この話は、当サイトに連載中の「帰らないの?」シリーズ、九郎さんルートの7月頃の設定です。








瑠璃稲妻にあと少し  前編











7月。



昨夜22時からという予定の打ち合わせは、先方のディレクターとスポンサーの都合で2度、時間が押され

27時から、という芸能界独得の表現時間で開始され、3時間ほどかかって、やっと先程終わった。



軽く溜息をついてエレベーターを下り、受付で入館証を返却し、歩き出すと間もなく後ろから声が掛かった。



   「藤原さん!」



テレビ旭の正面玄関で呼び止められ、弁慶・藤原慶二は振り返る。

声をかけて小走りに寄ってくるのは、タオレンジャーの番組ADの一人だった。



   「はい? お早うございます」



   「お帰りのところ、お呼び止めして申し訳ありません」



『お呼び止め』なる日本語があるのだろうか。

ふとそんな事を考えながら、弁慶はADに営業用笑顔を向けた。



   「いえ、お気になさらないでください。それより御用件は何でしょうか?」



   「あの、九郎さんと今日、お会いになりますか?」



   「え? 九郎にですか…」



   「はい」



   「残念ですが、今日は特に会う予定は」



   「そうですか……」



   「何か?」



   「いや、もしお会いになるのなら、伝言をお願いしようと思いまして」



   「伝言……」


   「実は、明後日のリハ、入りの時間が2時間早くなったもんで」



   「それなら、九郎の携帯に」


   「それが、一昨日おとといから何度もかけてるんですが、いつも『留守電』になってしまって」



   「え!? ……そう…ですか、変ですね。では僕の方から連絡しておきますので」



   「助かります。スタジオは変わりませんので。時間だけ」



   「マネージャーですからね。責任を持って、九郎を時間までに来させますので」



   「じゃ、よろしくお願いします」



来た時同様、小走りに去って行くADの後ろ姿を見ながら、右手は、九郎への短縮ダイヤルを押していた。



   《Ag留守番サービスに接続します。ピィという合図が…》



   (変ですね。充電だけは怠らないように言ってあるはずなのですが…)











暫く忘れていた。



狼狽える自分、というものを。









あれから1時間、サラリーマンの姿はまだまばらなファーストフードで朝食を取りながら、

九郎の携帯に何度も連絡してみたのだが、必ず留守番サービスになってしまう。



珈琲を飲みながら、考える。



   (携帯本体の留守電ではなく、Ag留守電サービスに接続されてしまうということは

    九郎の携帯が電波の届かないところにあるか、電源が切れているか……

    こんな長い間………?

    さっきのADは一昨日から何度も、そう言っていた…

    電波の届かないところに携帯があり続けるとは思えない。

    ということは、九郎の携帯は電源が切れている。

    自分でOFFするとは、考えられない。

    充電を怠る事も考えづらい。

    とすると考えられるのは、充電できない状態に九郎が3日程ある、ということ。



    うっかりしていました。僕としたことが…)





