
「会計はしていくから。はい、これでタクシー掴まえて。
ご、ごめんね! 今度また。連絡するから」
「な、何なの! ねぇ! ヒロクン!!」
「埋め合わせは今度するから!」
「ちょっと!! もうっ!」
「確か、この辺りの路地を入るという話だったのだが…」
「お嬢ちゃん、一人ぃぃ??」
「あ、いや。男なのだが」
「ち! なんでぇ! 塾帰りのガキは早く家に帰っちまえ!」
困った……、このような街の地理に詳しくない上に、
こうも夜が明るいと星も見えないので、どちらが北かも分からない。
まあ、北が分かったところで道が分からないのだから、意味は無いのだが…
「あ、あの……『る、るぅまにあたいしかん』の裏にある『だいにんぐばぁ』の
『まくつ』という『もつなべ』の美味しい店を御存知ないだろうか?」
「へぇ、そこで誰と待ち合わせかな?」
「え? い、いや」
「俺達とぉ、もぉっと美味しいもつ鍋の店に行こうよぉ。なぁ」
「え? それは困るのだが」
「俺達は困らないしぃ、な!」
「あ、ああ、そうそう。美味しいもつ鍋」
「は、離して、くれないだろうか」
「待った? 1人で何処に行っちゃったのかと思ったよ」
「え?」
「え?」
「お? 何だ、お前は」
「おじさん達、嫌がってる少年にそんな事して、東京都の迷惑条例、知ってるよね?」
「何!」
「さあ、みんながあっちで待ってるからさ、行くぜ。
で? おじさん達も来るかい? って居ないし……。逃げやんの。バ〜〜〜カ」
「あ、あの…」
「もう、大丈夫だよ。で、どこに行こうとしてたの?」
「見ず知らずの方に助けていただいて、申し訳ない」
「え!? それ、どんな冗談?」
「え? ……どこかでお会いしているのだろうか?」
ちょっとちょっとヒノエ! この子、どういう子だよ!
オレ、生まれて初めてだよ、こんな事!
「慶桜で会ったじゃん」
「ヒノエの御学友の方、だったろうか?」
「ねぇ、ホントに覚えてないの? 晃久達とカレットでパフェ食べたじゃん」
「え? ああ、晃久殿のお仲間の方だったのか。申し訳ない」
「『晃久殿』の『お仲間』ぁ〜! オレの方が晃より、その他大勢に入ってるって!?」
「あ、あの…」
な! な! 何よ!!! ヒロユキのあほっ!!!!
何が緊急事態よ。あんな可愛い娘、ナンパするために出ていったっていうの!
あんな、あんな私よりちょっと……、私とタイプの違う可愛い娘!!
理沙もデート中の男に、急用を優先された事など生涯初のことだった。
「どんな急用より私とのデートを優先するのが当たり前」と思っていた彼女のプライドは痛く傷付き
それが、こうして弘行の跡をこっそりつけるという、
相手に見つかったら一層プライドが傷付きかねない行動に走らせている。
「で、その『魔窟』ってダイニングバーで誰が待ってるわけ?」
「何と言ったらいいのか……、そう、ヒノエの従兄弟殿が酔いつぶれてしまわれて」
「従兄弟! ヒノエって従兄弟がいるんだ?」
「ああ、源九郎殿と言うのだが」
「え? みなもと……くろう…」
「御存知なのだろうか?」
「オレ、知っててもおかしくないの?」
「さ、さぁ…。何度かテレビに出たことが」
「あ! じゃぁ、やっぱりそうだ。『SASUGA』を制覇した3人目の!」
「ああ、やはり御存知なのだな」
「え〜〜!!! 『SASUGAのくろう』ってヒノエの従兄弟なんだ!?」
あんな優しいって言うより子供っぽい笑い方、ヒロクンでもするんだ。
私といる時ってカッコつけて気取ってるだけだったのに……
帰ろう……なんか、ショックだし……
あ〜〜〜〜!!!!! でも気になるっ!!!!!
どこ行くのよ? あの2人!? こうなったら、女の意地よ!!!!
いつもなら、この時間の六本木の街だ、言い寄ってくる男の5人や10人いるだろうに
今日の彼女の雰囲気にはそんな男達を寄せ付けないものがあった。
「で、その友人っていう人が携帯で知らせてきたんだ?」
「ああ、その方もよくテレビに出ていらっしゃるのだと聞いているが」
「誰だろう? ハハ、オレってミーハー」
「『みぃはぁ』?」
「いいからいいから、ここが大使館前だから、そこを曲がると、たぶん有るはずだよ、お店」
え? あのお店に入っていった……
理沙は店の前に走り寄る。
『個室ダイニング・魔窟』……っ、個室って!! やだ! いかがわしい…
ヒロクン、私と個室ダイニングなんて、行こうとも言ったことないのに……
う〜〜ん…、一人で入るのは勇気がいるなぁ
「…なんで、はい。じゃ、オレ、タクシー掴まえて来るから」
え? ヒロクンの声? 入ったばかりなのに??
