帰らないの? 九郎さんルート・9月 8
〜 SASUGA特別編 ・ 8 〜
(食べなくて……、いや、飲み込まなくて良かった……)
藤原慶二という、この目の前の男が何を考えているのかは皆目見当もつかないが、
ディレクターはとっさに2つのことを理解した。
自分の危機回避能力を信じて良かった、ということと、
この緑丘で起こっている一連のトラブルの一端は、彼を起因としているに違いないという確信、だった。
寝たふりをして目の前のミキサー卓に突っ伏した、その瞬間に、
現在録画状態にあることを示すパイロットランプを隠し、録画をしていることを目の前の男に悟られないようにし、
更には録画スイッチの上に覆い被さって死守できたのは上出来だった。
その上で、藤原慶二の様子を気配だけで追いかけた。
「ええ、おかげさまで。僕は以前からこういう薬には多少の耐性がついていますから」
(薬……!?)
ディレクターは背筋に冷たい汗が流れる。
彼はカチャカチャとあちこちのスイッチをoffしているらしかった。
ガチン
あの重そうなスイッチ音はリモコンカメラの遠隔操作盤の電源をoffした音だろう。
ピッピッ
音のする位置からして、副調整室やTBB赤坂本局、砧のメディアパークへのバックアップ回線を遮断したらしい。
(緑丘の野外カメラを潰して、職員に一服盛って眠らせて、バックアップ回線まで遮断して、
そんなにまでして、いったい何をこの男はしようとしているのか?)
もはや悪戯とか冗談では済まない。
(放送局ジャック? 何かのテロ? しかし、だったら赤坂本局の報道センターだろう。
こんな緑丘の貸しスタジオ。これを放送局ジャックとするなら、かなりのバカだ……)
しかし彼の様子から犯罪の匂いはまったく感じられない。
(では、何が目的で??)
ディレクターは俄然、この金の髪の男に興味が湧くのを感じた。
「まあ、こんなところですか。やれやれ、こういう機械はあまり得意ではないのですけど。
まったく、あの子たちにも困ったものですが、それをこっそり盗み撮りされるのも……。
ハァ……ま、こんなお遊びをお願いした僕も、まだまだ甘いですね」
(録画がばれてる……。
それ以上にこの男は野外カメラを潰して、職員に一服盛って眠らせて、バックアップ回線まで遮断して、
ただ単に『あの子たち』の姿の盗み撮りを阻止するだけ?
『あの子たち』って何者なんだ??)
ディレクターはこれまでのモニター画面に映った5人の『あの子たち』を思い出していた。
去っていく足音。
扉の閉まる音。
……
「……おい」
「……」
「おい」
「……」
ディレクターは起きあがり、パイロットランプがまだ点灯していることを確認してから、隣のADを揺り起こした。
「おい!」
「……はぁ……」
(ダメだ、ADはもう使いものにならない……。
どんな薬を盛ったか知らないが、副作用とか、大丈夫なんだろうな?)
隣で気持ち良さそうに立てる寝息を聞きながら、
赤坂ジャンボハットへの回線だけでも復旧させるべきかどうか悩むディレクターであった。
スタート地点では、将臣が準備運動として軽く屈伸運動をしていた。
その姿をモニター画面で見ていた九郎が、何故かワクワクした声で言った。
「次は将臣の番だな」
「そうだね〜、将臣君〜〜、頑張ってね〜〜」
のんびりと景時はモニター内の将臣に手を振った。
「さあ、将臣! 三、二、一!」
「スター〜〜トだよ〜!」
勢いよく将臣が飛び出した。
第1ステージのゴール櫓の上では、ヒノエが敦盛と話していた。
「さて、将臣がどんなパフォーマンスを見せてくれるか、楽しみだね」
「ああ、そうだな」
「ここまで辿り着いてくれるんだろうね」
「将臣殿なら問題ないと思う」
「へぇ……ま、お前がそういうのなら、ホンの数分だからね。ここで待つとするかい?」
「いや、ヒノエは将臣殿の次に出走のはず。ここにいては出走に間に合わなくなるのではないだろうか?」
