1 九郎 苦悩す
それはテレビを観ていた景時が、ふと漏らした一言が発端となった。
「いやぁ、それにしても『お台場』って、ほっ〜んっとに楽しかったねぇ」
その瞬間、有川家のリビングは静寂に包まれた。
正月4日も過ぎようとしていた。夕食後の何気ない団欒時。
キッチンの方では、譲と朔がいつものように、総勢11人分の食事の後片づけをしていた。
「オダイバ?」
静寂を破ったのは案の定、九郎の素朴な疑問であった。
「あ、バカ、黙ってろ、景」
九郎とほぼ同時に、ヒノエは景時の言葉を遮ろうとした。
ヒノエが言葉を止めたのは、左後方に何とも言いようのない気配を察したからだった。
「お台場、ですか。楽しかったですか? ヒノエ」
格別に優しい(と弁慶の真実を知らない人なら絶対思う)笑顔で、弁慶が呟いた。
「え、オレは……」
ヒノエはその瞬間、言いようのない悪寒を感じて、視線をそらした。
しかし、そらしたことがかえって後方の圧力に屈した形となってしまって、口惜しかった。
ヒノエの逡巡を、白龍が明るく奪い取って、
「神子と朔も、『おいしくて大好き』だと喜んでいた」
と無邪気に叫んだ。
「オダイバとは美味いものなのか?」
九郎の疑問は膨らむ。
「違いますよ、九郎。お台場は地名です」
弁慶は九郎に「お台場」を教えた。
弁慶の簡潔にして的確な説明を聞き入っていた九郎は、
それが終わると大きな溜息をひとつして、言った。
「……俺は、忙しかったから仕方ない、……忙しかったのだから……」
確かに九郎は、ここ数日せわしく動き回っていた。
八幡の迷宮が消滅し、五行の調和が成った今、白龍は力を取り戻しつつある。
いつあちらの世界に戻ることになるか分からないのだ。兵糧の研究を急いだ。
( 黄桃や白桃や、その他様々な食料を『缶』という鉄の器に詰めた保存食。
将臣が秘蔵していた、あの湯を注ぐだけで食べられる『カップ何とか』。
神子が時々作ってくれる、袋ごと湯煎する『れとると』とかいうもの。
これらを向こうに帰っても作れれば、数万人の兵糧を毎回、現地調達する苦労から多少は解放される。
兵站にも余裕が生まれる )
そう考え、敦盛に教えてもらった図書館に行き、書物を調べた……
のだが、調べ始めてすぐ、自分の手にはおえないことが分かった。
( 俺には無理だ! )
後悔した。
考えが甘かった。
読めば読むほど、自分と同じ国の言葉で説明しているとは思えない。
片仮名や数式や、ヒノエ達が言うところのエィビィ何とかの羅列だった。
( 神子の世界はすごい )
九郎は打ちのめされていた。
( 確かに管弦や和歌は苦手だ。
しかし学問は鞍馬でたたき込まれた。
御館の所でも怠ったことはない。
が、しかし
神子の世界では、俺の知識は何一つ通用しない…… )
図書館に通い始めて2日目には、早くも九郎は考えを断念した。
しかし、そこは源氏の総大将。
次善の策である。
( 作るのは無理でも、
こっちの世界から出来る限り持っていこう )
……が、かさばる。
だから九郎は、鎌倉や藤沢や大船、つまり九郎の知りうる限りのこの世界を歩き回った。
より荷造りしやすく、より美味い『缶詰』や『インスタント』、『フリーズドライ』といったものを調べ廻っていたのだ。
九郎の沈黙は、ヒノエを不安がらせた。
( まずいなぁ。
九郎はあっちの世界で、嵐山に行けなかった時も、根に持って1ヶ月近くウジウジと言い続けていたからなぁ…… )
遊びに関して、九郎は奇妙な虚勢を張る。
「俺も交ぜろ」と言えばいいものを、常に何か(ヒノエからすると些細なこと)に逡巡しては、
「源氏の総大将なのだから〜」「兄上の名代なのだから〜」「武士なのだから〜」等々、「何々だから〜」と、
自分の躊躇に言い訳をする。
将臣なら「『遊びたい』オーラ全開のくせに、ビビッてるんじゃねぇ」とでも言うに違いない。
この状況の打開策をヒノエは素早く考える。
この状況……この居間には九郎以外にもまだ、お台場行きを誘われなかった者が4人いるのだ。
特に左後方のフード野郎、こいつがこのままおとなしくしているだけとは、とても思えない。
こいつが何かを言い出す前に
「お台場からねェ」
ヒノエの考えを無にするように景時が続ける。
「大きな橋の方を眺めるとね、街中『イルミネーション』っていう灯りで夜なのに綺麗ェ〜に照らしていてねェ。
ほらぁ、クリスマス・イブに江ノ島で見た」
「あぁ、あれか。あれなら見たことがある」
と、さりげなさを装うことで、
九郎は お台場に行けなかったこと 神子達と行けなかったこと 神子 達 が誘ってくれなかったことのモヤモヤを、
何とか飲み込もうとした。
しかし、その九郎の努力も台無しにするように、景時がたたみかける。
「それがねぇ、九郎。違うんだよ」
「何が、違うのだ?」
「凄いんだよォ。
江ノ島の数百倍、数千倍、いや、数万倍でもきかないほどの『イルミネーション』で照らされた『夜景』っていうのが、
すっ〜〜〜っごく綺麗でね」
「数万倍!? また大げさな……」
九郎にはにわかには信じがたかった。
「本当なんだよ。
『望美の世界はこんなにも美しいのか』って、朔なんて思わず涙ぐんじゃっう位なんだ。
それにしても、あの『イルミネーション』っていうのが、みィんな『電気』っていうものを使って、
人の力で灯しているのかと思うと、オレ、もうなんていうか、そっちに感動ぉっていうか」
まくし立てる景時。
「数万倍」という言葉に、想像が追いつかず絶句する九郎。
(景時の馬鹿野郎! これはお前の自慢話か? これ以上、九郎を追いつめて何をしたいんだ?)
限界を感じたヒノエは
「あ、江ノ島といえば、昨日、朔ちゃんが」
無理矢理、らしくない言い方で話題を換えようとした、その努力も実らぬうちに、
「九郎も敦盛も一緒だったらよかったのに」
と、またしても白龍が無邪気に九郎をぶちのめす。
(このバカ龍! ホントにお前は龍神なのか?)
と、怒気も顕わに白龍を睨むヒノエであった。
その時、
「お台場、か。いいな……」
静かに、敦盛が言葉を発した。