慌てて理沙は電柱の陰に隠れる。
表通りに走って行ったのは、間違いなくヒロクンだった。
誰かを迎えに来たのかな?
急いで店に駆け戻る弘行が目の前、ホンの数歩のところを過ぎる。
余程、出て行って事情を問い質したい衝動にかられたのだが、
その時、弘行が駆け寄った店先に立っていたのは
「カ!!!」
理沙は慌てて自分の口を押さえ、電柱の陰で呼吸を整える。
見間違いよね。そんなはずは無いわよね
胸の鼓動を押さえつつ、深呼吸をして、身を乗り出し確認する
! カッキー!! 間違いない!! ジャネーズの柿沢秀彰君!! 何で何で何で???
「だ、大丈夫、だろうか」
「あああ、ぼ僕ならぁ心配には及びませんから」
と言い終わらないうちに足下がふらつく。
「か、柿沢殿」
「その『殿』っての、いいなぁ〜。もう一回言って」
「え?」
「もう一回言って」
「か、柿沢殿」
「そんな風にさり気なく『殿』って言葉が言えたらさぁ、
僕も、もうちょっとMHK大河で、台詞もらえたのになぁ」
「あ、あの、タクシーに」
「ゴメンねぇ、敦紀君を呼び出しちゃぁって」
「い、いや…」
「九郎さん、ガンガン、ボトル空けるんで、僕まで、ピッチが上がっちゃってね〜〜ハハハ」
「た、楽しい酒で何よりだ」
「でしょでしょ、でも、九郎さん、急に『寝るっ!』とか言って寝ちゃうんだもんなぁ。
もう少し、今後のジャネーズとタオレンジャーの方向性を話したかったのになぁ。
でぇ、九郎さん関係って『タオレンジャー』のロケ、始まってまだ日が浅いからさぁ、
僕、知らないんだよねぇ」
「柿沢殿、タクシー」
「誰を呼んだらいいかって、九郎さん、いっくら起こしても起きてくれないからぁ、悪いとは思ったんだ
悪いとは思ったんだよ! 思ったんだ、けどさぁ九郎さんの携帯、ちょ〜〜っと拝借したら
アドレス最初が君だったってわけだぁ〜、ごめんね〜〜。お友達もごめんね〜〜〜」
「オレ? オレならOKですよ。柿沢さん」
「つれないなぁ〜〜、カッキーって呼んでくれよぉ〜〜」
「さぁ、タクシーに」
「じゃぁね〜〜!! 九郎さん、頼みますね〜〜、お休みぃ〜〜」
タクシーが発進した。と思ったら急に停まって窓が開き、柿沢が手招きする。
「おっ友だちぃ〜〜!」
「オレ?」
??だらけの頭でタクシーに走り寄ると
「僕、お金、払ったっけぇ?」
「さぁ? たぶん大丈夫だと思いますけど…」
「そっか、じゃ、お友達、九郎さんと敦紀君、頼むねぇ」
「OK、任せてください」
「今度、この埋め合わせはするからねぇ」
「気にしなくていいですよ。じゃ、運転手さん、お願いします」
酔い潰れた柿沢秀彰君のレスキュー! 本当に緊急事態だったのね
って言うか、ヒロクン、カッキーの知りあいなんだ! すごいすごい!!
それも、これっぽっちもひけらかさないで…。『お友達ぃ』だって、あのカッキーが。
『カッキーって呼んでくれよぉ』…、キャア〜〜! どうしよう!!