「そうだったね。じゃあ敦盛、櫓から降りるよ」
言い終わるや否や、ヒノエと敦盛は降下用の鉄パイプに飛びついた。
「おいおい、今度は体格のいいアンチャンか」
「かなり身長もありますね」
「田山さんと城鳥を除くと、俺達、あんまり身長は無いからな。羨ましいぜ」
「でも永野さん、その分、体重も増えるはずですよ」
「重いのはSASUGAでは辛いな」
「九郎ンところの連中だからな、侮れないんじゃね?」
「くっそ! こんなことなら望美の誘いを断るんじゃなかったぜ!」
そうボヤキながら将臣はローリング丸太にしがみつく。
遠心力でどこだか分からない遠くにぶん投げられそうだったが、
伊達に異世界で1mを越えようかという大太刀をブン回してきた訳ではなかった。
腕力と握力、それに脚力とで強引に身体を丸太に押しつけている。
ガクンッと、丸太の回転が止まる。
将臣は急いで飛び降りると、クォーターブリッジ目指して駆け出した。
「おいおい、眼ぇ回ってねぇのかよ、こいつ」
「平然と走り出しましたね」
「三半規管、強いみたいですね」
「それに握力も、な」
「さすが将臣だ。今までのところは難なくこなしているではないか!」
「そうだね〜。さあ、クォーターブリッジからジャンプハングだよ〜〜!」
「そこだ!! 跳べぇ!!!」
「あぁ! バランスが!」
「景時、大丈夫だ! 将臣はしっかりと綱を掴んだ!」
「あぁ、もう! ドキドキするね〜〜」
「そこで着地、あ! 遅い!」
「でもでも慌ててはいないみたいだね〜。戻ってくるところの間合いを測ってるからね〜〜」
「しかし時間が! 将臣、急げ!」
「分かってんだよ、オレだって! 九郎! こっちはビギナーなんだからな!」
「か、景時、……『びぎなぁ』とは何だ??」
「さ、さぁ……??」
「足の遅さを、筋力の強さでカバーしてるって感じ、ですかね」
「カバーできるだけの筋力って奴も凄ぇけどな」
「高校生か大学生だろうけど、どんなスポーツやってるんだろう?」
「さぁな。結構、何にもやってなかったりして」
「そりゃぁ、ないでしょう。あの筋力を維持するのって、かなり筋トレしないと……」
「『そり立つ壁』だ! 将臣! 『そり立つ壁』だ!」
「うるせぇよ、九郎! スピーカー通して叫かなくても見えてるって!」
「す、すまん……あ、そこだ! 駆け下りろ!」
「将臣君〜〜!」
「そこで踏み切れ!」
「跳んで〜〜!」
「掴めぇ!!」
「ああ!」
「惜し〜〜! もう一度ぉ〜〜!」
「まったく、どいつもこいつも、よくこんなバカ高い壁、よじ登れたもんだぜ!」
『そり立つ壁』の一番手前まで戻って、将臣は呼吸を整えた。
その時だった。
「将臣君!」
「将臣殿!」
「兄さん!」
「やれやれ、やっと応援団の御到着かよ」
「暢気なこと言ってないで、とっととこの壁、登りなさいよ!」
「うるせぇな望美! 言われなくても!」
そう言うと、将臣は勢いよく駆け下りた。
「いけぇ!」
「そこです!」
「そこだ!」
3人同時に蹴り上げるタイミングを叫んだ。
将臣の身体が精一杯のジャンプをし、リーチの限界まで腕を伸ばした。
『そり立つ壁』の頂上に右手の指が2本かかる。
「ラッキー! これで! よっと!!」
言いながら、辛うじてかかった右手の人差し指と中指で懸垂して身体を持ち上げ
その勢いで左腕を急いで上にかけ、ほぼ同時に右足の踵が頂によじ登った。
「やったぁ〜〜、やったよ〜〜!」
「さすが将臣だ」
「今までとは違ったタイプだな」
「ロッククライマー並の筋力ですね」
「台湾のリュー・ミンツゥみたいな?」
「あいつより重そうだけどな」
「そう言えばリューは?」
「海外組も帰らずに見てるみたいですよ。ほら、あそこ」
と山元が観客席に座っている集団を指さす。
