2 ヒノエ 画策す
「お台場、か。いいな……」
静かに、敦盛が言葉を発した。
「え?」
不意を衝かれたように、ヒノエが敦盛の顔を見た。
二人の視線がぶつかる。
「お前は、オレが連れて行ってやる」
決然と、ヒノエが言い放った。
「あ……いや、人の多い所は……」
敦盛はうつむく。
リビングにいた全員が、
期待と不安の入り交じった顔でヒノエを見つめた。
その時
「お台場ぁ♪♪♪ 私も! 私も!
朔もきっと行きたがるはず
呼んでくる!」
白龍が嬉しさを押さえきれず、そう叫ぶと
リビングを飛び出していった。
「当然、私も連れて行ってくれるわよね。 ね ヒノエくん!?」
神子がにっこり笑う。
お願いしている、という笑顔ではない。
否定など、断固として許さない
そう、望美のオーラは訴えている。
「も、もちろんだよ。姫君」
引きつった顔でヒノエが答える。
「行くのはいいが、今、何時だ?……
うぅ〜ん、下手すりゃ、帰りは電車が無いぞ」
将臣が、頭の中で素早く時刻表を思い描いた。
( おいおい、『今』か?
『今』なのか?
今行くなんて、オレ、一言も言ってないんですけど。)
事態の急展開に、戸惑うヒノエ。
「いや、私は、行きたいというわけでは……」
「タクシーで行くのは?」
望美が無邪気にいった。
「いくらかかると思ってるんだ?
お前、払ってくれるか? それも11人だぞ!」
将臣が呆れた顔をしている。
「そっか〜」
「ここから鎌倉駅に行くのだって、タクシー、使ったことあるか?」
「……じゃぁ、ヘリは?」
「話の流れ、分かってるか?」
望美の後頭部を、新聞紙で叩きながら、
「それに、タクシーじゃ無ぇんだ。呼んだら来るのかよ」
(こいつが女でなけりゃ、とっくに殴ってる)
そう思う、還内府であった。
「やっぱり、そんなに高いんだ……」
「タクシーの10倍では済まないと思いますよ」
と弁慶はにっこり、言った。
「そっかぁ。じゃぁ、どうしようか。」
望美は素直に悩んだ。
今から行こうと、ヒノエは一言も言った覚えがない。
何でこうなる?
しかし、望美に約束してしまった。
望美は今だと思って、期待している。
姫君の期待を裏切る、
それは絶対許されない。
熊野の男として、
熊野別当として、
そして何より、ヒノエ自身のプライドとして。
まったく考えがない、でもない。
ただ、どう話をもっていったものか。
「ふっ」
ヒノエの様子を眺めて、弁慶が笑った。
「ヒノエ」
その声に、ヒノエは身構えた。
「何だよ」
よし、いつも通りの声だ。
心の動揺は声に出ていない。
落ち着け
平静を装って、
明るく振り向こうとした途端、
「君は、カワイイですね。」
「な!」
「ひとつ、いいことを教えてあげます。」
「あんまり、聞きたくないけど、
後学の為に聞いておいてやるよ。」
「素直ではないですね。
ま、いいでしょう。
何か企んでいる時の君は、必ず顎に手を持っていくんです。
気付いていましたか?」
甘美な笑顔のフード野郎の視線に、慌てて腕組みをして、相手を睨むヒノエであった。
「あんたこそ、悪い顔してるぜ。
何か良からぬことを考えているって。」
「『こそ』……『こそ』ですか。」
優しい笑顔で、しかし、弁慶は声をひそめて、
「語るに落ちていますよ。」
「え?」
「ふふふ、でも大丈夫ですよ、ヒノエ。
今のキミと僕は、たぶん同じ事を考えているはずですから。
運命共同体ですし」
(!? 運命共同体?)
事態が飲み込めないヒノエに、
弁慶は、このリビングにいる他の誰にも気付かれないようにこっそり、
両手を肩幅で前にそろえて出した。
車のハンドルでも握るように……。
「!……あんた」
と、何かを弁慶に言いかけようとした
その自分に、
(罠だ!)
という声が、最大音量で頭の中に鳴り響いた。
(そうだ、落ち着け。
この笑顔や、いかにも仲間然とした優しい語り口は
要注意だ!!
この笑顔に、この声に、
熊野にいる頃から
何度も何度も何度も何度も何度も何度も
煮え湯を飲まされて来たじゃないか)
「どうしました? ヒノエ」
「いや、別に。
それより『運命共同体』って何だぃ? お・じ・さ・ん」
リビングで弁慶とヒノエの静かな神経戦が始まった。
と、その時、
「お台場に行くって、本当ですか」
リビングの状況を知らない朔が、
まるで新婚さんのようにエプロンで手を拭きながら現れた。
「朔も、みんなとお台場、行くでしょ?」
と尋ねる望美の声に、
朔はお台場で生まれて初めて口にしたものの数々を、一瞬に脳内再生した。
手で持ったまま食べながら歩くという行為に戸惑いながらも、
甘く切なく思い出される「くれいぷ」。
醍醐と薬草をふんだんにあしらった「まるがりぃた」。
「かるぱっちぃ」という蛸と野菜の皿。
そして何と言っても忘れられないのが、
「ぱてしえおすすめのすいぃつばいきんぐ」という
幾つでも好きなだけ食べていい「けいき」や「ぱい」や「むぅす」や「しゅう」が
うずたかく置かれたあの一隅の光景。
尼僧としての慎みが雲散し、
罪悪感と法悦の、そのぎりぎりの狭間の、何とも言えない至福。
顔がほんのり上気してくるのが、朔自身も分かる。
「お台場……」
もう一度、朔はそう言うと、
急に決然とした表情で望美を見つめ
「ええ、勿論よ、望美。
急いで支度をしてくるわね」
そう言い放ち、小走りでキッチンに引き返していった。
「でも、どうやって行こうか。
ゴメンねェ、
何だかオレ、何か余計なこと、言っちゃったみたいだねぇ」
(当たり前だ、このバカ陰陽師!)
ちらりと横目で景時を見た時、何かがヒノエに閃いた。
「責任、 とってもらおうか。景時」
「ななな何、何? ヒノエくん?
嫌だなぁ、そ、そんなおっかない顔してェ」
「お前が、責任とって連れて行けよ」
「えぇ〜、タクシーのお金って、結構かかるって話でしょ」
「いや、タクシーは無しさ」
ヒノエはにっこりと笑った。
叔父さんそっくりの笑顔で。