帰らないの? 九郎さんルート・9月 12
〜 SASUGA特別編 ・ 12 〜
望美は何とか、ダブル・サーモンラダーの前半五段目にバトンを掛けた。
右手を握り直し、指の感覚を確認した。
左手を握り直し、同じ動作で指の感覚の確認を繰り返した。
(大丈夫、まだいける!)
ホッと溜息をつき、そして今度は大きく息を吸い込んだ。
ダブル・サーモンラダーの後半部分となる、向こう側を見つめ、その一番最初の六段目に飛び移るために、
態勢を立て直そうとした
その瞬間だった。
「此処がゆるむと、あちらまで揺れが伝わってしまう」
「ああ、そうか。さすがはリズ先生だ」
「だからかぁ、この先の板の振動が気になってたのは」
その時、何かのヴィジョンが頭の端をよぎった。
リズヴァーンはそれまでやっていたボルト締めの動作を止めて、自分の頭の端によぎったヴィジョンを思った
瞬間
(迂闊だった)
そう唇を噛みしめ立ち上がると、鉄骨の上を走りだした。
「え!? リズ先生、どちらへ?」
「走ったら危ない! 先生、鉄骨の上は滑りやすいですよ!」
リズヴァーンの耳にその声は届いていなかった。
(間に合わぬか)
人々の視界の死角に素早く入ると、鬼の跳躍んだ。
「いかん!」
そう叫んで、九郎は思わず手を差し出した。
しかし如何せん、放送ブースにいる九郎の差し出した手が望美に届く筈もなく
ガン!
と目の前のモニター画面を指先で力いっぱい突いただけだった。
指先の激痛も感じない程、九郎は慌てていた。
「な、何故だぁ!!」
九郎の叫びが虚しくこだました。
『SINOBI WARRIOR』のメンバーの派手なリアクションや、
SASUGAオールスターズの、そして観衆の歓声は、
挑戦者が挑戦虚しくリタイアする際の落胆の声や、落水する際のどことない滑稽さに対する失笑に変わる
はずだったのだが、
その歓声は落胆、緊張、そして驚愕へと一瞬のうちにめまぐるしく変わった。
ラダーから落下した挑戦者が着水するはずの地点、つまり真下には、プカプカと浮遊物があったのだ。
木の板なのか、発泡スチロール板なのか、観客席からは定かには分からない。
発泡スチロール板ならまだしも、木板であったとしたら……。
春日望美という華奢とも思える少女が意外な程の健闘をみせていたので、
誰もが彼女への声援と、その腕や指先、そして握ったバトンに注目していたため、
数m真下の水面には注意が払われていなかったのだ。
「先輩! 危ない!」
「チィ! 何だってこんな所に!」
駆け出す有川兄弟だったが、間に合わないのは明らかだった。
「ああ! 望美!」
朔は目を背けた。
しかし、派手な着水音も、あって欲しくは無いが、木板の上に人の落ちた嫌な音も聞こえず
ただ、観客の拍手と歓声が聞こえるだけだった。
「?」
朔が恐る恐る目を開けると、
なんとそこには
望美を抱きかかえて腰上まで水に浸かった平敦盛と、
その後ろで、これまた腰まで水に浸かりながら2mはあろうかという板を手にしたリズヴァーンの姿があった。
「これだからな」
「え?」
「お嬢ちゃんは、…え〜と、かじはらさんだっけ」
「朔です。梶原朔」
「そうか、朔ちゃんか。あんたらは、ホントに面白ぇな」
「あの?」
「あんたが『兄上』とか言ってた人もそうだが、
いったいどうやったら落っこってくる人間より速く、落っこちる場所に行けるんだ? しかも水ん中で」
「そ、それは……、日頃の鍛錬の賜物かと…」
「鍛錬ね……」
「み、神子…、怪我は……」
「はい、ありがとうございます。敦盛さんがキャッチしてくれたから、どこも」
「私は……特に……。リズ先生が、板を除けてくださったおかげだと」
「先生、ありがとうございます」
有川兄弟が駆け寄る。
「望美!」
「先輩、大丈夫ですか?」
「うん、敦盛さんとリズ先生のおかげで」
「い、いや……私など…」
「それはそうと、望美、そろそろ降りたらどうだ?」
「へ?」
「『へ?』じゃ無ぇだろう、いつまで敦盛にお姫さま抱っこしてもらってるつもりだ」
「い〜んだもんっ!」
「だから『い〜んだもん!』じゃ無ぇって」
「え〜、こんな機会めったにないんだから、まだいーじゃない」
「何が『まだいーじゃない』だよ! 敦盛も、いつまでもこんな奴抱えて無ぇで放り出しちまえよ」
「い、いや、それは……将臣殿」
「リズ先生も望美に何か言ってくれよ」
「……すまない」
「え?」
「……せ、先生…?」
「私は……、自分の甘さが、口惜しい」
「え? な、何を言うんですか、リズ先生」
「そうだぜ。現にこうして、望美が落っこちる前にそのボードを除けてくれたわけだし……。
って、やっぱ発泡スチロールか」