妙な胸騒ぎがする。

嫌な予感、と言ってもいい。





午後、一つあった用事をキャンセルし、直接、九郎の下宿先に行ってみることにした。



レジの女性に笑顔を振りまきながら支払いを済ませ、しっかり領収書も貰い

「また御来店ください」と心の底からいう彼女に、

芸能プロダクション・マネージャーの肩書きの自身の名刺を渡し、

「興味があったら御電話くださいね」と、とどめの笑顔を添えて言いながらも

頭の中ではまったく別の事を考えていた。

ずっと…



3日、わずか3日、九郎に会っていなかっただけなのに…



後悔



苛立ち



心配







六本木から地下鉄に乗り、霞ヶ関で乗り換えて、本郷三丁目へ。

この駅から歩いて4〜5分の所に、今年の春、例の『SASUGA』の賞金で借りた九郎のアパートがある。



木造2階建て・6畳に2畳程の小さなキッチンとトイレ・風呂がついている。



   「押入が1間半あるのだ。その上の段に寝ている。『べっと』と言うのだろう」



と言う九郎に対し、

どうしたらそんなに自慢そうな顔ができるのか弁慶には分からなかった。





初めてそのアパートに行った時は半分目眩がしたのを、弁慶は今でも覚えている。

陽当たりはいいのだが、「築100年」と言われても驚かないような外見。

壁に寄りかかっただけで、家そのものが傾いてしまうのではないかと思われる程だ。



   「もう少し、ましな物件はいくらでもあるでしょう……」



確かに、畳表は新しくしてあるが、キッチンもトイレも風呂桶も

お世辞にも綺麗とはいえなかった。



しかし、弁慶は辛うじて飲み込んだのだった


異世界むこうでは、物心ついてからずっと居候暮らしだった九郎が

初めて、誰にも気兼ねすることなく

自分の稼いだ金で、自分の部屋を手に入れたのだ


そう思って、言葉を。











その九郎の部屋が、無かったのだ。



正確には、物件としての部屋は存在している。

しかしあの時嬉しそうに貼った「源九郎」の表札は無かった。





   「え? 源……ああ、あの髪の毛のやったら長げぇ兄ちゃんか」



   「ええ、その兄ちゃんの九郎は、何処に出掛けたか御存知ですか?」



   「出掛けたっちゅうか、出てったぜ」



   「はい!?」



   「何だか、一昨日の夕方一騒動あってな」



   「一騒動?」



   「ああ、詳しくは分からねぇけどよ、下の階の奴が怒鳴ってたぜ」







   「え? 一昨日。ああ、上の階が水漏れさせてね」



   「水漏れ…ですか」



   「結構な量だったよ。なんでも風呂の水を溢れさせたって話だったけど」



   「風呂……、それで下の階に水漏れしたんですか」



   「ああ。それだけだったら笑い話なんだけどね」



   「まだ、…何か?」



   「真下に漏れれば、ウチも風呂場なんだけどさ。

    運悪く、居間の方に漏ってきてね。

    最悪なのは、僕のPCと複合プリンターとテレビとビデオデッキが」



   「水浸しに…」



   「そういうこと」



   「それは災難でしたね。

    で、どうなりました」



   「上の階の人がさ、済まなかったって言って、新しく買ってくれたんだ」



   「九郎が…。そうですか」



   「あの……、あなたは彼の知りあい?」



   「え? ええ、そうですよ」



   「じゃあさ、一つ頼まれてくれない?」



   「はい?」



   「PCとプリンターはさ、無いと僕も困るから、ありがたく貰っちゃったんだけど

    テレビとビデオデッキは濡れたけどさ、何とか復旧できたから、

    買って貰ったのは返品したんだよ」



   「そうですか」



   「で、丁度良いからさ」



といったん奥に引っ込んで、封筒を手に戻ってきた



   「これ、彼に渡してくんないかな?」



   「これは……?」



   「返品して払い戻したお金。僕が使うのって、気が引けるって言うか……、何か違うじゃない」



   「いいのですか?」



   「って言うか、こっちこそお願いできます?」



   「はい、では確かに。そのお心遣い、九郎も喜ぶと思いますよ」







   「彼、ね〜〜」



   「どこに行ったか、御存知ないでしょうか?」



   「う〜〜〜ん、……」



   「何かヒントになるような事でも」



   「う〜〜〜ん、申し訳ないけどね。なにせ2月ふたつきも居なかったからね〜〜」



   「そうですか…」



   「出て行かなくても良かったんだよ」



   「はい?」



   「彼が水を溢れさせたのは確かだけど、下の階に漏れるのは、

    このアパート自体がボロだからで、彼のせいじゃないって。

    大家が言うのもなんだけどね〜〜」



   「ま、そう言われれば…」



   「いっつも、やたらとテンション高い兄ちゃんだったけど

    責任取るって言い張った時もね〜〜、やたらとテンション高くて、

    誰も止められなかったね〜〜」



   「分かるような気がします…」



   「今度会ったら言っといてよ〜〜」



   「はい」



   「いつでも戻っておいでってね〜〜

    ボロアパートだから、空き部屋なんていつでもあるしさ〜〜

    彼が入るなら、家賃滞納してる奴叩き出してでも、部屋ぁ空けるからってさ〜〜」



   「ありがとうございます。そう言っていただけるだけで、九郎も喜ぶでしょうね」



そうは言うものの、もう一人暮らしをさせようなどとは思えなくなっている弁慶であった。







   「九郎〜? ここ1週間はdragon noirうちの店には来てないね〜〜♪

    どうかしたのかな〜〜? ……」





   「九郎さんですか? いえ……。すみません、期末試験中なもので忙しくて。

    そう言えば今週は、一度も会ってませんね。どうかしたんですか? ……」





   「へ〜〜、あんたが九郎の居場所を掴み損ねるなんて、珍しいじゃん。

    いったい何があったんだい?

