朱雀 4
「オン アミリテイ ウン ハッタ オン アミリテイ ウン ハッタ オン アミリテイ ウン ハッタ」
弁慶は眼を閉じて一心不乱に真言を唱え続ける。
「べ、弁慶殿」
「シ! 静かに……これは…軍荼利明王真言…か」
「オン アミリテイ ウン ハッタ オン アミリテイ ウン ハッタ オン アミリテイ ウン ハッタ」
陰の気が辺りに満ちてくる。
「これは」
「敦盛君、油断するな。いよいよボスキャラのお出ましだ」
「『ぼすきゃら』とは?」
「この化け物どもの親玉だ」
「分かりました」
敦盛は油断無く忍刀を構え直した。
「オン アミリテイ ウン ハッタ オン アミリテイ ウン ハッタ オン アミリテイ ウン ハッタ」
辺りが急に闇に包まれ、雷鳴が轟いた。
と同時にどこからともなく怒号が鳴り響いた。
「ピギャァ〜! ソノ、ソノ、忌々シイ真言ヲ止メロ!」
大地が揺れ、死臭とも腐臭と分からない気の遠くなるような悪臭と共に、目の前のアスファルトが地割れを起こす。
地割れの亀裂は地獄にまで続いているかと思えるほど深く、そしてどこまでも暗かった。
その中からゆっくりと、身の丈は優に3mはあろうかという禍々しい姿が浮かび上がる。
全身は鱗で覆われ、手足には大きな鰭と水掻きがある。
「死んだ魚のような」という形容が相応しい、感情や生気どころか、どこを見ているのかすら定かでない目。
「オン アミリテイ ウン ハッタ オン アミリテイ ウン ハッタ オン アミリテイ ウン ハッタ」
「止メロ!」
悪臭を放つ粘つく体液を滴らせながら、目の前に現れた化け物は弁慶に掴みかかろうとした。
「ハッ! 水流尖!」
しかし、如月の飛水流は蚊が刺した程の効果もなかった。化け物は意に介する様子も無く、弁慶に掴みかかる。
「…やはり水属性には効かないか」
弁慶の喉に化け物の手が掛かる寸前
「ハァァ! トゥ!」
と気合いを込めて敦盛の忍刀が振り下ろされた。
「弁慶殿に指一本触れさせはしない!」
化け物の右手から体液が滴り落ちる。
「グゥェェェ!」
弁慶と化け物の間に割って入った恰好となった敦盛は、
「私とて武門の子! 兄上、お力を…」
そう呟いて、如月から渡された直刃の忍刀を構えた。
「グギャァァ!」
自分の身体を傷付けた目の前の小さな生き物に怒りが向けられる。小さな生き物に襲い掛かる化け物の圧倒的な圧力。
敦盛の刀を握る手にも力が入る。
敦盛が押しつぶされるか、弁慶もろとも殴り飛ばされるか
その刹那
「ピギャ〜〜」
右腕を肘から切り落とされた化け物が、飛び退く。
「バ、バカナ! 人間ナドニ、コノ身体ガ斬リツケラレルハズガ! アリエン!」
弁慶がゆっくりと真言を解き、呼吸を整えて印を組み直す。そして大きく息を吸い……。
しかし化け物は自分の右腕が、目の前の華奢とも思える紫髪をたなびかせた小さな人間に切り落とされた事への驚きと怒りで
そんな弁慶の所作になど気づかなかった。
「ソノ眼、ソノ膂力……。ソウカ、分カッタ、オ前モ我ラト同z」
「地久滅砕!!」
弁慶の放った術により、辺りにある五行の土気すべてが、化け物を構成する水気を相剋しようと襲い掛かる。
「キ、貴様ハァァァ! グョォ! グギャァァァ」
断末魔の悲鳴をあげて、化け物は塵となって消えた。
悪臭が消えていく。
陰の気も薄らいでいく。
地割れなど無かったかのように辺りが静まる。
「お、終わったのでしょうか?」
弁慶はそんな敦盛の問いかけに、いつのも妖しい笑顔で
「さぁ、どうでしょうね。僕としては出来る限りの術をぶつけたつもりですが」
「それにしても、お見事です」
