九郎さんルート 5月 V
「『サスガ』とは何なのだ?」
「ハイ? 本気で言ってます?」
多少ムッとした城鳥の声に、九郎は慌てて
「気に障ったのなら謝る、すまない。ただ…」
「ただ?」
「俺は、本当に知らないのだ」
「では、何故ここに来て、SASUGAのセットに挑戦してみようと?」
「さぁ……、俺にも良くは分からないのだ」
「そうですか…。まあ、子供達も待ってますから」
不思議な青年だ、と城鳥は思った。
どうやら、からかわれているのでも、挑発されているのでも、なさそうだ。
何なのだろう? この悪びれず、真っ直ぐに他人の目を見つめて語る、この青年の、一途な真面目さは…?
「詳しい話は後ほどにして、まずは、実際にやってみませんか?」
「ああ、そうだな」
と、屈託無く笑う九郎に、城鳥文吾もつられて笑い、
SASUGAオールスターズとしてのプライドを根底から蔑ろにされたショックも確かなのだが、
よく城鳥家に訪れる2種類の人々、
巧いこと自分に取り入って、あわよくばSASUGAへの出場推薦を得ようする姑息な者達や、
武者修行か、ヘタをすると他流試合のような必死さを漂わせて訪れる者達と、
どちらとも異質な、暖かさとか柔軟さとかを、この「源九郎」と名乗った青年から感じ、
城鳥は何故か好ましかった。
城鳥が着替えて、庭に出てみると
そこでは「源九郎」と子供達がはしゃぎながら準備体操をしているところだった。
いや、はしゃいでいるのは子供達だけで、
当の「源九郎」は大真面目に子供達から準備運動の手ほどきを受けていた。
「違うって! こうだよ、こう!」
「こう、か?」
「こうだって! 何か、違うんだよな〜」
「九郎、身体は柔らかいけどさ、どうしてこういう準備運動、知らないの?」
「ラジオ体操とか、夏休みにやらなかったか?」
「こう…? え? らじおたいそう?」
「九郎兄ちゃん、手と足が逆! って言うか、そう曲げられる方がすごいけど!」
「こう? ああ、こうなのだな」
「そうそう。で、次はこうして、アキレス腱を伸ばして」
「こう、か? で、その呆れ何とかとは何なのだ?」
「知らないの? アキレス腱?」
「あきれ…、舌を噛んでしまいそうだな」
「噛まねぇよ!」
「信じらんなぁ〜い!」
子供達が初めて来た人間とここまで、はしゃぐ姿は初めて観た。
源九郎に子供達が群がっている。
それでも、この青年は嫌がらず、媚びず、子供達の指示に従って身体を動かしている。
(本当に、不思議な青年だ)
そう城鳥は思わずにはいられなかった。
「お待たせしました。
では源君、SASUGAの代表的なものを幾つか、やってみてください」
と、城鳥がまず連れてきたのは、昨日見た木で出来た半月形の物体だった。
「これは『反り立つ壁』と言いましてね、あちら側の頂の高さは5m20cm。
この傾斜を利用して駆け上って、あちら側の、あそこの突端に手をかけて、
後は腕力と、脚を上手く突端にかけて、よじ登るものです」
「近くで見ると大きいものなのだな…。
ここから駆け降りて勢いをつければいいのだな。
分かった、やってみていいか?」
「こうするんだという手本を示したいのですが、今、僕は腰を痛めてましてね」
「! そうだったのか。それなのにわざわざ着替えまでしてくれて…、すまない」
「いいんですよ。どうせ、子供達の補助もしますから」
「補助?」
「ええ、大人の介添が必要でしょ。じゃなきゃあ、こんなところで遊ぶのなんて危険で」
「え? これで? ムリなのではないか?」
「ま、ムリです。でも、この子達はそれをチャレンジしに来ているんです」
「ちゃんれ…?」
「チャレンジ、挑戦ですよ」
「そうなのか。お前達、すごいな」
「偉いだろう…アハ」
「はやくやってよ、後がつかえてるんだからさぁ」
「そうだな、では」
「あくまでも、ムリはしないでください。怪我をしては意味がない」
「そうだな、約束する」
そういって九郎は軽やかに駆け下りた。
「あ! 気を付け…て…… !」
城鳥が言い終わるよりはやく、
源九郎は半月形の斜面を疾走し、そのまま向こうの突端に手をかけると
腕力で身体を持ち上げるというよりは、加速で虚空を舞うように浮かび、
スッと音もなく向こうの頂に立った。
城鳥文吾はあっけにとられていた。
そう、こんなに美しく『反り立つ壁』を、しかもたった一回で征服した者など
未だかつて一人もいなかった。
城鳥だけではない。その場にいた子供達も、声を出すことさえ一瞬忘れて見とれた。
SASUGAオールスターズの合同合宿すら見慣れている子供達でさえ、
こんなに音もなく軽やかに『反り立つ壁』の向こうの頂に立った者など見たことがない。
源九郎のホッとついた溜息と、照れた表情。
「すげぇ…」
城鳥の隣でみていた少年の呟きは、その場の全員の率直な感想だった。
その呟きで他の子供達も我に返り、
そして素直な賞賛の歓声と拍手。
その瞬間、SASUGAに新しいスターが誕生した、と城鳥文吾は確信した。
その後の九郎の挑戦に、城鳥も子供達も興奮し続けた。
城鳥家の庭に設置された十幾つかのSASUGAセットを、九郎は難なく突破し続けたのだ。
どちらかと言えば『反り立つ壁』のような加速系より、
腕力や握力といった上半身のパワーが求められる競技の多いのが、SASUGAの特徴だ。
城鳥にしてみれば、しなやかな九郎の身体は、しかしそれほど上半身に筋肉が付いているようには見えず、
パワー系で苦戦すると思っていた。
自分や、今はコンビニの地域統括マネージャーになった仲間のように。
たった二人、SASUGAを制覇したあの二人の上半身の、日本人離れした筋肉を思えば当然だった。
しかし源九郎は……。
この身体のこなし方、反動の付け方、力の逃がし方、腰の入れ方。
そのどれをとっても、
かえって城鳥には新鮮な驚きと、そういう動かし方があったか、と言う感動にも似た発見の連続だった。
『ジャンピングスパイダー』……トランポリンからスパイダーウォークに飛び移るこの競技で、
九郎はトランポリンを使わずに、更に言えばトランポリンの手前の地面を蹴って
スパイダーウォークに飛び移った。
トランポリンを片足踏み切りで成功した唯一の競技者である城鳥をして唖然とさせたのだが、
すぐさま城鳥は冷静に
(この競技でトランポリンを使わないことはルール上認められるのだろうか?