「だったら、先輩がその上に落っこちても、何ていう事も無かったはずだから、
どちらにしても、先生が気に病むようなことでは無いですよ」
「いや……、今回はたまたま、これが、その『なんとかすちろぉる』だっただけの事。
神子に危険が及ぶ可能性を、迂闊にも見落としていた私の失態だ……。すまぬ、神子……」
リズヴァーンは泥水から上がると
「まだ私も……、修業が足りぬ……」
そう言い残すと、何処へともなく去って行った。
「リズ先生……」
「って、そう言いながらも望美! 敦盛の首にしがみついて無ぇで、とっとと降りろ」
「いやだ〜〜〜!」
「敦盛を見ろ。顔、真っ赤じゃねぇか。お前、重いんだから、早く降りてやれよ」
「!! 誰が重いって?将臣君!」
望美は敦盛から飛び降りると、そのまま将臣めがけて胴回し蹴りを繰り出した。
しかし将臣はその場から飛び退き、
「……危っぶねぇじゃねぇかよ、望美! 当たり所悪ければ死ぬぞ、お前の蹴りは!」
「ちっ、よけられたか」
「ま、将臣殿、お気遣い痛み入る」
そんな望美達の傍らに、衣服と思しきモノを持ったADが1人立っていた。
「あの〜」
「あ、はい。何ですか?」
たった今、目の前の男に不発とは言え派手な胴回し蹴りを繰り出したとは思えない
明るく屈託の無い笑顔で、春日望美はADに尋ねた。
その豹変ぶりにADは多少たじろぎながらも
「こ、これを着換えにお使いくださいと衣装部のチーフが…」
見るとハンガーに掛かった衣装は、白いレースも麗しい、いかにものお嬢様仕様のドレスと
もう一着は、アニメの『不思議の国のアリス』のような衣装であった。
「白いレースのドレスはちょっと」
望美がそう言いかけると
「いいえ。素敵だわ、望美」
と朔が突然主張した。
「でも……。そうかな、朔」
「あ、すみません。あなた用にと渡されたのは、こっちのアリスの服でして」
「え? じゃぁ、こっちのは?」
「あちらの方に、と」
そうADが指し示す方を見ると、ちょうど泥水から上がってスニーカーを脱いでいた敦盛の姿が……
「敦盛殿にですか」
「敦盛さんか……。グッジョブ! さ、敦盛さん、着換えに行きましょう」
「え? み、神子…」
「ええ、そうね望美。さ、敦盛殿、早くしないと風邪を引いてしまいます」
「わ、分かった……」
わけも分からず、朔と望美に両腕を抱えられ、連れ去られる敦盛であった。
『譲が出場を辞退したのだから、順番からすれば次は敦盛の筈なのだが』
『でも敦盛君は朔と望美ちゃんに連れて行かれちゃったからね〜〜』
『待つのも時間の無駄になりそうだ。先に将臣、行けるか?』
「行けるか? 九郎、お前、誰に向かって言ってるんだ。俺はいつでも準備OKだぜ!」
『分かった。では、将臣、すたっとしてくれ』
「それを言うなら『スタート』だ! スターティング・ボードに行くまで待ってろ!」
「言ってくれるぜ」
船長・永野は隣に立つ武田に語りかけた。
「何がです? 永野さん」
「鍛錬の賜物だそうだ」
「ああ、彼女、梶原朔とか言ったあの娘の言葉ですね。それが何か?」
「お前なんてプロだから、それこそ訓練が生活だろう」
「SASUGAのプロじゃないですけどね。で?」
「俺だってトレーニングは怠っちゃぁいないつもりだ。
だけどよ、どうやったら5mの高さから落ちる人間を、5m程離れた所から移動して受け止められる?
しかも普通の地面だったらまだ何とか走り込めるかもしれないがな。泥水のプールのど真ん中だぜ」
「それは……」
「それを驚きもせず、『鍛錬の賜物』と宣ったんだ、彼女は。
知りたくないか? どんな鍛錬なのか」
「って言うより、鍛錬以前に、彼らが同じ人間なのかって思ってしまいますね」
「おいおい」
「い、いや、いかに神子の願いと言われても、それは聞き入れられない」
「お願いですから、敦盛さん」
「敦盛殿、せめてこのドレスだけでも」
「わ、私とて武門の子。断じて女性の出で立ちなどできない」
「え〜」
「おいおい、お前ら。まぁだ着換えもしねぇで、何もめてんだ?」
「あ、将臣君」
「敦盛殿が着換えて下さらないのです」
「着換えてって……、朔、いくらなんでも敦盛が嫌がるのも無理無ぇんじゃねぇか?」
「そんな」
「将臣殿、かたじけない」
「かと言っていつまでも濡れた服着てたら、それこそ本当に風邪引ぃちまうからな」
そう言って将臣は、自ら着ていたシャツを脱いで敦盛に渡し、
「ま、これでも羽織ってろ」
そう言ってスタート位置に駆けていった。
(助かった、これであの何やらやたらと白いピラピラしたものの付いたフワフワの服を着なくて済む)
そう安堵して、走り去る将臣に感謝する敦盛であった。
『さぁ〜! いよいよ有川将臣君の登場だよ〜〜』
11/01/12 UP