「それなら敦盛君、君の助力がなければ僕は今頃、あの化け物に首を捻り切られて殺されていましたよ」
「そのような……、でも、私などがお役に立てたのであれば幸いだ。
しかしさすがは弁慶殿だ。神子がいなくても術が出せるのだな」
「偶然です」
「え? 偶然?」
「ええ、僕も驚きました。咄嗟のことに思わず叫んでしまいましたが、まさか出せるとは」
「で、では……。もし、術が出なかったら…?」
「その時は……、僕達は3人とも無事では無かったでしょうね」
「いや、なかなか」
見上げると、いつの間にか近くのブロック塀の上に如月翡翠がいた。
「翡翠殿?」
「実に見事なものを見せて貰ったよ」
「別に見世物ではないですが」
「気を悪くしないでくれ。それにしても朱雀の君が『土』の属性とはね」
「おかしいですか?」
「いや。ただ、君を敵に回したら僕的には厄介だと思ってね」
「では、友好的にお付き合い願いたいものですね」
「それにしても」
「はい?」
「君達は実に興味深い」
「僕も、あなたという人が非常に興味深く思えて来ました」
「ああそれより、これが先だったな」
と如月翡翠はヒラリと塀から下り、二人の前に立ち、言った。
「礼を言う。危ないところを、済まなかった」
「翡翠殿、礼などと、そのような……」
「ええ、そうですよ。僕達が余計なお節介などしなくても、あなたなら十分独りで太刀打ちできたでしょう」
「いや、相手が水属性だったのでね。見てのとおり、かなり危うかった」
「と思わせて、僕達が飛びこんでくるのは計算の内だったのでしょう。怖いですね、あなたという人は」
「そこまで読んでいながら、なお助力してくれるのだからな。君とて人が良いだけではないのだろう?
それに、まだ君達は力を出し切っていない。初対面の相手に手の内すべてはさらしていない。
そう解釈していいのだろう?」
「そ、そのような…ことは……」
「敦盛君の言うとおりです。もう、僕はこれがギリギリの精一杯で、クタクタです」
「フッ。ならば、戻って酒盛りを始めようか。でないと」
「冷や酒がぬるくなってしまう、ですか?」
「いや、酒の匂いをかぎつけて、厄介な奴が遣って来ないとも限らないのでね」
「厄介な奴?」
「そう、厄介な奴。ま、縁があったらその内、引き合わせる」
「そうですか。楽しみにしていましょう。では、戻りましょうか」
「あ、あの……」
「何でしょう、敦盛君」
「あの化け物の切り落とした腕は……?」
「腕ならば、如月さんが」
「僕は高みの見物をしていただけだが」
「嫌だな、とぼけるなんて」
「とぼけてなど」
「ええ、いいでしょう。そういうことにしておきます。とにかく敦盛君、腕のことは心配ありませんよ」
「そ、そうなのか? ならば、いいのだが…、あの……」
「まだ何か?」
「その……、実は…」
「?」
「この刀の事なのだが……」
「あ! 敦盛くん…」
「折ってしまったのか……、フッ、アハハハハ」
「如月殿?」
「敦盛君、君も大したものだ」
「どうして、なのだろうか?」
「この忍刀は、ちょっと特殊な造りでね」
「特殊?」
「どう特殊なのでしょう?」
「弁慶も興味があるのか?」
「ええ、少し」
「本当に君は、何にでも興味を示すのだな」
「すみません。どうも、僕の悪い癖で。それで?」
「この刀は現在考えられるこの世の中で最も硬い超硬合金で造ったものだ。
人によっては『リアル斬鉄剣』とも呼ぶが、それの改良タイプだ。
それをまさか、人の力で叩き折ることがあるなんてね。この刀を造った連中が聞いたら、さぞ驚くだろう」
「ああ、あの」
「弁償しろ」
「え!? あの…」
「などとは言わないから、安心してくれ」
「翡翠殿…」