    話によっては手を貸してやってもいいぜ、おっさん♪ ……」





   「九郎?? 悪ぃ、ここ何日かは、こっちも模試だのなんだのと野暮用ばかりでな。

    ラッキーなことに、連絡すら無ぇし…。で? 何かあったのか。 ……」





   「九郎……? いや。

    5日前に『メール』という文で、いよいよ『ロケション』という仕事が始まるとあったが。

    それ以降は。

    連絡が無いのは、仕事が忙しくなったからだと、喜ばしく思っていたのだが。 ……」





   「く、九郎殿…ですか? いえ、私はいっこうに存じ上げてはおりません。

    弁慶殿のお役に立てなくて、申し訳ありません……いえ。

    あ、あの……、九郎殿に何かあったのですか? ……」





   「九郎さんですか? え〜〜〜!!? アパート出ちゃったんですか?

    う〜〜ん、その近くでサバイバルなホームレスしてませんか?

    なんたって、リズ先生の愛弟子だから。

    探しに行きたいけど、私、学校があるから……ごめんなさい

    弁慶さん、絶対近くに居ますよ。探し出してあげてください。お願いします」



思考回路の近いせいしんてきふたごの望美さんの言葉には説得力が感じられますね。

それとも、これが龍神の神子と八葉の絆なのでしょうか。



では、望美さんの言葉を信じて、近くを探してみましょうか…。



九郎のことですからね

ホテルに泊まる事を考えつけるとも思えませんし。



その上、いくらSASUGAの賞金が200万円あったとしても

アパートの賃貸契約と2月分の生活費…、それに階下の方に弁償した代金を加えると

もうほとんど残金は無いはずですし。



仕事があるから、そんなに遠くに行くとも思えませんし、

かと言って土地勘の無いところに行くでしょうかね……

本郷近辺で、雨露がしのげる所……ですか。







弁慶は、記憶を頼りに思い当たるところを一晩、探し回った。



   『景時が出す珈琲に似た味の、愛想のない店主がやっている喫茶店』


   『近くの「すうぱあ」という何でも売っている店の隣の、米が美味い定食屋』


それから


   『ジャンジャンジャラジャラと扉が開くたびにうるさくてかなわない「ぱちんこ」とか言う店の

    真向かいにある牛丼のチェーン店』


   『鄙びた小さな祠の脇の蕎麦屋』


それから、それから……




   「ああ九郎、僕は君の普段の生活を、こんなにも分からなくなっていたのですね…」











   (九郎は結界張れるワケじゃないからね〜。

    手間はかかるだろうけど、弁慶にも見つかるだろうね〜〜。

    手間は、かかるだろうけど……)



と梶原景時は、洗いかけの珈琲カップを手に考え込んだ。






   「兄上、そろそろ表の灯りを消さないと…… ? 兄上!?」



5分ほど前には厨房でカップやグラスを洗っていた景時の姿が見あたらない。



   「兄上? どこですか? 兄u…!」



綺麗に洗った上、クロスで丹念に空拭きされたグラスの脇に、

1枚の紙切れが置かれているのを、朔は見つけた。



   『御免 朔 急用ができたから出掛けるね  明日は臨時休業だよ』



達筆な景時の走り書きであった。



   「まったく……。弁慶殿の電話から、様子がおかしいと思ったら…

    一言、言ってくださればいいのに……。
    現世界こっちに来ても、あの三人はバタバタと……仲のよろしいこと!