「じゃ、今度は一人じゃ担げないだろうから……」
「い、いや、もうこの後は私一人で」
「そんな華奢な身体で、『SASUGA』のチャンピオンは無理だろう。
遠慮するなって。カッキーからも頼むって言われちゃったしさ」
「そ、そういうものなのだろうか?」
「そういうもんさ。先ずは、その源九郎をここまで運んで来ようか。タクシー掴まえる前に」
「ああ」
二人して店の中に入ると、すでに従業員が3人がかりで
すっかり正体の無くなった源氏の総大将を担ぎ、
マネージャーと思しきスーツ姿の男が九郎の上着を持って、立っていた。
「あ、九郎殿」
と、敦盛は従業員から九郎を受け取り、肩抱きにして表へと歩を進めた。
軽々としたスムーズな動作だったので誰も不審がらなかったが、
よく考えてみると3人がかりだったものを、敦盛一人で受け取ったのだから、不審がられなかったのは、幸いであった。
弘行も敦盛と一緒に表に出ようとした時、マネージャーに呼び止められた。
「あの、お客様、これを」
と手に持った上着を渡され
「あ、どうも」
と弘行が受け取りに戻った。
「それから…」
「え?、まだ何か?」
「はい、これがまだでございまして…」
と、マネージャーは会計を示した。
「ああ、やっぱり」
柿沢が最後にタクシーを停めてまで言った『僕、お金、払ったっけぇ』を聞いた瞬間から
弘行にはある程度、予想がついていた。
「いくらですか?」
出来る限り平静を装って、会計を受け取り一瞥して
「2人、だけですよね」
「はい、柿沢様、源様のお二人でございます」
「で、57,827円!?」
「日本酒を3本とウィスキーのボトルを2本と焼酎を1本とワイ…」
「あ、分かりました。じゃぁ、残ったボトルはカッキーの名前でキープして」
「いえ、すべて空でございます」
「2人で?」
「はい。たいへん御気に召された御様子で」
「ウワバミだなぁ」
「あの」
「あ、払いますから領収書下さい。これかこれ、どっちかのカード、使えますか?」
マネージャーの瞳が一瞬輝いた。
弘行の差し出したカードはVIBAとアマックス。ただし見慣れたものと色が違っていた。
ゴールドカードをひけらかす客は見飽きているマネージャーも
VIBAのプラチナ・ファミリーカードとアマックス・ブラックの家族カードというものを
両方差し出す20歳前後の若者というのは初めてだった。
「はい、もちろんでございます」
平静を装いながらも震える手で恭しく捧げ持ったのは、
戦車でも買えると噂されるアマックスのブラックカードだった。
「よ、良かったのだろうか?」
「え? あ、やだなぁ、見てたの。いいからいいから、気にしないで」
「い、いや、しかし」
「友達なんだから、貸し借りなんて気にしない」
「そうはいかないのではないのだろうか」
と、敦盛は自分の財布を出そうとするので、
「ストップ。君が払うんじゃ、それこそ違うでしょ。ちゃんと後で、この源さんなり柿沢君なりに請求するからさ」
「……そ、そういうものなのだろうか?」
「そうだよ。それより、源さんの家、どこだか知ってる?」
「ああ、以前何度か伺ったことがあるので」
「どこ?」
「ち、地名は…確か、『都立大』という駅を降りた、そう目黒のサンマの七雲だったかと」
「面白い覚え方してるんだね。目黒区の七雲か。
ここからだと、この時間だし、道路空いてるだろうから2、30分ってところかな」
あ、出てきた。今度も誰か担いでる! ヒロクンよりちょっと大きいかな。すごっ! 理沙より髪の毛長いぃ!
あ! 理沙、この人もテレビで見たことあるっ! え〜〜と、え〜〜と……
!! 体操のお兄さん! そうだTBBの体操のお兄さんだ! へぇ、ヒロクンって意外と芸能界に知りあい居るんだ
簡単にタクシーは掴まり、敦盛と弘行は、九郎を真ん中にするように後部座席に乗り込んだ。
「え? あ、あの…、もうこれ以上は」
「何言っちゃってんの、タクシーから下ろすの、一人じゃ大変だよ」
「え、でも…」
「気にしない気にしない。運転手さん、目黒区七雲まで」
「め、目黒通りを渡ったところの小学校と氷川神社の間にあるマンションなのだが」
「ああ、七雲小の北側だね。はいよ。近くに行ったらどのマンションか言ってくださいね」
「承知した」
店の外に並んだ従業員一同のお見送りの中、タクシーが出発する。
ああ、行っちゃう……!
理沙は思わず通りに走り出て、通りかかったタクシーを掴まえようとしたのだが、
そうそう上手くはタクシーが来なかった。
3人を乗せたタクシーのテールランプはもう分からなかった。
「もう!」
歩道の縁石を蹴り上げて、却ってお気に入りのパンプスに傷を付けてしまったが
今の理沙にはそんなことなど少しも気にならなかった。
ヒロクンはカッキーと知りあい…ううん、カッキーが『おっ友達ぃ』という仲
酔い潰れた知りあいの手助けに呼ぶくらいの…
ちょっとハンサムで家柄が良くて慶桜ブランドの、単なるボーイフレンドの一人から
弘行は、この1時間にも満たない間に100倍以上ランクアップした。
今度会ったら、じっくり問いつめてあげなくっちゃ、ね、ヒロクン
自分が彼らの後をこっそり尾行たのがバレることなど、今の理沙には思いつきもしなかった。