帰らないの? 九郎さんルート・9月 13
〜 SASUGA特別編 ・ 13 〜
(助かった、これであの何やらやたらと白いピラピラしたものの付いたフワフワの服を着なくて済む)
そう安堵して、走り去る将臣に感謝する敦盛であったのだが、
残念なことに、平敦盛は知らなかったのだ。
朔や望美が、決して将臣の諫言に従ったのではなかったという事実を。
「(こ、これは、これで良いんじゃない? ね、朔)」
「(ええ、望美。私もそう思うわ)」
「(ビックシャツをパジャマ代わりにする女の子って感じね)」
「(ああ、敦盛殿……)」
最近読み始めた女性誌やファッション雑誌の影響だろうか、朔は
(そのパジャマ代わりのシャツは、彼から「これでも着てろよ」と彼の部屋で渡されたものだったら……
その彼が将臣殿で、渡された彼女が敦盛殿……
これは『萌える』状況だわ
!
ああ……もし、もしも彼が譲殿で……渡されたのが……私だったなら…つ、罪深い考えだわ……、
でも、でも……
はっ!
譲殿は、あのようなザックリした白いシャツをお持ちなのだろうか。
あまり見たことがないけれど……
譲殿の普段のお召し物はV襟ばかりな気がする……、けれど、それはそれで……)
そう勝手に、自分が譲のV襟のシャツをダボッと着ている姿を想像すると、
朔は顔が真っ赤になるのが分かるのだった。
「あ、あの……、こ、この服装も……な、何やらまずい気がするのだが……気のせいなのだろうか」
「えぇ? 気のせいですよ、敦盛さん。ね、朔、……朔? どうしたの? 顔、真っ赤だよ」
「な、なんでもないわ、望美。
それよりも敦盛殿。せっかくの将臣殿の御好意なのですから、せめてその下の濡れたものを脱いで、
寒くないようにしてから、そのシャツを1番上にお召しにならないと
そのシャツも結局は濡らしてしまうことになります」
「このシャツは1番上でないとならないのだろうか……、い、いや。あ、ああ、そうだな」
「2度も兄上の着換えを手伝ったので分かりましたが、ここの更衣室には肌着の替えも用意してあります。
寒くないよう着替えをなさってから、そのシャツを1番上にお召しになってはいかがでしょう」
「わ、分かった。そうしよう」
『そのシャツを1番上に』というところだけ語尾が強いように感じられるのだが、
それは敢えて触れずに、更衣室に入っていく敦盛であった。
「あ! そっちは男性用ですが」
ドレスを衣装部のチーフから渡されたというADが追いかけてきて、慌てて声をかけた。
「え!?」
と敦盛が何か言う前に
「敦盛さんは立派な男性です!」
「敦盛殿は、立派な殿方です!」
そう望美と朔が同時に叫んだ。
「神子、朔殿、すまない」
そう言って敦盛はドアを閉めた。
しかし、その発した言葉とは裏腹に、着換え室の中に敦盛が消えた瞬間、朔と望美は
「キャ〜」
といって手をとりあって喜んだのだった。
ADは、といえば
「まじっすか?」
と呆然とその様子を見つめるしかなかった。
「兄さん!」
「お? どうしたんだ、譲」
「これ、九郎さんから兄さんに渡してくれって」
そう言って手渡されたのは地下足袋だった。
「へえ、これはこれは」
『将臣、使ってくれ』
場内のモニタースピカーから九郎の声が聞こえる。
「九郎、ありがたく、と言いたいところだがな、こいつは使えないぜ」
『何故だ? 遠慮など』
「そうじゃない。俺とお前じゃ、足のサイズが若干だが違うんでな」
『脚の最津? 最津とはなんだ、将臣』
「まあ、気持ちだけは有り難く受け取っとくぜ」
そう言いながら将臣は、九郎が渡したものと似たような地下足袋を取りだした。
『それは!?』
「さっき弁慶が置いていったんだ。まあ、望美は使わなかったがな。
どこから仕入れてきたのか、御丁寧に俺達全員分のサイズがそろってるぜ。
お前んところの軍師さんは実に用意がいいんだか、確信犯なんだか、恐れ入る」
『弁慶が?』
「ああ、緑丘に来たら、俺や望美がこんな事を言い出すのなんてのは、はなっから分かってたみたいだぜ。
それとも……」
将臣は靴と靴下を脱ぎ、慣れない手つきながら地下足袋に履き替えた。
「どっちかと言えば、どうも巧く乗せられたようだぜ。
ったく、他人の敷いたレールの上を走らされるのは気に入らねぇんだがな」
そう言いながら、何度かその場で跳ねて地下足袋の履き心地を確認しながら
「気に入らねぇが、ま、ここまで来たら最後まで突っ走ってやろうじゃねぇか」
将臣はゆっくりとスタート場所に上がった。
「さてと、弁慶。この後の展開ははたしてお前の読み通りにいくのかな?