TBBの番組制作サイドも、まさかここをトランポリン無しで飛び移れる人間がいるとは
思い浮かばなかっただろうが……一度、問い合わせてみるべきだろうか)
と考えた。
『サーモンラダー』……フックに架かった鉄製のバーにぶら下がり、
そのバーを身体の反動で身体ごと跳ね上げ、一段高くなった上のフックに引っ掛ける。
フックは7箇所あり、この動作を六回繰り返すことで頂上に到達するのだが、
最後の六段目と七段目の間隔が他よりも大きく開いて難易度を跳ね上げている。
事実、数回前の大会では、オールスターズも含めてそれまで生き残っていた競技者全員が
ここで脱落したほどの難関だった
のだが、九郎は反動というよりは懸垂のように腕を縮めて身体を持ち上げ、次の一瞬で、
身体が重力に従って落下を始めるより速く腕を伸ばしてバーを上の段に引っ掛けてしまう…、
または空中でありながら、まるでプールの壁を『蹴伸び』でもするかのように…、
どちらで表現しようとも物理の常識としてあり得ないのだが、
でも、そうとしか言いようのない動作で、スッスッと上っていってしまった。
『クリフハンガー』……厚さ3cm、長さ5mほどの角材状の突起物が3本、壁に打ち付けられている。
その3cmの突起に指をかけて全体重を支え、腕(指?)をスライドさせて横に移動していく。
3本の突起物は、それぞれが地面(実際には水面だが)からの高さが違い、
しかも、1つ目から2つ目へは、間が開いている上に2つ目が30cm高く固定されている。
2つ目と3つ目の間も、開いている上に50cmほど今度は低く設定されている。
九郎はこれも懸垂のように腕を縮めた姿勢で進んだので、
後ろから見ているとまるで突起物に噛みついて、口でも身体を支えているように見えた。
城鳥は慌てて真横の位置まで走り、確認してしまったほどだ。
『ジャンピングバー』……巨大な『うんてい』の4本ある鉄棒を飛び移る競技。鉄棒と鉄棒の間は1.6m。
反動をつけて前に身体を振り、飛び移るのが一般的だが、
九郎の場合、まるで4本の鉄棒とハイタッチでもしているかのようで、
身体の反動を感じさせなかった。
(何てしなやかで、それでいて強靱な腰なんだ!)
長年の陸上競技とSASUGAとで酷使して、悲鳴を上げ続けている自分の腰と、
城鳥はどうしても、比べずにはいられなかった。
『パイプスライダー』……2本のレール上にある固定されていない鉄棒にぶら下がり、
体重移動によって、その鉄棒をスライドさせて進み、
最後に身体を振って鉄棒からジャンプし、ゴール地点に飛び移る。その距離は約170cm。
この障害物が、九郎にとって一番手間取ったように見えたのがこれだが、それも実は
「源君、身体を振って、その反動でパイプをスライドさせて進むんです」
との説明を城鳥がしたために、
「ぱ、ぱいぷ? すらい? すらいんど?」
と、相変わらずのカタカナアレルギーが災いしただけだった。
2、3回身体を振って、どう反動を使うべきかを理解すれば、あとはあっけなかった。
最後の170cmの距離も、一度大きく身体を振っただけで綺麗にゴール地点に着地した。
遊ぶことも忘れて、ずっと九郎を追い掛けて見続けた子供達は、
九郎が着地した瞬間に、手が真っ赤になるほどの拍手をし、彼の下に駆け寄った。
子供達の真ん中で、嬉しそうに笑う源九郎という青年を見ながら、
「この青年は、天才だ」
そう城鳥は確信し、携帯電話をポケットから取り出した。
2度の呼び出し音の後で相手の、相変わらず威勢の良い声が聞こえてきた
「もしも〜し! 城鳥! 珍しいな、お前の方から連絡してくるなんてよ!」
「永野さん、すっごいニュースがあるんですよ…
そして九郎の慌ただしい六月が始まる。
08/06/06 UP