数歩、歩き始めて敦盛は何気なく振り返ると、そこにはごく普通の街並みが何事もなかったように並んでいた。
先程までの激闘の後も、化け物に破壊された家も、地獄まで続くかと思われた地割れも
すべては夢だったかのように
跡形もなくなったことを伝えようと、前を行く二人に向きなおったのだが
にこやかに談笑しながら歩き去る二人の後ろ姿を見ると
そんな言葉など不要に思えて、苦笑しながら二人の後を小走りに追いかける敦盛であった。
(私はまだまだ修業が足りない)
そう思いながら。
「東京の水を守る『飛水流』……ですか」
「そう。昔々の御伽話ではね」
と笑い、すこしぬるくなった酒を弁慶に注ぎながら、如月翡翠は言葉を繋いだ。
「御伽話……ですか」
「ああ、御伽話。安っぽい幻想小説さ……」
猪口を飲み干し、この骨董品店店主に酒を注ぎ返そうとしていた自称芸能マネージャーの手が止まる。
「ふぁんたじー、ですか」
「ああ。君達にしても」
「ええ、そうですね。それこそ使い古されたタイムスリップ物の安っぽいサイエンスフィクションです」
弁慶は翡翠の盃に酒を注いだ。
「タイムスリップ物ね」
「ええ、安っぽいSFと安っぽい御伽話」
「なるほど。で、君達には、まだ歴史上の人物と同姓同名の仲間は、こちらにいるのかな?」
「同姓同名?」
「平敦盛、源九郎、弁慶、だからね平知盛とか熊谷直実とか」
「まさか」
「静御前とか北条政子とか」
「やめて下さい」
「やめていただけないだろうか」
「お気に召さなかったようだね。では、奥州藤原の秀衡とか熊野別当の藤原湛増とか」
「え! ど、どうしてここに湛増の名が?」
「君の御父上だろう?」
「やめてください! 冗談ではありません!!」
「プ、ククク」
「敦盛くん」
「敦盛君がここでどうして笑うのかな?」
「そ、それは…」
「敦盛くん!」
「どうも、聞いてはいけないようだね。(敦盛君、後でゆっくり)」
「(はい)」
「今も後も、困りますからね」
「では、話は変わるが、一月ちょっと前に、敦盛君とその友人が横浜で付け狙われる、
ということが起こったそうだが。弁慶は知っているのか?」
「え!?」
「き、如月殿! 何故、それを知っていらっしゃるのだろうか?」
「本当ですか? 敦盛君」
「は、はい…」
「何で黙って…」
「ヒノエに口止めされていて……」
「やれやれ、あの子にも困ったものですね」
「す、すまない」
「それに、最近も新宿で」
「え?」
「そうなのですか?」
「いや、あれはただの……」
「そう思っているのは君の自由だが。一つだけ、同じ四神を宿す者の忠告として聞いておいてもらいたい。
この世界には、君達の知らない組織があちこちにある」
「?」
「!?」
「用心しておくことだ」
「……」
「敦盛君がいろいろとお世話になっているようですし」
「弁慶殿?」
「御忠告、痛み入ります。ただ」
「ただ?」
「僕達は、静かに暮らしているだけですから」
「ならば、いい」
「含みのある言い方をされますね」
「お互い様だろう」
「僕が何か?」
「フッ、人間離れした身体能力で『SASUGA』を制し、体操のおにいさん役まで射止めて『静かに』?」
「まあ、彼はそういう資質というか。僕とは違って、本能的に日の当たるところが似合うのでしょう」
「しかし、その陰で君も、あちこち裏で派手に動いているようだが」
「それは……」
「そういう動きは、あちこちの組織を刺激する」
「そ、それで私が……?」
「それと、もうひとつ」
「もうひとつ?」
「君達の会話に出た『神子』という人物に、非常に興味が湧くのだが」
如月翡翠の眼が笑った。
09/10/25 UP