って言うか、世の中ぁお前の思い描いた筋書き通りにはいかないって事を、この俺が思い知らせてやるぜ」
そう言い終わると、将臣はウォールリフティングの先にあるであろう、赤いボタンを思った。
「聞きたい事があるんだけど、ちょっといいか?」
船長・永野が珍しく真顔で、武田に話しかけた。
「何です?」
永野はそれに答えず、目で客席の隅を指した。
「え? ここじゃなく、ですか?」
そして階段を上っていく永野と武田の後を、何となく雰囲気を察したのか山元も付いてきた。
最上段の隅に腰を掛けると、少し遠くなったが、ダブル・サーモンラダーの最上段とほぼ同じ高さだった。
「あの高さってどのくらいだ?」
話の流れから言って「あの」とは先程の春日望美という女の子が落下した、ラダーの5段目の事だろう
そう武田は察して
「身長の2倍ちょっとですからね……、水面まで3〜4mってところじゃないんですか。
それが何なんです?」
「もう一つ」
「はい」
「その高さから落ちてきた、体重40〜50kgの人間を怪我させずにキャッチすることって、出来るか?」
「そうですね……」
武田はちょっとだけ考える仕草をしてから答えた。
「やったことはないですけど」
「無い、のか?」
「ええ。レスキューでは、人の身体を素手でキャッチすること自体、避けるように指導してます。
どちらにも、リスクが高いからです」
「どちらにも」
「ええ、受け止める側にとっても、受け止められる側にとっても」
「落っこちてくる方は、キャッチをミスられたら、そりゃあ怪我するもんな」
「巧く落下の衝撃を散らさないと地面か人の腕かの違いはあっても、
落ちてくる側の身体が受ける衝撃そのものは変わらないですからね」
「人の腕や身体の方が、かえって地面より硬いってこともあるわけだしな」
「受け止める方だって腕が無事とは限りませんからね。だから、万々が一そういう状況に」
「なったら?」
永野は身を乗り出した。
「う〜ん、無理でしょうね。僕ならクッションに出来そうなモノを探しますね」
「……やっぱりそうだよなぁ」
そう言うものの、永野はあからさまにガッカリした。
「僕の知っている限りでは、昔、火災現場で2階から飛び降りた女性をキャッチしようとした隊員がいました」
「で」
「結局は、腕の骨を折りました。女性も足をくじいて。ま、くじいたくらいで済んでよかったんですけどね」
「なるほど、ね」
「大雑把な計算ですが、キャッチする瞬間、まぁ今回で言えばあの子の腕に直接彼女が落ちて来たとすると、
その時の衝撃は100kgは軽く超えるでしょうね。へたすりゃ200kgも超えるかな。
物理、苦手なんで正確なところは分かりませんが」
「200kg!」
「落下に関わる衝撃力を仕事と考えて、
F=mghですから、『m』が彼女の体重、『g』が重力加速度9.8、で『h』の高さが4mとして」
「山元、何やってる?」
「え? 衝撃力の計算ですよ。で、この式を解くと……、あれ? 1660?? あれ〜」
「分かった分かった」
「何が分かったんです」
「俺達全員、物理はからっきしダメだってことがな」
「ははは、……黙ってまぁす」
「衝撃緩和、え〜と、こう、落ちてくる卵をキャッチする時みたいに、こんなふうにして」
と武田は両腕で、落ちてくる女性を、巧く衝撃を和らげるようにキャッチする身振りをしてみせた。
「落ちてくる衝撃力を逃がしてやるにしても、無理でしょうね」
「100ないし200kgか、または1.6tの衝撃だからな」
「あははは…」
「やっぱり、か」
「やっぱりって?」
「あいつだよ」
と永野は、遠離る敦盛を指し示し
「レスキューのポスターにまでなったお前が『無理でしょうね』って事を、
あんな華奢な身体でやすやすとやっちまったんだぜ。
あいつがよ、あのひよっこい白っちい腕で、ベンプレ200上げられると思うか?」