そこにはアメリカ版SASUGAである『SINOBI WARRIOR』の代表者3人とその家族友人達の楽しそうな姿と
1人離れてじっと将臣の様子を見つめる台湾のプロ・ロッククライマー、リュー・ミンツゥの姿があった。
「一般客はすっかり帰った後だってぇのに、観客席、盛り上がってるじゃねぇか」
「好きなんでしょうね、彼ら」
「ま、有給休暇取ってまで、こんな夜中にオンエアもされないSASUGA見てるんだ。
お前らだっておんなじだろ」
「ですね」
「あと35秒だ、兄さん!」
「急いで! 将臣君!」
「分かってるぜ! 充分にな」
そういって将臣はターザンロープを掴むと、勢いよく蹴って対岸の縄橋子を目指した。
第1ステージ最終関門・ロープクライム
「将臣、よし! 上段の縄を掴んだぞ!」
「あああああ、でもでも九郎、時間時間時間」
「急げ! 将臣!」
「あと2段だよ! 将臣君!」
「遅い! 兄さん」
「ダメよ、見ていられないわ。将臣殿は縄梯子を登ることに慣れておられないのだわ」
「朔、将臣君を信じて!」
「の、望美…」
「だから将臣君! あと20秒だからね! 間に合わなかったらペナルティだよ!」
「夕飯も抜きだからな!」
「おいおい! どんな応援だ!」
「声援じゃないからね! 命令だよ!」
「あと15秒」
「OKOK、やれやれ」
「ああ、あと1段だわ」
「あと10秒!」
「の、登りきったぞ!」
「将臣君〜〜、急いで〜! あと5秒〜〜!」
「将臣! 飛び込め!」
「将臣君〜飛び込むんだよ〜!」
「将臣君、飛び込め〜!」
「将臣殿、飛び込んで!」
「兄さん、跳べぇ!」
赤いボタンを押す
一瞬の静寂
そして、歓喜のスチーム
「やったぞ! 将臣!」
「よかったよ〜〜」
「やったぁ!」
「よかった……」
「冷や冷やさせるなよ、兄さん!」
そんな歓声の中
「アハハ……マジ、ヤバかったぜ。! アテテテ、膝すりむいちまった。ま、結果オーライ、OKOK」
「まったく。何が『OKOK』なんだ、兄さん」
「あはは、将臣君らしいんじゃない」
「時間は? 朔、残り時間、分かるか?」
「ええ、『2秒87』と」
「そうか譲君、眼鏡掛けてないんだもんね」
「何となくは見えるんですけど、はっきり見えないのが嫌ですね」
「なんだよ、お前ら! あんな切羽詰まった声で『飛び込め!』とか叫ぶから
もっとギリギリなのかと思ったじゃねぇか!」
「でも、『ごおる』は成ったわけですから」
「そうそう、素直に喜ぼうよ」
「まったく、膝と肘、擦りむいちまったぜ!
お前らの言うことを真に受けたオレがバカだった。ったく」
そう言いながらも嬉しそうな将臣であった。
「リズバーンさん、ここはどうでしょう」
「うむ」
トントンとリズヴァーンは言われた箇所を木槌で叩く。
「此処は大丈夫だが、この近くにやはりこれと同じ物が緩んでいるようだ」
作業員達はリズヴァーンの示した物を食い入るように見詰めた。
「ナット……」
「どうして分かるのです」
「音の響きに、残響音が混じっている」
「それだけで…」
「凄い」
「あの」
「……?」
「『先生』…。『先生』とお呼びしてよろしいでしょうか?」
「何故?」
「先生の修理技術、是非とも我々にお教えください」
「私の技術……、素人の経験則に過ぎぬが……。
それが皆の役に立つのなら……私にとっても喜ばしい限りだ」
「ありがとうございます!」
「先生!」
「リズ先生!」
ノックの音がする。
突然、調整室からのラインがカットされ、モニターも音声も電話回線すら遮断された副調整室で
1人復旧に努めていたADが、何事かとドアノブを回すと、
そこには銀のトレーを恭しく捧げ持ち、穏やかな笑みを浮かべる藤原慶二、弁慶の姿があった。
「失礼します。ああ、お一人ですか? 御苦労様です。
だいぶ冷えてきましたから、こんな物でもお腹に入れてもらえると、少しは違うかと思いまして」
10/06/04 UP