    兄上! 帰ってきたら御説教ですからね!!」



と言いながら、朔は明日の早朝に届けられる豆餅をどうしようかと考え始めた。





背筋が一瞬凍ったかと思って、身震いした。

まだ電車は和田塚駅を出たところだ。

景時には、今の身震いに心当たりがあった。



   「朔…、ごめんよ〜」











弁慶は一睡もしなかった。

それどころか一晩中歩き続けていた。

いろいろな方面に連絡もとってみた。

携帯で済む仕事もこなしながら、本郷から湯島、外神田と歩き回っては

九郎が明日の仕事までの間、夜露をしのいでいそうな所を探し続けた。

九郎が明日の仕事に2時間遅刻してしまう。

もはやそんなことよりも

九郎と連絡が取れないでいる自分。

なによりも、その事が弁慶には信じられなかった。



そして



サラリーマンで混雑する前の、御茶ノ水駅前のファーストフード店で

歩き続けた身体と、考え続けた頭を休めるため

店内の一隅のソファーに身を沈め、アイス珈琲を口に流し込みながら

弁慶は電話をしていた。



   「……それで君まで、わざわざ出てきてしまった、と言うことですか。やれやれ」



   《す、すみません……》



   「気持ちはありがたいのですが、ただ闇雲に歩き回っても絶対見つからないと思いますよ。

    それに、土地勘の無い君まで迷子にでもなったら、僕がヒノエに殺されてしまいます」



   《……》



   「で、今、どちらです?」



   《そ、それが……》



   「……え? ひょっとして……、どこだか分からない……のですか?」



   《……………はい…》



弁慶は深い溜息をついて



   「何か目立つ建物とか、近くに見えませんか?」



   《白くて巨大な丸みを帯びた建物が…》



   「巨大とは、どのくらいですか?」



   《まわりの『びる』という建物よりも…》



   「ああ、東京ドームですね。分かりました。

    その辺りのどこか喫茶店にでもいてください。迎えを行かせますので」



   《かえってお手数を…》



   「気にしないでください。こちらこそ、心遣いに感謝してます。では」



携帯を切った弁慶は、別の短縮番号を押す。



   「……あ、今、話していて大丈夫ですか?」



   《大丈夫…かな》



   「良かった。で、君は今どの辺りです?」



   《湯島聖堂から神田明神に向かってる途中》



   「そうですか、それなら近くですね」



   《何が?》



   「実は…、叱らないであげてくださいね。たぶん動機は君と同じなのでしょうから。

    本当に、君達は行動パターンがよく似ているのですね。

    性格は随分違うように思えるのですが」



   《勿体をつけずに、要点をいってくれない?》



   「ああ、そうですね。

    たぶん君が出た後に、君とは違うルートで来たみたいですよ。
    実は敦盛君が、都内こちらで迷子でして」



   《何だって!》



   「ああ、慌てないでください。大丈夫ですよ。場所はだいたい分かってまs……」



携帯は切れていた。



   「早く行ってあげてくださいね、ヒノエ」











いつの間にか、自分の携帯のバッテリー残量すら、あやしくなってしまった。

店を出て、隣のコンビニに入り、

携帯の急速充電をしようか、乾電池式のチャージャーを買おうか考える。

その時、弁慶の携帯が振動する。



素速く携帯を開いた瞬間

携帯の電池切れを伝えるアラーム音がして、液晶画面が消えた。



   「!」



誰からだったのだろう。

ヒノエが敦盛君と合流したことを知らせるもの?



それとも……九郎…



弁慶は慌てて乾電池式チャージャーを掴むとレジに行き

釣り銭を受け取る間に、封を開けて自分の携帯に差し込んだ。



携帯が復活するまでの間が長く感じる。

『Ag ICカード(UIM)情報 読み込み中です』の文字。

ロックされた携帯に、暗証番号を打ち込むのももどかしい。

復活した携帯を見た弁慶は



   (よかった。通話ではなくてメールで)



と思った。

そして急ぎメールを開くと

未登録者からのもの。

しかしこのアドレスは……



    miko/kurou@edoweb.na.jp



   (どう見てもリズ先生のものとしか思えませんね。

    リズ先生からメールが送られてくることを想定していなかったとは

    僕としたことが、迂闊でした)



急ぎメールを開くと



   『大學 池』



とだけある。

しかし、弁慶には思い当たる場所があった。



急ぎ道路に出てみるが、まだ早朝と言ってもいい時間帯で、なかなかタクシーはつかまらない。





また、携帯が震える。

今度は譲からの電話だった。



   「はい、譲君? どうしました?」



   「弁慶さん、余計な事かも知れませんが……、池の畔です、九郎さんがいるのは」



   「はい?」



   「夢を見たんです。九郎さんが池の畔で座って、魚に餌をやっている。

    それにしても、どこだろう……。

    でも、あれは不忍池じゃありませんでした。

    もっと木々が池の畔まで生い茂っていて……」



   「ありがとうございます。譲君」



   「あ、あの…、役に立ちましたか?」



   「ええ、十分過ぎるくらい。

    星の一族の力のお陰で、九郎の居場所、予想が確信に変わりました」



   「よかった…」



タクシーが目の前に停車する。

滑るように乗車すると、軽やかに行き先を告げる。



   「東京大学 三四郎池の近くまで」











08/11/09 UP

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