「っていうより、オールスターズの誰1人として200kgを持ち上げるのって無理でしょう」
「でも、今、俺達はそれを目の当たりにしたんじゃないのか?」
「あの……」
脇に立っていた山元が気まずそうに話に加わってきた。
「山元、何だ?」
「あの子、跳んできたように見えたんですよ」
「跳んで……?」
「有り得ないって思ったんですよ。目の錯覚だと」
「どういう事だ?」
「彼女を下で受け止めたっていうより、途中から彼女を抱えていたように見えたんで」
「途中から?」
「ええ、一瞬だったし、はっきりと見たとは……。でも、確か、着水の前に」
「それで、落ちる時の衝撃を逃がしたのか」
「それも無理でしょうね。彼女を抱えて落ちるのなら、2人分の重量と衝撃を今度は両足で受ける事になる」
「そうだよな」
「簡単に言えば、…ブロック塀の上から50kgの魚を担いで飛び降りる事を想像して見て下さい。
まぁ、泥水の水圧が抵抗になって、若干は衝撃が緩和するかもしれないけど……」
「しかも抱えているのは、釣った魚なんかじゃなくて、華奢な女の子とはいえ……。
ま、キャッチした方も華奢だしなぁ」
「なんとかなりそうなような、無理なような、……すっげぇ微妙な感じ」
「万に1つ、出来たとしても、疑問が2つ残ります」
「ああ、1つは何で足が泥水の下の泥にめり込まなかったのかってことだろう」
「ええ。さすが永野さん。気付いてたんですね」
「ああ。ま、それだけあの泥水ん中を歩いた経験が多いってことだから、自慢にはならねぇけどな」
「で、もう1つは?」
「山元、君が言ったんだぜ」
「あ、そうか。どこから彼女に跳びついたのか……」
「そういうこと、ですよね。永野さん」
「脇からにしてもスライダードロップが邪魔になるからなぁ。向こう岸からじゃぁ10m近く離れてるし」
「上の鉄骨からってのも考えられるけど、高さが10mでは、きかないだろうからね。
それこそ衝撃がkg単位じゃ済まなくなる」
「なのに、普通に歩いてるぜ」
立ち去る敦盛の後ろ姿を指さして、永野が笑った。
「足も腕も腰も、どこも怪我して無さそうですよね」
「泥水に足はめりこまない、キャッチしたにしても、跳びついたにしても、
どっちにしても人間技じゃ考えられ無ぇって事だけは、確かだな」
「ええ……」
「あんな白のシャツなんか着てると、まるで彼氏のところにお泊まりした翌朝みたいに見えるのにな」
「ええ…」
「男……なんだよな」
「ええ……」
「……たぶん」
と3人は、遠離る敦盛の後ろ姿を見つめて、深く溜息をつくのであった。
「さ、さあ、いよいよ将臣君のスターT」
そう景時が叫ぼうとした瞬間、
コンコン
景時と九郎のいるアナウンスブースの扉がノックされたのだった。
「はいは〜い、誰かな〜?」
「か、景時! 将臣が『すたっと』してしまったぞ!」
「でも、九郎、誰かがノックしてるんだからさ〜」
景時がドアの内鍵を外すと
「きゃ〜、九郎さぁ〜ん」
「ちわぅっす!」
と入ってきたのはタオ・ピンクこと星野亜紀とタオ・ブルー役の藤森敦彦だった。
「亜紀、九郎さんが心配で来ちゃいましたぁ」
「もう、九郎さん。口べたにしてもどんだけ〜っすよ。見ちゃいらんないっす」
「そ、それは藤森、お前みたいに喋るのが商売ではないのだから、だな……すまん、恩に着る」
「ってぇことで、男・藤森、九郎すわぁんのMC、助っ人するでありまぁす」
「亜紀も頑張りまぁす」
「いやぁ〜、助かったね〜、九郎」
「どうしてどうすぃて、お兄すわぁんはなかなか、いい線いってましたよぉ」
「うんうん、声いいよね〜。お兄様の声、亜紀、好き」
「そうそう、お兄すわんの声、カコうぃいねぇ」
「あ、そう? そう〜! あはは〜」
「で、将臣はどうなっている? 景時」
「あ、そうだった〜!」
その将臣は早くもダブルサーモンラダーの下に到着していたのだった。
11/05/05 UP